2022年5月15日から5月28日のSUGARの12星座占い
[目次]
  1. 【SUGARさんの12星座占い】<5/15~5/28>の12星座全体の運勢は?
  2. 【SUGARさんの12星座占い】12星座別の運勢
    1. 《牡羊座(おひつじ座)》
    2. 《牡牛座(おうし座)》
    3. 《双子座(ふたご座)》
    4. 《蟹座(かに座)》
    5. 《獅子座(しし座)》
    6. 《乙女座(おとめ座)》
    7. 《天秤座(てんびん座)》
    8. 《蠍座(さそり座)》
    9. 《射手座(いて座)》
    10. 《山羊座(やぎ座)》
    11. 《水瓶座(みずがめ座)》
    12. 《魚座(うお座)》

【SUGARさんの12星座占い】<5/15~5/28>の12星座全体の運勢は?

「大きなリズムや流れと協調しよう」 

立夏をすぎ、すっかり太陽がまぶしい季節に入って、街では日傘をさしている人もちらほら見かけるようになってきた5月16日には、さそり座25度(数えで26度)で満月を迎えていきます。 

さそり座26度のサビアンシンボルは「新しい土地でキャンプするネイティブアメリカン」で、キーワードは「臨機応変」。ここでの「ネイティブアメリカン」とは、「自然と調和して生きている人」の象徴であり、彼らは人生に対してなにか過剰な要求をすることがない代わりに、自身の内側から新しい欲求が湧き出てくるごとに、それにふさわしい場所へと直感的にたどり着くことができます。 

26度というのは、外部への志向性が生まれる度数なのですが、今回は固定宮の終わり際で起きる満月で、かつ「硬直化したシステムや慣習」を意味する土星を巻き込んだ形で起こるため、柔軟宮に特有の“流動性”がひときわ強調されやすい配置と言えます。 

今回の満月では、これまでしがみついてきた“正しい”やり方や“揺るぎない常識”とされてきたものの息苦しさや不自然さに改めて気が付き、そこから自然と離れていくアクションや気持ちの動きが出てきやすいでしょう。 

土星は特定の社会の枠内だけで通用する常識や考え方を表しますが、「ネイティブアメリカン」が依拠している「自然」は、そうした狭い常識や考え方を相対化するより大きな生態系のリズムとともに絶えず動いており、そうした大きなリズムや時代潮流と協調して機能していくことに自分らしさを感じていけるかが、今期は問われていくはずです。 

《牡羊座(おひつじ座)》(3/21〜4/19)

今期のおひつじ座のキーワードは、「「生きている自然」という着物」。

牡羊座のイラスト
2015年の国連総会で定められた2030年までの具体的な指針であるSDGs(持続可能な開発目標)に対して、どことなく胡散臭さを感じたり、かすかな違和感を覚えたりする人が少なくない理由の一つとして、基本的人権やヒューマニズムなどの核となる概念や理想がきわめて西洋的な世界観に基づいているという点が挙げられるように思います。 
 
例えば、科学者の清水博は1978年に刊行された『生命を捉えなおす』のなかで、「これまでの伝統的な人間像は、いわば生きている自然という着物をぬがせた「裸の人間」の像であり(…)人類の政治・経済・歴史・文化に関する物の見方も、この人間像の上に立ってつくられてきたもの」であり、「ルネサンスの運動は、それまで人びとが着ていた中世的な「神の着物」を脱がせて、「裸の人間」の像を見出すところにあ」り、「その延長としての近代文明が「裸の人間」という人間像の上に建てられているのはもっともなことだ」と述べる一方で、次のような指摘もしています。 
 
いわく、「この「裸の人間」とその社会という「理想系」」は、人間以外の「他の系や要素との動的協力性によるからみ合い」を含んだ「実在系」を表現できていないのだ、と。したがって、「今後は、このからみ合いを繰り込んだ「生きた自然」という着物を着た人間像の上に立って、個人と社会、個人と自然、社会と自然との関係を明確にしていかなければな」りませんし、「人間が「自然」という着物を着ると同時に、「自然」には人間という着物を着せてやる必要が出てくるでしょう」と。 
 
とはいえ、ここで言う「人間の着物を着る「自然」」とは、なにも人間と同じような服や靴を着せられたペットのようなことを意味するというよりも、人間の社会と生態系とが協働して形成されるより大きい系(生物圏)に働く秩序やそれを形成しようとする集団的な動きに対して、もっと親しみを持とうということです。 
 
逆に言えば、「生きている自然」という着物を人間の側から脱ぎ捨ててしまえば、私たちはますます国家や国際的大企業に都合よく定義された人権やヒューマニズムを適用されるようになっていくということでもあり、その意味で、今の私たちに必要なのは、自分がどれだけ「生きている自然」を着ているのか、そして、より大きな秩序の形成に参加しているのか、ということへの自覚に他ならないはず。 
 
16日におひつじ座から数えて「精神的な結びつき」を意味する8番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、すでに自分が巻き込まれてしまっている複雑で大きな文脈において、どうしたら身近な他者や自然と生き生きとした交流や結びつきを取り戻すことができるか、ということを改めて考え直してみるといいでしょう。 
 
 
参考:清水博『生命を捉えなおす』(中公新書) 

《牡牛座(おうし座)》(4/20〜5/20)

今期のおうし座のキーワードは、「生き埋めにされた声に耳を澄ませていく」。

牡牛座のイラスト
村上春樹が1981年3月に雑誌『BRUTUS』誌で発表した「ニューヨーク炭鉱の悲劇」という題の短編小説があります。ビージーズの「New York Mining Disaster 1941」という曲の歌詞にひかれて書いたとされるこの作品を、当時編集者は「ビージーズはおしゃれじゃない」という理由から掲載をしぶったそうです。 
 
この曲は、1966年にイギリスのウェールズ地方、アバーファン村のマーシル・ヴェール炭鉱で起こった落盤事故をヒントにビージーズのメンバーが作ったのですが、実際ニューヨークに炭鉱はありません。ビージーズはこの炭鉱事故を下敷きに、当時のアメリカが遂行していたベトナム戦争を架空の「ニューヨーク炭鉱」に置き換えている訳ですが、「だからこそ村上はひかれたのだろう」と、文芸評論家の加藤典洋は『村上春樹の短編を英語で読む』の中で述べています。 
 
話者である28歳の「僕」の回想という形式をとるこの作品には、ビージーズの曲の歌詞に着想を得たとおぼしき、落盤事故にあい生き埋めになった鉱夫たちの場面が出てくるのですが、その該当箇所を以下に引用してみましょう。 
 
空気を節約するためにカンテラが吹き消され、あたりは漆黒の闇に覆われた。誰も口を開かなかった。五秒おきに天井から落ちてくる水滴の音だけが闇のなかに響いていた。 
「みんな、なるべく息をするんじゃない。残りの空気が少ないんだ」 
年嵩の坑夫がそう言った。ひっそりとした声だったが、それでも天井の岩盤が微かに軋んだ音を立てた。坑夫たちは闇のなかで身を寄せ合い、耳を澄ませ、ただひとつの音が聞こえてくるのを待っていた。つるはしの音、生命の音だ。 
彼らはもう何時間もそのように待ち続けていた。闇が少しずつ現実を溶解させていった。何もかもがずっと昔に、どこか遠い世界で起こったことであるように思えた。あるいは何もかもがずっと先に、どこか遠い世界で起こりそうなことであるように思えた。 
みんな、なるべく息をするんじゃない。残りの空気が少ないんだ。 
外ではもちろん人びとは穴を掘り続けている。まるで映画の一場面のように。」 
 
この作品の解釈をめぐって、加藤は先の著書のなかでじつにシンプルに解釈しています。つまり、ここでは何かが引き算されているという読後感に基づいて、作品を通じて村上は法律上の殺人でも道義上の殺人でもないそこらへんにいくらでも転がっている「死」への思い、関係が描かれているのだと捉えたのです。そして、社会から隔てられた「戦場」という不可視の「坑内」に「生き埋め」になった人びと=ベトナム戦争への出征兵士の動向に耳を澄ませているのであり、村上はこれを1977年の自分を起点に、日本社会に静かに進行していた「戦争」ないしそれに類するものとして描き出していたのだと。 
 
同様に、16日におうし座から数えて「他者」を意味する7番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、自分の生きている現実の“外側”で現に“生き埋め”にされてしまっているかそけき声に、どれだけ耳を澄ましていけるかがテーマとなっていきそうです。 
 
 
参考:加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011 上』(ちくま学芸文庫)

《双子座(ふたご座)》(5/21〜6/21)

今期のふたご座のキーワードは、「愛の証明」。

ふたご座のイラスト
ここ数年、グローバル資本主義における“クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)”の増大がようやく日本でも問題視されるようになってきました。しかし考えてみれば、社会的需要によって発生する労働という営みは、他者とのコミュニケーションを少なからず含むものであり、だからこそそこではいかにしてお互いに相手の人格の価値を享受して歓びを感じ合えるかという問題/課題は必ず生じてくる訳で、このあたりのことは、すでに19世紀中ごろには青年期のカール・マルクスが『経済学・哲学草稿』の中で指摘していました。 
 
湯治勃興しつつあった資本主義を批判しつつ、労働の意味を肯定的に捉えなおそうとしたこの論考には、例えば次のような一節が出てきます。 
 
もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、すなわち、もし君の愛が愛として相手の愛を生み出さなければ、もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君は無力であり、一つの不幸である」 
 
後半部分は少し分かりにくいかも知れませんが、ここで論じられているのは、「どうしたら自分が誰かに与える愛情に正当性が確認できるか」という話であり、それは誰かへの愛が正当であると感じられるのは、その誰かが自分からただ愛を受け取るだけでなく、みずからもまた誰かに愛を与えるようになった時に他ならないのだ、とマルクスは言っている訳です。 
 
そして当然、このマルクスの考えをさらに敷衍するなら、おそらく一度たりとも少しの愛情も受けとったことがない人はおそらくいないでしょうから、人間は誰しもが人生を通じて、他の誰かによって自身の愛情の正当性が証明されるのを待っていると同時に、自分に愛情を与えてくれた人たちの愛の正当性を能動的に証明していくためにも存在しており、後者については、しばしば労働を通じて実現していくのだ、という風にも言うことができるのではないでしょうか。 
 
その意味で、16日にふたご座から数えて「労働」を意味する6番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、自分もまた誰かから愛を受け取ってきたのだと思い出していくことを通して、逆に自分が決して無力な存在ではないのだということを再確認していくことがテーマになっていくでしょう。 
 
 
参考:マルクス、長谷川宏訳『経済学・哲学草稿』(光文社古典新訳文庫) 

《蟹座(かに座)》(6/22〜7/22)

今期のかに座のキーワードは、「新たなエロスの形式」。

蟹座のイラスト
近年、人工知能の発達によって、地球という生命圏において人間が主役を担ってきた時代にもいずれ終わりがやってくるという議論が少しずつ現実的に積み重ねられるようになってきましたが、一方で、まだまだ事実ベースの情報では実感はわきにくいように思いますし、現時点でより生々しくそうした問題に迫っているのは小説の分野でしょう。 
 
例えば、2016年に発表された村田沙耶香の長編小説『ハコブネ』の登場人物・知佳子は「人である以前に星の欠片である感覚が強い」という実感を抱えており、他の人たちは「永遠に続くおままごと」のような「共有幻想の世界」にあると感じています。つまり、どうしてもこの世界の常識に馴染めず、当然のように浸透しているルールを受け入れられない訳ですが、その最たるものが「性別」です。 
 
彼女は性別やそれによって生じるあれやこれやのしがらみについて、「その外にいくらでも世界は広がっているのに、どうして苦しみながらそこに留まり続けるのだろう」と考え、性別を二元論で考え過ぎるきらいがある他の登場人物に対しても「力が入りすぎるとね、身体もほどけないんだよ」と言葉をかけたりしています。 
 
そしてここからややぶっ飛ぶのですが、祖父から聞いた宇宙の話に基づき、太陽を「ソル」、地球を「アース」と呼んでいた知佳子は、肉体感覚ではなく「星としての物体感覚」を追求するうちに、やがて「アースとセックスをする。物体として、アースと強い物体感覚で繋がる」という発想を思いつき、「ヒトであることを脱ぎ捨て」る道へと一気に進んでいくのです。 
 
すると、肉体そのものが消滅する訳ではないにせよ、認識において知佳子の臓器は「粘土」に、性器は「静かに水に流れ出て」いる「自分の中央にある水溜り」へと変貌し、彼女から出る水と熱が「アース」に流れ込み、その「ひんやりとした表面の温度と湿気」が知佳子に染み込んでくるという交流へと展開していきます。 
 
すなわち、この小説における知佳子は、ある意味で「ソル」を念頭に置いた脱・地球中心主義、そして脱・人間中心主義を垂直軸とすることで、「アース」やその表面で生きるヒトとの新たな官能性を探究しようとしているのだと言えるのではないでしょうか。 
 
その意味で、16日にかに座から数えて「エロス」を意味する5番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、男女の区別だけでなく、人間と動植物、人間と無機物、無機物と無機物など、さまざまな区別を相対化していくなかで、新たなエロスの形式を模索していくことが少なからずテーマになっていくかも知れません。 
 
 
参考:村田沙耶香『ハコブネ』(集英社文庫) 

《獅子座(しし座)》(7/23〜8/22)

今期のしし座のキーワードは、「ソウル・メイキング」。

獅子座のイラスト
この世界における大きなリズムや流れと言うとき、日本人にとって歴史的になじみ深いのは仏教の唱えた輪廻転生や地獄や浄土との往還のイメージではないでしょうか。もちろん、現代において地獄や浄土の実在をまじめに信じている人はほとんどいないかも知れませんが、それでも、日本人の深層意識には今もなおそれらのイメージが生きているはず。 
 
そこで、そうした深層意識にこちらの意識をつなげるために具体的なあの世をめぐる話を掘り起こしてみると、例えば、現存するわが国最初の仏教説話集として9世紀はじめに成立した『日本霊異記』のなかに「智者の変化の聖者を誹り妬みて、現に閻羅の闕(みかど)に至り、地獄の苦を受けし縁」というお話があります。 
 
なんだか長くて難しいタイトルですが、これは行基という素晴らしいお坊さんのことを妬んでいた智光というお坊さんについての話です。とても知恵のある人ではあったのですが、行基がみんなに尊ばれて大僧正にまでなるので嫉妬を抑えきれなくなって、つい自分のほうが優れているのにとか、あることないこと悪口を言っていたら病気になって死んでしまった。 
 
それで閻魔の宮殿に行って地獄で拷問されて苦しみを受けるのですが、その際、西の方に立派な楼閣が見えるので、これは誰がお住みになられているのですか? と聞くと、「お前は知らんのか、行基菩薩が亡くなられたら住まわれるのだ」と聞く訳です。結局、智光は死後九日目に生き返って、行基に心から謝ることで助かり、以降は行基を菩薩と信じてその教えを伝え、迷う人々を正しい道に導いたのだとか。 
 
こうした、この世に何かしているあいだに、あの世でも何かができているという話は、じつは仏教の広まる以前からわが国に伝わっていた非常に古いお話の形態なのだとも言われており、ユング派の元型心理学者であるジェイムズ・ヒルマンが「ソウル・メイキング(魂つくり)」ということを言っていたのも恐らくこのことで、この世で目に見えるものをつくっているあいだに、魂の方も目に見えないなにかをつくっていて、それらは表裏一体なのです。 
 
これはひっくり返せば、この世であこぎなやり方で儲けていたり、誰かの足を引っ張っていい思いをしていると、向こうでは絶賛ボロ屋ができていくということでもあります。 
 
その意味で、16日にしし座から数えて「心の基盤」を意味する4番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、目に見えない裏の世界でどんな家を建てるか、という視点から、この世での過ごし方を考えてみるといいでしょう。 
 
 
参考:原田 敏明、高橋貢訳注『日本霊異記』 (平凡社ライブラリー)  

《乙女座(おとめ座)》(8/23〜9/22)

今期のおとめ座のキーワードは、「徳を備えた学者であれ」。

乙女座のイラスト
現代人が個人主義を放棄することはもはや難しいと思いますが、個であるという状態に留まり続けることの困難や限界(弧)については、昨今政府や役所側が推進している「自己責任論」がいかに苦しい立場にある人たちを追い込んでしまっているかという議論に限らず、いま多くの人びとが痛感しているところではないでしょうか。 
 
例えば、教会や聖職者さえも要らないのではないか、個であるままにキリストと結びつくこともできるのではないか、という日本独自の「無教会」という立場を提唱したキリスト教思想家・内村鑑三は、日本が近代化を推し進めていた明治時代にはすでにそうした問題意識を抱いていました。 
 
そして内村の主著とも言える『代表的日本人』では、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の五人の生涯を取り上げられているのですが、これは単に過去の歴史的に有名な人物というよりも、時を超えて日本人の心に生き続け、語りかけていくだろう「永遠の人」を見出そうとしていることが分かります。中でも、内村が同じ教育者として深く敬愛していたのが江戸時代初期の儒学者・中江藤樹でした。 
 
“学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。学識は学才であって、生まれつきその才能をもつ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけではただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である。」 
 
ここで言う「学識」とは、専門的知識あるいは高度な情報と言い換えられますが、それは何かについての間接的な情報であって、いくらそれをたくさん持っていたとしても、その対象を直接知ってたことにはなりません。 
 
その点、内村は中江藤樹との内的対話を通じて、情報ないし知識を得ることと叡智に出会うことはまったく違うことなのだと強調している訳ですが、後者の核は端的に言えば「与えられるもの、訪れるもの」としての「徳」であり、その根源こそ内村が取り上げた五人の人物をつらぬいて脈々と息づいてきた、彼らを越えた存在としての「天」でした。 
 
つまり、人間が何かをするのではなく、人間は無私になって天の道具になるのがもっとも美しく、天の声に耳を澄まし、天の命を聞き届けていく態度こそが「徳」であり、それによって培われるものこそが叡智に他ならないのだと、内村は考えていたのでしょう。 
 
その意味で、16日におとめ座から数えて「知の力」を意味する3番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、無学者の精神に立ち返って知識ではなく叡智をこそ仰ぐべし。 
 
 
参考:内村鑑三『代表的日本人』(岩波文庫) 

《天秤座(てんびん座)》(9/23〜10/23)

今期のてんびん座のキーワードは、「他力の美しさ」。

天秤座のイラスト
目まぐるしい速度で消費と生産が追いかけっこしていく現代社会は、自然と「コスパ」こそが価値となり、モノであれ何であれ「使い捨て」が推奨されている風潮にありますが、ただそうした文脈におのれを一致させていけばいくほど、日常の暮らしから何かがすり減っていくのを感じてしまう人も少なくないのではないでしょうか。 
 
そもそも、日本にはもともと「モノには魂が宿る」という考え方があり、茶道で使う茶器、芸者さんが使うくし、料理人の包丁など、精巧な技術によってつくられた文化的な道具や生活の必需品をいたわり、特別な注意が払われてきました。 
 
例えば、日常の道具の美しさを指摘した最初の人物である柳宗悦(1889~1961)は、「人間の真価はその日常の暮しの中に最も正直に示される」という考えから民衆的工芸を「民藝」と名付けましたが、その本質について『手仕事の日本』の中で次のように説明しています。 
 
いわく、実用ということに縛られて作られた実用品は自由な美術が尊ばれた時代において「不自由な芸術」と呼ばれたものですが、不思議なことに「かかる不自由さがあるために、かえって現れてくる美しさがある」のであると。 
 
それはなぜかと言うと、「不自由とか束縛とかいうのは、人間の立場からする嘆きであって、自然の立場に帰って」見てみれば、「用途に適うということは必然の要求に応じる」ことであり、「材料の性質に制約せられるとは、自然の贈物に任せきる」ということでもある。つまり、「人間からすると不自由」でも「自然からすると一番当然な道を歩く」ことを意味し、そこには人間を越えた力としての「他力の美しさ」が宿るのだ、と。 
 
人間の身勝手やわがままが行き過ぎなところまで押し進められてしまったことでそのしっぺ返しを受けている現代社会において、自力で立つ美術品ではなく、こうした他力という視点から実用品を捉え直し、実用に美しさを交えていくという考え方はまさに時代を先取りしたものだったと言えるかも知れません。 
 
その意味で、16日にてんびん座から数えて「資産」を意味する2番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、改めて生活に美しさを結びつけていく上で、コスパや効率重視の考え方をどれだけ生活のなかでひっくり返していけるかどうかが問われていきそうです。 
 
 
参考:柳宗悦『手仕事の日本』(岩波文庫) 

《蠍座(さそり座)》(10/24〜11/22)

今期のさそり座のキーワードは、「世間を越えた「潮」として」。

蠍座のイラスト
従来的なジェンダー観への見直しがはかられている昨今の動きのなか、「女は~」とか「男だから~」といった言い方はどんどん控えられるようになってきて、大いに実害やストレスが軽減された人たちが出てきていますが、ただ一方で何でもかんでも平等に、ジェンダーレスにして語ればいいという風に受けとって、本質を見失っている人も少なくないように感じています。 
 
女性には女性特有のよさがあり、それは逆も然りな訳で、江戸時代には「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」といった女性的な美しさを称える言葉も生まれましたが、時代ごとにそうしたことも必要なことなのではないでしょうか。 
 
たとえば、戦後の混迷期に生きた女性の生活実感を描いた作品のひとつに、詩人の永瀬清子の「窓から外を見ている女は」という詩があります。 
 
産業構造が大きく変わりつつあった当時、女性たちもいわゆる“農家の嫁”以外の多様な職業につくようになり、それに伴って多くの女性が新しい生き方を余儀なくされるなか自由と不安とのはざまで揺れる日々を過ごしていった訳ですが、この詩はまさにそんな女性たちへ贈られた応援歌でした。 
 
窓から外をみている女は、その窓をぬけ出なくてはならない。  
日のあたる方へと、自由の方へと。 
そして又 その部屋へ かえらなければならない。  
なぜなら女は波だから、潮だから。  
人間の作っている窓は そのたびに消えなければならない。」 
 
この「窓」とは女性たちを縛る古い社会のしきたりや、保守的な価値観のメタファーとも読めますし、何より「女」自身の中にある社会や文化などによって規定された固定観念なのではないでしょうか。 
 
興味深いのは、この詩では「女」はそうした「窓」を抜け出していくだけでなく、「潮」のように「かえらなければならない」と書かれている点です。ここでは、女性という性が根底に有している強さや自然が、世間や文明のつくりだす人工物をこえたスケール感を持つものとして捉えられているのです。 
 
その意味で、16日に自分自身の星座であるさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、満ちては引いていく潮のように自分が「窓」を突き抜けてどこへかえっていこうとしているのか、しかと見極めてみるといいでしょう。 
 
 
参考:永瀬清子『短章集―蝶のめいてい/流れる髪』(詩の森文庫) 

《射手座(いて座)》(11/23〜12/21)

今期のいて座のキーワードは、「故郷の記憶」。

射手座のイラスト
「イニシエーションとしての冒険」ということがますます生活から失われ、実際に体験することが困難になってしまっている現代社会において、書籍であれゲームであれ占いであれ、ある種の「物語」提供の担い手たちはますますの質や在り方を問われつつあるように思います。 
 
イニシエーションにはさまざまな種類があり、そこにどう光をあて、プレイヤーを巻き込んでいくかが担い手の腕の見せ所となる訳ですが、例えばスペインの哲学者サバテールの文芸論『物語作家の技法』では、『海底二万マイル』などのなつかしいタイトルを挙げ、「下降の旅」という章のなかで次のように書いています。 
 
このような地理学上の倒錯行為は人に眩暈を覚えさせることにもなろう。にもかかわらず、われわれの足下に横たわるものは時代を問わずつねにわれわれの心を惹きつけてやまなかった。そこは死者の国である」 
 
確かに、海に囲まれ数多の川と寄り添いながら暮らしてきたわが国の人間が、いつからか陸の、すなわち生けるものの論理だけで生活を覆い尽くすようになってしまいましたが、自分たちの足場の下は決して固いコンクリートだけで構成されている訳ではなく、もっとあやふやで、流動的で、時には生者をすっかり呑み込んで、まったく異なる次元と繋がってしまうようなカオスなのだということを、私たちは子供時代に読んださまざまな物語で教えられてきましたが、一方でそのことを大人になってすっかり忘れてしまっているのではないでしょうか。 
 
サバテールは、かつて哲学書をゆびさして「この本に筋はあるの?」とたずねた幼い弟に「あるもんか」と答えてしまったことへの深い反省から出発し、「自然科学の領域で発生」したリアルなもの巧みな反映を目指す「小説」に反して、「感性の麻痺した大人として、土曜の午後に訪れるあの管理された現実逃避の感覚に包まれながら、霧深い魂の故郷へと降りていく」手段としての「物語」という言い方で、適確に位置づけています。 
 
その意味で、16日にいて座から数えて「失われたもの」を意味する12番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、大人になってからはすっかり忘れてしまっていた、かつて読んだ物語の手触りをほんのちょっとでも思い出してみるといいでしょう。 
 
 
参考:フェルナンド・サバテール、渡辺洋・橋本尚江訳『物語作家の技法』(みすず書房) 

《山羊座(やぎ座)》(12/22〜1/19)

今期のやぎ座のキーワードは、「表層的な連帯を脱するために」。

山羊座のイラスト
2017年1月、トランプの米大統領就任に抗議するために行われた集会で、オーストラリア系アメリカ人シンガーの草分け的存在であるヘレン・レディが70年代フェミニズムの象徴となった「アイ・アム・ウーマン」を歌ったパフォーマンスは当時大いに話題になりましたが、同じことが今後日本で起きうるかと言えば、答えはノーでしょう。 
 
わたしは女、わたしが叫ぶことを聞け 
もはや無視なんてさせない 
後戻りしたり、偽ったりするのなんてもううんざり 
わたしはすでにそんなこと聞き飽きた 
暴力を振るわれ床に押しつけられてきたけど 
もう誰にもわたしに対してそんなことはさせない」(五十嵐舞訳) 
 
この冒頭部分のあとには「わたしは強い、わたしは無敵」というフレーズが続くのですが、こうしたセルフイメージはいかにもアメリカ的なヒロイズムやマッチョイズムと表裏一体であり、日本人がまとうには(それが女であれ男であれ)いささかゴツゴツしすぎていますし、それをやるには感受性や繊細さのセンサーの閾値をうんと上げて鈍感になることが必要で、そうなるともはや「女でなくなる」という転倒的事態に陥ってしまうはず。 
 
このパフォーマンスに関しては、アメリカ文約やクィア批評などを専門とする研究者の五十嵐舞が「複数の「わたし」による連帯」という論考において、そこに含まれている二つの意義を整理したうえで取りあげています。 
 
第一に、2021年に森元首相が東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任するきっかけとなった問題発言などに見られるミソジニー(女性蔑視)が根づよく残っている社会に対する挑戦として。そして第二には、「わたし「は」女」という主張によって規範的な「女」という記号を内部から突き崩し、新たな「女」という概念を立ちあげていく契機として。 
 
ただし、その一方で五十嵐は、自身(「女」)を無敵で打ち負かされることのない存在としてうたうことには、「主体が他者と避けがたく結びついた存在であり、相互に依存的関係にあるということを否定するような意味として機能する」ことで、例えば「二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ事件以降に見られるような」一般人を含めた他国の人びとにほとんど一方的な「暴力をふるう合衆国の政府やそれを支持する国民と身振りが一致してしまう」危険性があるのだという、大変重要な指摘もおこなっています。 
 
その意味で、16日にやぎ座から数えて「人との繋がり」を意味する11番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、どうしたらみずからがこれからも傷つく可能性を否定しない仕方で自尊心を取り戻していけるかということがテーマとなっていくでしょう。 
 
 
参考:『現代思想2019年3月臨時増刊号 ジュディス・バトラー特集』(青土社)

《水瓶座(みずがめ座)》(1/20〜2/18)

今期のみずがめ座のキーワードは、「裏腹な強靭さ」。

水瓶座のイラスト
現代という時代は、もはやかつてのような「成功」や「勝ち組」などの強い概念が個人の人生において、ほとんど成立しなくなってしまった時代に突入しているのだと言えますが、そこで個人に求められていく資質もすでに変化しつつあるのではないでしょうか。 
 
すなわち、「手段を選ぶことなく、何が何でも成功してやろう」といった欲望の強さやそれを可能にする行動力といったものから、搾取的な関係や位置どりによって発生してしまう「取りこぼし」や「こぼれ落ち」に敏感に気付いてそれをみずからケアしたり、同様の他者の事情を察知して適切に寄り添っていくような「弱さ」への感受性と適応力へ。 
 
そして、こうした前者から後者への移行は、どうしても自己乖離的になってしまう都市生活から離れ自然との距離を縮めることに成功していく体験に、ちょうど重ねられるように思うのですが、それは例えば昭和の無頼派作家・坂口安吾が、若い頃の短い教員時代を振り返った自伝的作品である『風と光と二十の私と』などを読むとよく分かるはず。彼は次のように書いています。 
 
私はそのころ太陽というものに生命を感じていた。私はふりそそぐ陽射しの中に無数の光りかがやく泡、エーテルの波を見ることができたものだ。私は青空と光を眺めるだけで、もう幸福であった。麦畑を渡る風と光の香気の中で、私は至高の歓喜を感じていた。」 
 
雨の日は雨の一粒一粒の中にも、嵐の日は狂い叫ぶその音の中にも私はなつかしい命を見つめることができた。樹々の葉にも、鳥にも、虫にも、そしてあの流れる雲にも、私は常に私の心と語り合う親しい命を感じつづけていた。」 
 
私と自然との間から次第に距離が失われ、私の感官は自然の感触とその生命によって充たされている。私はそれに直接不安ではなかったが、やっぱり麦畑の丘や原始林の木暗い下を充ちたりて歩いているとき、ふと私に話かける私の姿を木の奥や木の繁みの上や丘の土肌の上に見るのであった。彼等は常に静かであった。言葉も冷静で、やわらかかった。彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。」 
 
坂口の「不幸と苦しみが人間の魂のふるさと」なのだという認識には、死の影に怯えつつそれに立ち向かうという彼の人生観が透けて見えますが、それこそ太宰や芥川など何人もの文学者の自殺に直接的間接的に関りつつも、それに流されずに生にしがみついていった坂口の裏腹な強靭さの秘訣であり、「弱さ」への感受性の底力なのだと言えるでしょう。 
 
同様に、16日にみずがめ座から数えて「共同性」を意味する10番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、そうした坂口の裏腹さをこそ指針にしていくべし。 
 
 
参考:坂口安吾『風と光と二十の私と』(講談社文芸文庫) 

《魚座(うお座)》(2/19〜3/20)

今期のうお座のキーワードは、「命のゾッとする手触り」。

魚座のイラスト
うお座(の影響が強い人)は、よく他の星座に比べて二律背反的で矛盾を孕んだ人間のカオスな側面を如実にあらわしているなどと言われることが多いですが、そもそも時に自分が自分でないもののように感じたり、ある日突然人が変わってしまったようになってしまうのは、多くの場合、月のせいなのではないでしょうか。 
 
いつも同じ顔をして同じように通り過ぎていく太陽と違って、見上げるごとに違う顔をしている月の存在は、新石器時代の昔から人類にとって“変化”の象徴であり、したがって哲学と宗教の起源でしたが、それは何よりも月の青さによって現われているように思います。 
 
荒俣宏と松岡正剛という博覧強記な二人による月をテーマにした対談をおさめた『月と幻想科学』にも、「月がとっても青いから~遠廻りして帰ろう~♪」という歌とともに、そうした青白い月光力についての言及がありましたが、なぜだか昔から月と言えば青いと相場が決まっているのは実に不思議です。 
 
実際、スペクトルをとってみるとあんまり青くないんですが、これも恐らく、月という存在そのものが人間の「シャドウ(影)」の部分を刺激するからなのでしょうね。つまり、意識の光や生命のうちに宿る「温かさ」とは対極の、ひんやりとした「涼しさ」、すなわちゾッとする感覚を過剰に引き出してしまうんです。 
 
荒俣 太陽の光、とくに赤色系の光は、水面下数十メートルで吸収されますけれど、青色系はかなり深くまで浸透します。数百メートルの単位で透過してくるのは間違いなくて、すると月の光というのは深い海の生物にも意外に影響を及ぼしてる可能性が大きいですね。 
松岡 水面下数百メートルのあたりを<薄明層(トワイライト・ゾーン)>と呼びますね。これはちょうどおぼろ月夜の暗さ、いわば月の世界だよね。発光魚がとくに多くいるのもこのレベルだ。 
荒俣 そのあたりの生物は夜になるとほんとにいっせいに上昇運動をやりますね。地上の生物が月を眺めて、翔んでいきたいと無意識におもうのは、もしかしたら深海時代のこうした運動をおもい返しているせいかもしれません。」 
 
こういう話を読むと、これこそが真の意味での「命の手触り」と言えるのではないか、とついつい思ってしまいます。 
 
そして同じような意味で、16日にうお座から数えて「アイデンティティ・クライシス」を意味する9番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、月からの啓示を待ちつつ、静かに「命の手触り」を思い出していくことがテーマとなっていくでしょう。 
 
 
参考:荒俣宏、松岡正剛『月と幻想科学』(立東舎) 
<プロフィール>
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。



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