SUGARの12星座占い
[目次]
  1. 【SUGARさんの12星座占い】<5/31~6/13>の12星座全体の運勢は?
  2. 【SUGARさんの12星座占い】12星座別5月31日〜6月前半の運勢
    1. 《牡羊座(おひつじ座)》
    2. 《牡牛座(おうし座)》
    3. 《双子座(ふたご座)》
    4. 《蟹座(かに座)》
    5. 《獅子座(しし座)》
    6. 《乙女座(おとめ座)》
    7. 《天秤座(てんびん座)》
    8. 《蠍座(さそり座)》
    9. 《射手座(いて座)》
    10. 《山羊座(やぎ座)》
    11. 《水瓶座(みずがめ座)》
    12. 《魚座(うお座)》

【SUGARさんの12星座占い】<5/31~6/13>の12星座全体の運勢は?

「‟想定外”への一歩を踏み出す」

二十四節気で「穀物の種をまく時」という意味の「芒種」を迎えるのが6月5日。実際には麦の刈り取りの時期であり、どんよりとした天気の下で鮮やかな紫陽花やカラフルな傘たちが街をいろどる季節。そして6月6日に起きる射手座の満月は、いつも以上にエモの膨張に拍車がかかる月食でもあります。そんな今の時期のキーワードは「モヤモヤのあとのひらめき」。それは息苦しい勉強に退屈していた子供が、庭に迷い込んだ野良猫の存在に驚き、その後を追い路地を抜けた先で、今まで見たことのなかった光景を目にした時のよう。これから満月前後にかけては、現在の行き詰まりを打開するような‟想定外”体験に、存分に驚き開かれていきたいところです。

《牡羊座(おひつじ座)》(3/21〜4/19)

今週のおひつじ座のキーワードは、「大気を引き裂け」。

牡羊座のイラスト
昭和の時代に映画やテレビドラマにもなった石坂洋次郎の小説『山のかなたに』には、「雷が鳴りだした。大気をまっ二つに引き裂くような烈しい振動があり、赤い火箭(ひや)が竿(さお)を継ぎ足すように、ジグザグと鋭く走った」という表現が出てきます。

ここで読者は「大気を引き裂く」というスケールの大きな時空間の広がりを突きつけられると同時に、火をつけて放たれた矢が次々と連続して対象に突き刺さっていくような鋭いイメージを差し込まれることで、これから起こるであろう出来事がなにか運命的かつ決定的なものであることを予感するのです。

そもそも「雷」とは、「神鳴り」つまり神の「訪れ(音連れ)」であり、神が人間の力ではどうすることもできない運命を半ば強制する天の力の体験のことであり、それは地上の存在を圧倒しこなごなにする出来事でもありました。

生命はときにその不合理で、自然発生的な、カオスな側面を明らかにしますが、今のおひつじ座もまた、どこかで自分が圧倒されるような誰か何かとの関わりや、それによって眠っていたDNAが目覚めてしまうような体験を求めているはず。

みずから大気を引き裂き、雷鳴を促していくこと。それが今季のあなたのテーマと言えるでしょう。


出典:石坂洋次郎『山のかなたに』(新潮文庫)

《牡牛座(おうし座)》(4/20〜5/20)

今週のおうし座のキーワードは、「匙を投げろ」。

牡牛座のイラスト
「匙を投げる」などと言うと、なんとなく癇癪を起こしてスプーンをひっくり返したり、相手に投げつけたりといったイメージを浮かべてしまいますが、この「匙」とは薬を調合する道具のことであり、医療者側がこの病人はもう助かる見込みがないと判断することを意味するのだそうです。

つまり、単に相手を突き放すような、ひどい人間の振る舞いを指すのではなく、きちんとした洞察に基づいて"関わらないこと”を選び、それを示すことも含まれてくる訳です。

例えば、『戦中派の死生観』を遺著とした小説家の吉田満は、敬愛する父親をめぐるエッセイの中で、「私はその点まことに不肖の子で、運動神経が鈍いうえに不精者ときているから、父は早いうちに匙を投げてしまった」と書きました。

父君はゴルフ好きなだけでなく大の「教え魔」だったそうですが、吉田満はもともとバッハを愛してやまないような学生でしたし、戦後は日本銀行に勤めながら小説を書き、また論客として言論活動をしていたような人でしたから、当然と言えば当然でしょう。

けれど、それも父君が強引にゴルフをやらせる代わりに、きちんと「匙を投げ」てくれたからこそ、のちに多くの日本人の心に残る『戦艦大和ノ最期』などの名作が生まれたのだとも言えます。

中途半端に介入して相手を振り回すくらいなら、あえて無理に関わらず、いっそ「匙を投げる」方が相手を活かすこともある。

それはどこか今季のおうし座にも通じるところがあるでしょう。


出典:吉田満『戦中派の死生観』(文春学藝ライブラリー)

《双子座(ふたご座)》(5/21〜6/21)

今週のふたご座のキーワードは、「腫れ物にさわれ」。

双子座のイラスト
「心の風景」が作り出されていく過程を綴った梶井基次郎の連作短編『ある心の風景』には、夢で見た光景として次のような描写が出てきます。

変な感じで、足を見ているうちにも青く脹れてゆく。痛くもなんともなかった。腫物は紅い、サボテンの花のようである。

通常、皮膚の一部が化膿して腫れたものを「腫れ物」と言い、すこし触れただけでもどうにかなってしまいそうなので、そうっと触るか、おそるおそる扱わざるを得ない状況をくさして「腫れ物に触る」という言い方をする訳で、それは単に身体的レベルの話に限らず人間関係や自身の抱えている隠れた問題に対しても適用されます。

ただ、この場合はどうも様子が違っていて、「サボテンの花のよう」な腫れ物はむしろ触ってくれと言わんばかりで、ご丁寧に「痛くもなんともない」という断りまでついている。

厄介なこと、これからのリスクや、良くない可能性。もしかしたら、そうした‟腫れ物”に手を出していくことは、可能性を失っていくことではなくて、また別の無数の可能性に開かれることなのかも知れない。

そんなほのかな予感のようなものがここにはあり、それはそのまま今季のふたご座が置かれた状況にも通底していくのではないでしょうか。

みずから腫れ物にさわってみる。それが今季のあなたのテーマと言えるでしょう。


出典:梶井基次郎『ある心の風景』(ちくま日本文学028)

《蟹座(かに座)》(6/22〜7/22)

今週のかに座のキーワードは、「山を張れ」。

蟹座のイラスト
勉強のコツとは別に、試験のコツというのがあって、その極意は「山を張る」ことにあり、本番に強い人間というのは往々にして「山を張る」ことに長けているもの。

丘よりもさらに高く盛り上がって、苦しい「峠」を何度か越えると、それが「山」になっていく訳ですが、そうやって自然に到達した場所にたまたま金や銀の鉱脈が見つかるというのではなく、はじめからそれを狙って大胆な予想をし、思いきった手段に出ることを「山を張る」とか「山が当たる」といい、それを自分の習慣にしてしまえるような人のことを「山師」という訳です。

芥川龍之介は小説だけでなく俳句も嗜む人でしたが、『続芭蕉雑記』の中で史上随一の大俳人である松尾芭蕉について「日本の生んだ三百年前の大山師だつた」と述べており、彼が俳諧という前衛芸術を確立しえたのも、山を張った成果だと言うのです。曰く、

芭蕉の住した無常観は芭蕉崇拝者の信ずるやうに弱々しい感傷主義を含んだものではない。寧ろやぶれかぶれの勇に富んだ不具退転の一本道である。芭蕉の度たび、俳諧さへ「一生の道の草」と呼んだのは必しも偶然ではなかつたであらう。

そして月食前後にかけて、かに座のあなたもまた、自分なりの道を歩いていくためにここぞとばかりに山を張り、賭けに出ていくことがテーマとなっていくでしょう。


出典:『芥川龍之介全集 7』(ちくま文庫)

《獅子座(しし座)》(7/23〜8/22)

今週のしし座のキーワードは、「‟ぷすん”と怒れ」。

獅子座のイラスト
戦後期を代表する私小説家である上林暁(かんばやしあかつき)の『極楽寺門前』という作品には、「ぷすんと黙ったきりだった」というなんとも不思議な表現が出てきます。

これは「私」が妹と外出し、新宿で冷えたスイカを買ってそれを土産に意気揚々と帰宅し、きちんと冷やして切り、食べるように勧めた際に妻の「珠子は見向きもしなかった」という言葉の後に出てくるもので、そこで「私」は「腹の底には、さっきの不興がいぶりつづけているんだな」とか、「腹を立てていた」「嫉妬の感情が、きざして来た」などと連呼した上で、「折角(せっかく)の西瓜(スイカ)も味がなかった」と結んでいます。

普通は不機嫌であることを表すなら、「ぶすっとした」とか、「むっとして」などと表現するところですが、この「ぷすん」には相手を根底のところで突き放すような冷たい怒りというより、相手への愛嬌やプロレス的な掛け合いの余地が感じられるという意味で、‟取り付く島のある怒り”となっているように感じられます。

相手への無関心を決め込んで連絡先を消したり、ブロックしたり、ただただ切り捨てるのは簡単ですが、相手がやり返すだけの隙を残しながら「怒り」を表明していくのは難しいことですし、誰に対してもできるものではないでしょう。

けれど、やってみるだけの価値はある訳で、何より今のしし座にはそれだけの準備や心積もりがすでに十分あるはず。そしてそうやってコミュニケーションを太く厚くしていくことこそ、今回の月食前後のしし座のテーマなのだと言えるでしょう。


出典:上林暁『極楽寺門前』(筑摩書房)

《乙女座(おとめ座)》(8/23〜9/22)

今週のおとめ座のキーワードは、「地に落ちよ」。

乙女座のイラスト
「地に落ちる」という言葉は単に物理的に上からモノが落下する際に使われるだけでなく、卑しくなる、堕落する、といった意味でもよく用いられます。 

例えば、太平洋戦争末期、史上最大の海戦とされたレイテ沖海戦に敗北し、いよいよ先行きが危うくなっていく頃に新聞紙上に発表された坂口安吾の『芸道地に堕つ』などは、そのいい例でしょう。

昨今の日本文化は全く蚊の落ちない蚊取線香だ。(中略)職人芸人の良心などは糞喰らえ、影もとどめぬ。文化の破局、地獄である。

かくては日本は、戦争に勝っても文化的には敗北せざるを得ないだろう。即ち、戦争の終ると共に欧米文化は日本に汎濫し日本文化は忽たちまち場末へ追いやられる。

坂口安吾がこう喝破したのはもう75年も前のことですが、昨今のコロナ禍でカミュの『ペスト』がとにかく売れているという日本の書籍事情を踏まえても、じつに耳に痛い指摘となっています。

ただし、彼が叫んでみせた「堕落」とは、そうした愚劣さを引き受けた上で、改めて虚飾を捨て人間本来の姿に徹しようというメッセージでもあったように思います。

そして今のおとめ座もまた、落ちて落ちて底を打つところまで落ちて、何も持たない裸一貫の状態から、もう一度やり直していくことが求められているのではないでしょうか。


出典:坂口安吾『堕落論』(新潮文庫)

《天秤座(てんびん座)》(9/23〜10/23)

今週のてんびん座のキーワードは、「頭を真っ白に」。

天秤座のイラスト
村上春樹は1984年に発表した短編小説『タクシーに乗った男』の中で、「頭の中が真っ白になり、それが少しずつもとに戻るのにずいぶん時間がかかった」と書きました。

詳しいあらすじは省略しますが、これは作中である女性が、長年自宅に飾り眺めてきた"絵”の中の男にそっくりの人物と、旅先のタクシーでたまたま乗り合わせた時の描写です。

「強い光線が当たる部分が白くぼやける現象」のことをカメラ用語でハレーションと呼びますが、それが精神的なレベルで起きたものとイメージすればいいのかも知れません。

真っ白になっているあいだ、頭は何も考えていないという訳でなく、むしろ唸りを立てるほどのすごいスピードで懸命に情報を整理していて、「現実をきちんとした現実の枠の中に入れ、イマジネーションをきちんとしたイマジネーションの枠の中に入れ」ようとしている。

それは、今までの常識や現実感覚(普通は〇〇なら△△)をいったん捨てて、新しいそれを目の前のなまなましい情報から吸い上げ、再構築するまでの立ち上げ期間でもあったのではないでしょうか。

今季のてんびん座もまた、そうして過去の古びた常識や物の見方をできるだけあっさりと入れ替えられるよう、頭の中が真っ白になるような瞬間を心待ちにしていくといいでしょう。


出典:村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』(講談社文庫)

《蠍座(さそり座)》(10/24〜11/22)

今週のさそり座のキーワードは、「灯台の下を見よ」。

蠍座のイラスト
「灯台下(もと)暗し」の「灯台」とは、海をのぞむ岬の燈台のことではなくて、油を入れた皿を載せてともしびを灯す昔の灯明台のこと。それで、台のすぐ下のあたりが暗くなることから、身近なことほど案外気付きにくいことの比喩となったそう。

ただ、だからといって、「飛んで火に入る夏の虫」になりきって、いつもともしびに照らされた明るい箇所ばかり見ているのでは、あまりに情緒がありません。

静かな部屋に時おり風が訪れるたび、暗い漆器にろうそくの光がゆれ、人は怪しい光りの夢の世界へと誘われていく。そのともしびのはためきを、谷崎潤一郎は『陰翳礼賛』の中で「夜の脈搏(みゃくはく)」と表現しました。

ともしびがはためくごとに、畳の上を滑るかのように明るみも刻々と場所を移す。そんな風に、暗いところで時おり何かが光ったり、その光がちらちらと流れ、綾をおりなすとき、「夜」という抽象概念さえも生き物のように脈を打ち始めるのだ、と。

そうした深い瞑想の世界には、向日性の明るさや、ポジティブ・シンキングだけでは決して入っていくことはできないでしょう。

身の周りのもっとも暗いところ、すなわち自分のからだや、ほとんど自分の一部となっている近しい人間関係にこそ目を向け、そこにきちんと生きた血が通っているか、それともすでに干からび形骸化してしまっているか、確かめていくこと。

それが、今回の月食前後にかけてのさそり座のテーマなのだと言えるでしょう。


出典:谷崎潤一郎『陰翳礼賛』(中公文庫)

《射手座(いて座)》(11/23〜12/21)

今週のいて座のキーワードは、「ねじを巻け」。

射手座のイラスト
物を締め付けるためのらせん状の溝が刻んである用具が「ねじ」であり、これが緩むと全体の姿かたちが崩れてきます。そこから比喩的に緊張感がなくなってだらしなくなることを「ねじが緩む」、逆にだらしない気分を引き締めることを「ねじを巻く」と言ったりします。

ところで、明治・大正期の文豪・幸田露伴のエッセイに『ねじくり博士』という一風変わった作品があり、そこでは博士の口を借りて「ねじねじは宇宙の大法なり」という‟真理”が語られていきます。

いわく、太陽も月も星も、人間のつむじさえも、みな螺旋を描いて進んでいるのであり、なぜそれらが螺線的に運動をするかといと、「世界は元来、なんでも力の順逆で成立ッているのだから、東へ向いて進む力と、西に向て進む力、又は上向と下向、というようにいつでも二力の衝突があるが、その二力の衝突調和という事は是非直線的では出来ないものに極ッてるのサ」、というのです。

つまり、何事においても相反する二つの力の衝突や矛盾が生じなくなってくれば、それは「ねじが緩んで」動きが直線的になってきたということであり、そうして「社会を直線ずくめ」にしてしまうから、本来通るはずの道理も通らなくなってくるのだ、と。

同様に、まさに天地自然の法則に改めて寄り添い力を取り戻していこうという意味において、今季のいて座は改めて「ねじを巻く」ことがテーマになっているのだと言えます。衝突をおそれず、むしろそれを利用する法を考えて、心身を引き締めていきましょう。


出典:長山靖生『懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説』(中央公論新社)

《山羊座(やぎ座)》(12/22〜1/19)

今週のやぎ座のキーワードは、「毒にしびれろ」。

山羊座のイラスト
宮本輝の自伝的な小説スケッチ『二十歳の火影』には、小説を読んだ際の感動について、「しびれ薬をしこんだ針のように、私の魂の奥深くの、得体の知れない領域に忍び入ってきた」と述べた箇所が出てくる。

そう、感動は、なにも胸が熱くなったり、笑顔がこぼれたり、全米が泣いたりするばかりではなく、しばしばショッキングな体験として私たちのこころを死角から襲ってくる。

あるいは、耐えがたいほどにくすぐったかったり、看過できないむず痒さを覚えたり、ピリッと刺激されるような皮膚感覚の感動というものだってあるだろう。

私たちはしばしば感動さえも定型化し、月並で紋切り型の分かりやすい感動じるしを量産しようとするけれど、本来それは思いがけず「得体の知れない領域」で起こり、往々にして劇薬のごとき危険性を孕んでいるものだ。

だから、誰に対してもおすすめできるものではないし、電子レンジでできる時短料理のようにお手軽に出来てしまうものでもない。フラットで、他愛もない時間の流れが、突如としてかき乱され、感覚は取り返しがつかないほどに転調する。

一言でいえば、感動は毒なのだ。そして、それをあおる覚悟がある者だけに贈られる栄誉のことを、私たちは分かったような顔をして「創造性」と呼んでいる。今やぎ座のあなたには、それだけの危険を冒すだけの準備が出来ているだろうか。以前の自分ではいられなくなってしまう準備が。


出典:宮本輝『二十歳の火影』(講談社文庫)

《水瓶座(みずがめ座)》(1/20〜2/18)

今週のみずがめ座のキーワードは、「青田を買え」。

水瓶座のイラスト
企業が人材確保を目的に、優秀な学生を卒業前に内定を出して囲い込むことを「青田買い」と言いますが、これは稲が実る前にその田の収穫高を見越した上で先買いすることに由来しています。

これと似た言葉に「青田刈り」がありますが、こちらは戦国時代に、敵方に兵糧を調達させないように穂が青い内に稲を刈り取って、敵方の戦力を落とすという戦術が語源にあるのだとか。

どことなく、ドラッグストアでマスクやトイレットペーパーを買い占めに走る人たちの顔が浮かんできますが、よくよく考えてみると、後者にはいい稲もわるい稲も見境がないのに対し、前者にはほんらい目利きをする側の本気を問う厳しさと覚悟が込められているはず。

例えば、後藤比奈夫の「この国に青田の青のある限り」という句などを詠むと、青田の上を吹き渡る爽やかな風を思い起こすと同時に、いつか青を青とも思えなくなってしまう時代がやってきてしまうのではないかという暗い予感がつきまといます。

今のあなたには、その先に未来や明るい可能性を思い描けるような「青田」が見えているでしょうか。今回の月食は、みずがめ座にとってどこに先買いするべき「青田」があり、そのためにどれだけリスクを取れるのか、ということを少なからず突きつけてくるでしょう。


出典:ひらのこぼ『俳句発想法 歳時記[夏]』(草思社文庫)

《魚座(うお座)》(2/19〜3/20)

今週のうお座のキーワードは、「嫌悪せよ」。

魚座のイラスト
川端康成の戦後期の代表作である『千羽鶴』には、「むかむかする嫌悪のなかに、稲村令嬢の姿が一すじの光のようにきらめいた」という表現が出てきます。

これは「むかむか」という吐き気の感覚を通して嫌悪という強い不快感を増幅させていくなか、その窮地を救ってくれる女性の存在を「光」のイメージで拾い上げていくという、非常にダイナミックな芸当であり、その後に当人は「新鮮な気持がした」と語っています。

気に喰わないという気持ちが頭のあたりに留まらず、胸の奥のほうや胃腸や背中の方まで拡張されていくと、かえって波が引いていくように気持ちがおさまるだけでなく、その引いていく先に正反対の心情を覚える対象が明確に姿を現わすことがあるのか、とはじめて読んだ時にいたく感動したものです。

ただ、それは逆に言えば「好きだ」とか「愛してる」といった表現に、いかに自分がしっくりきていなかったのかということを浮き彫りにしてくれた体験でもありました。

幸せであるという実感は、ひとえに「喜怒哀楽」のいずれも抑圧することなくのびのび感じていくことの中にありますが、今季のうお座にとっては特に「怒」と「哀」のあいだにあって「喜」の周囲へと通じる「嫌悪」の感覚が、ひとつの鍵になっていくはず。

表面的な嫌悪に囚われるのではなく、その向こう側にあるまだ名前のついていない感情を見出していきたいところです。


出典:川端康成『千羽鶴』(新潮文庫)
<プロフィール>
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。



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文/SUGAR イラスト/チヤキ