あがき、戦い続けた5人の物語 DEEP DIVE INTO THE “ZONE”

ヤンチャに見えて冷静沈着。ひょうひょうとして常に的確。ニュートラルな視点とまっすぐな男気あふれる包容力で個性豊かなメンバーが集まるグループをひとつにまとめ支えてきた彼は、何を感じ何を思い、どんなことを考えながら歩いてきたのか。2021年11月16日、デビュー10周年を迎えるSexy Zone連載の拡大版、第4回は菊池風磨さんが登場。その歩みをロングインタビューで振り返る。

2021年MORE11月号掲載企画から、インタビュー記事をお届けします。
Sexy Zone菊池風磨さんインタビュー
きくち・ふうま●1995年3月7日生まれ、東京都出身。Sexy Zoneとして2011年にデビュー。音楽業のほか、俳優としても活躍。『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』(フジテレビ系・土曜20:00〜)でのギャップある姿が話題に

菊池風磨さんロングインタビュー

菊池「もの心ついた頃、幼い僕に強烈な印象を与えたのが嵐さんだったんです。そして、“嵐みたいになりたい”と憧れたのがジャニーズ事務所を目指すきっかけで。中学生になってから、自分で履歴書を送ったんですよ」

入所後間もなく中島健人、松村北斗、髙地優吾と共にB.I.Shadowとして活躍するなど、多くの人の注目を集めながら華やかなスタートを切った菊池さんのジャニーズJr.時代。

菊池「今振り返ると、本当に恵まれていたなって思うんだけど。あの頃の僕はやたらと根拠のない自信に満ちあふれていて。それこそ“自分は絶対にデビューする”って、疑うことなく信じていましたからね(笑)。で、実際にその3年後にそれは現実になるんですけど……。ただ、そのデビューは自分が思い描いていたものとはまったく違うものだったんですよ」

複雑な気持ちを抱えて立ったグループ結成会見のステージ

2011年9月29日、当時出演していた舞台会場から帝国劇場へと呼び出され「そこで初めて自分がSexy Zoneの一員になることを知った」という菊池さん。結成会見のステージの上で感じていたのは喜びと戸惑いと不安……。「とにかく複雑な心境だった」と当時を振り返る。

菊池「根拠なき自信があったとはいえ、死ぬ気で頑張らないと続けることはできなかったし、芸能活動をするうえで犠牲にしたものもあった。それまでの自分はデビューを目指して必死に突き進んでいたわけですから、その夢が叶ったことはうれしいんです、うれしくないわけがないんです。ただ、デビューに関しては、同年代でグループをつくり上げていくんだろうなって、自分は勝手にそんな未来を思い描いていたから。まず、メンバーに対する驚きがあったんですよね。ずっと一緒に活動していた中島のことはもちろん知っていたけど、入所して間もない年下メンバーに対しては“この子たちは誰だ?”が正直な感想で。深く関わったことのないメンバーといきなり結成会見の舞台に立っていることも、バラを持って歌い踊っている自分も、Sexy Zoneというグループ名すらも、最初はなかなか受け入れることができなくて……。自分が目指していた場所はここなのか? これが正解なのか? 自問自答してしまう自分もいたんですよ」

そして続いたのが「お世話になった先輩方や、一緒に活動していたB. I. Shadowのメンバーより先にデビューすることに対しても、後ろめたい気持ちもあったし。そう感じてしまうことすらも申し訳ないと思った」という言葉。さまざまな感情が入り乱れたスタート。当時は自分の気持ちをうまく整理することができず、悩んでしまうことも多かったそうだ。

菊池「でもそれが“贅沢な悩み”だということもわかっていたから。誰にも相談できなかったし言えなかった。かといってまだ幼かった自分にはそれを解決する力もなくて。その不安な気持ちが態度に出てしまうこともあったりして。楽屋にいる時に誰とも話さなかったり、イヤホンをつけて自分の世界にとじこもったり……。振り返ると、本当によくない態度を取っていたなと思うんだけど。当時はそうすることでしか自分を保つことができなかったんだよね。ただただ、毎日いら立っていたし、何よりもいちばん、そんな自分にいら立っていた。それを“思春期”とか“反抗期”とかいう言葉で説明できたらいいんだけど、そんな単純なものではなくて。時間がたった今でもうまく言葉で説明できないくらい、あの頃は、心の中がグチャグチャだった」

ほかのグループが眩しく見えた。悔しかったし羨ましかった

そんな闇の中から抜け出すことができたのはデビューから2年たった頃。ふいに訪れた“夏休み”が大きなきっかけだったそうだ。

菊池「18歳の夏、映画の撮影が予定よりも早く終わって。2〜3週間ぽっかり時間があいたんですよ。そこで友達や仲間と過ごした時間が自分にとってはすごく大きくて。その仲間というのがSixTONESのメンバーなんです。彼らはジャニーズJr.時代を共に過ごしてきたほぼ同期で。今もずっと仲がいいんですけど。オレね、実はあの6人がすごく羨ましかったんですよ。当時、すでにSixTONESの前身といえるグループがあったんですけど、そこで彼らは共に挫折を経験したり、一緒に壁を乗り越えたり、ときにぶつかりあいながらもみんなが一丸となって前に進んでいて。なんかね、そばで見ていると『週刊少年ジャンプ』を読んでいるような気持ちになるというか、それくらい本当に素敵な仲間たちなんですよ。そんな彼らの姿が腐っていたオレの目にはキラキラと輝いて見えた……。今でこそ、Sexy Zoneはこの5人だからこそのよさがあると本気で思っているんだけど。あの頃は彼らが眩しくて眩しくて……。立つ場所は違ってもお互いに“頑張ろう”と鼓舞しあえる大切な仲間であるんだけど、同時に、嫉妬的な悔しさや苦しいほどの羨望を彼らに抱いたこともあったんですよ」

眩しく見えたのは高校時代や大学時代の友達も同じ。

菊池「友達はみんな大学でキャンパスライフを謳歌していて。その中で、将来の夢や目標を見つけ、そこに向かってそれぞれが突き進んでいた。その姿もまたすごく眩しくて……。そこで思ったんですよ。オレはこのままじゃダメだって。仲間や友達が叶えようとしている夢を自分はひとつ叶えているのに、ウダウダしているのが情けなく思えた。この人たちに恥じるような生き方はしたくないと思った。だからこそ、あの時オレは決意したんです、腹をくくって目の前の仕事とちゃんと向きあおうって」

自分の中でパチンとスイッチが切り替わる音がした。

菊池「それまでは、グループやメンバーだけでなく、何より自分と向きあえていなかったんだよね。自問自答しながらも、答えを出したら何かが変わってしまいそうな気がして、ずっと目を背けていたというか。でも、それじゃあ何も変わらない。まずは逃げずに向きあおう、覚悟を決めて前に進もうって。そこからなんです、僕の中で意識が変わり始めたのは」

なかでも、彼を大きく変えるきっかけになったのが、コンサートの構成を担うようになったこと。

菊池「そのきっかけは2015年から3年連続で行ったソロライブなんです。それぞれが自分で構成や演出を考えたそのライブで、僕は初めて“なんだこれ、めちゃくちゃ面白いじゃん”って手応えを感じることができて。グループのコンサート構成も手がけてみたい、その思いを最初に伝えたのが中島なんです。2017年、3年続いたソロライブが終わろうとしているその時に、初めて中島のステージを観にいって。そこでいろんな話をしながら“やらせてほしい”と伝えたら“いいじゃん、やりなよ”と受け入れてくれて。ほかのメンバーにもその気持ちをひとりひとり伝えた。オレが自分から“何かしたい”と思ったのも、それを言葉にして伝えたのも、それが初めてだったから。メンバーはきっと驚いていたんじゃないかな」

「中島のライブに行け」先輩の言葉が僕を変えた

周りにも自分にも嘘がつけないまっすぐな性格だからこそ、心の中に生まれるさまざまな思いを無視することができなかった。迷い悩みながらも、いつだって正直に自分の思いと向きあい、一歩一歩前に進んできた。そんな自分の歩みを振り返りながら「前に進めたのは自分ひとりの力じゃなくて、支えてくれる人たちがいたからなんです」と彼は言葉を続ける。

菊池「腐っていた時期も、ちゃんと叱ってくれたり、ダメなものはダメって言ってくれたり、そんなオレを見捨てずに向きあってくれる大人が周りにいた。その存在に救われたことも何度もあったし。ずっと誰にも言えなかった自分の思いや悩みを話せる先輩と出会えたのも大きかった。そのひとりが(櫻井)翔君で。18歳の時に初めて食事に連れていってもらったんですけど。同じ大学の先輩後輩という関係でもあったので、最初は学業の相談をしていたんですよ。そこから少しずつ個人的な話やグループの相談もするようになっていったんですよね。ドラマ共演をきっかけに可愛がってくれたのが山下(智久)君。最初は僕のことを“生意気そうなヤツ”と思ったらしいんですけど(笑)。どこか自分と似ている気がすると言ってくれて。そんな山下君が引きあわせてくれたのが村上(信五)君なんです。この3人の先輩たちがいなければ今の自分はいないと言っても過言ではないほど、いろんな話を聞いてもらったし、たくさんのアドバイスももらってきた。それこそ、中島のソロライブを観にいけと言ってくれたのも、実は山下君なんですよ。“自分は若くて気づけなかったことがたくさんある。そんな昔の自分に伝えるような気持ちで言うから聞いてくれ。おまえは中島のライブに行くべきだ。メンバーともっとちゃんと向きあうべきだ”って。あの山下君の言葉があったから自分は変わることができた。だからこそ、今でも本当に感謝していて」

思いどおりになんかならない だからSexy Zoneは面白い

グループと向きあいコンサートの構成を考える、そんな作業を積み重ねることで「メンバーやSexy Zoneの魅力をあらためて深く知ることができた」と菊池さんは語る。

菊池「(佐藤)勝利は“内気な子”、松島(聡)は“ずうずうしい子”、マリウス(葉)は“裕福な子”。デビュー当時、年下メンバーに関してはひとくくりで“子供”って感じだったんですけど(笑)。勝利は内気な分、誰よりもいろんなことを考えていて。言葉にせずとも、自分の中の正解に向かい理論立てて進んでいく人なんだとわかったし。松島のずうずうしいほどの人懐っこさもひとつの武器で。彼だからこそ、メンバーが落ち込んでいる時や元気がない時、心の内を開いてあげることができるんですよね。マリウスは僕たちが思っている以上に人の幸せを願っていて。他人を心から愛することができる人。だからこそ、自分のことももっと愛してほしいなと思うような人。ただの“裕福な子”じゃないこともわかりました(笑)。中島は……正直、最初は変なヤツだなって思ったんですよ。でも、途中で気づくんだよね。“こいつ、スゲーな”って。“変わってる”ってネガティブにとらえられがちだけど、実はすごいことで。人と違うからこそできることもたくさんある、ある意味、めちゃくちゃオンリーワンなんですよね。その証拠に、この世に中島健人みたいな男、ほかにいないでしょ!?(笑)」

照れ屋の菊池さんがメンバーに贈る、なんとも彼らしい最上級のほめ言葉の数々(笑)。真を突いた言葉を引き出そうとすると、その思いを見透かしたようにひょうひょうと交わし「Sexy Zoneに関してはうまく言葉にできないことが多いんですよ。無理に言葉にしようと思えばできないこともないけど、それはなんか違う気がするし。それをしてしまったら、オレじゃなくなる気がするんです」と笑う。そんな彼にあらためてデビュー10周年を迎える今の心境を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

菊池「うれしいこともあったし、感動することもあった。ただ、楽しかったかと聞かれたら……すべての時間はそうじゃないかも(笑)。でも、だからこそ、続けてこられたのかなって思うんですよ。10年前、10年後の自分たちの姿が想像できなかったように、この先のことも想像できない。思いどおりになんかならないのがSexy Zoneの面白いところで。まあ、同時に大変なところでもあるんだけど(笑)。それでも前に進み続ける、今の僕のモチベーションは……。ひと言で言うと“売れてみたい”ってことなのかな。グループで売れるっていうのはどんなものか知りたい、その場所にたどり着いた人にしかできないことも絶対にあると思うしね。これからもきっとこのグループはいろんなことがあると思うんだけど。いつか5人で見てみたいんだよね。売れなきゃ見られない風景ってヤツを」
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取材・原文/石井美輪 構成・企画/渡部遥奈(MORE)