12星座全体の運勢

「白紙にかえす」

「暑さ寒さも彼岸まで」の秋分直前の9月17日に、おとめ座で新月を迎えていきます。

夏のにぎわいが遠のき、秋らしくなるにつれ、次第に風が透き通っていくように感じられてくる頃合いですが、そうした時に吹く風を昔から「色なき風」と呼んできました。

中国から伝わった五行説によると、秋の色は白。日本人は、その白を、「色無き」と言い換えた訳です。本来は華やかさがないという意味でしたが、言い換えられていくうちに、しみわたるような寂寥感を言い表すようになっていったのだそうです。

そして、今回のおとめ座新月のテーマは「初心に返る」。能の大成者である世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉と共に知られる「初心」は、普通に考えられているような“最初の志”のことではなく、自分が未熟であった頃の“最初の試練や失敗”の意ですが、これは試練に圧倒されたり、失敗の前に膝をついたりしたことのない者には、本当の成功はいつまでもやってこないのだということを指します。

そうした失敗や挫折を不当だとか、相手や世間が悪いと思い込むのではなくて、そこから人間としての完成に近づくための新たな挑戦が始まるのだと気付くこともまた「初心」なのです。人生には幾つもの初心がある。そんなことに思い至ることができた時には、きっと心のなかをとびきりの「色なき風」が吹き抜けていくはず。

山羊座(やぎ座)

今期のやぎ座のキーワードは、「美的水準を引き上げる」。

山羊座のイラスト
例えば、いくら華麗なドレスで着飾ったとしても、それが本来そうであるように存在していなければ、つまり、着ている本人にとってごく自然なものになっていないのならば、果たして美しいと言えるだろうか。

―否。青山二郎であれば、間髪入れずにそう答えるでしょう。

“遊び”の真の精神を知り尽くした陶器鑑賞家にして装幀家、そして美の追求者であった彼は、『眼の筍生活』というエッセイの中で次のように述べています。

物の「在り方」は美の鑑賞なぞといううっとりした眼に、最初の印象を許すものではありません。一眼見て惚れたといいますが、文字通りそれは好き好きというもので、それとこれとは別の問題であります。好き好きという話になると、これはこれで大分面倒な趣味の事になりますが、併しもしもこの好き好きというものが、物の「在り方」と端的に一致する様になれば、先ず骨董屋より玄人といえましょう。

著者は「うっとりした眼」の例として「お茶を習って講釈を聞くから、変てこな茶碗が茶碗に見えてくる」ことを挙げ、「思考を用立てるから美なら美が見えてくると思っている、この一般的な眼に対する不信ほど危険な習慣はありません」と注意を促し、「眼玉の純度」あるいは、「美というものは存在しない。在るものは美術品だけだ」という言い方で対象の固有性やそのあるなしをきちんと見抜くことの大切さを説きました。

現実というのは、いつだって既に思考よりも一歩進んでいるのです。そして、今期のやぎ座もまた、自身の眼の動きを信じて、余計な思考習慣をさっぱり洗い流していけるかが大いに問われていくはず。それは「引き算の美学」とでも言えましょうか。

そう考えると、涙というものも、人がもう以前の物の見え方を刷新したい時に起きる生理現象であるようにも思えてくるから不思議です。


参考:青山二郎「眼の哲学・利休伝ノート」(講談社文芸文庫)
12星座占い<9/6~9/19>まとめはこちら
<プロフィール>
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。
文/SUGAR イラスト/チヤキ