実家が太い妻と子育てで深まった溝。「月60万の生活費も彼女にとっては普通」【モア・ボイス26・前編】
1980年──、いまから約40年前。女性の「性」の本音を語る「モア・リポート」が誕生し、延べ1万2千人を超える女性たちの性を見つめてきました。
そして多様性社会を生きる今、「モア・リポート」と並行して性別を問わずジェンダーレスに20・30代の体験談を取材し、彼らの恋愛やセックスの本音に迫る「モア・ボイス」の連載をお届けします!
月の生活費は60万。結婚生活の「価値観」の違いって?
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ーDATAー
正岡さん(仮名)30代 /自営業/未婚(結婚歴あり)/男性
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正岡さん(仮名・30代)は、24歳の時に5つ年上の大学院生・ヨウコさん(仮名)と結婚。ヨウコさんの父は大企業の社長で、ヨウコさんは社長令嬢だった。最初は「価値観が合う」という理由で結婚したふたりだが、出産を機に、本当の価値観の相違が露呈する。
「家政婦を雇いたい」妻の一言に価値観の違いを感じた

――正岡さんは昨年離婚され、成立するまでとても大変な思いをされたそうですね。
はい。昨年離婚し、先月自身の地元である関西に戻ってきました。元妻であるヨウコ(仮名)の父は、名の知れた大きな会社の社長で、僕もそこで働いていたこともあり、離婚にはとても苦労しました。(以下同、正岡さん)
――いわゆる“逆玉の輿”という形での結婚だったのでしょうか?
よく言えばそうですが、僕が経験したヨウコとの結婚生活はその言葉からイメージされるようなものではなかったと思います。
――離婚の原因は何だったのでしょうか?
ざっくり言うと「価値観の違い」です。最終的に僕から離婚を切り出しました。離婚のきっかけとなったのは、ヨウコが産後うつのような状態になり、僕の地元である関西からヨウコの実家がある九州へ家族全員で引っ越したことです。
――当時ヨウコさんは、どのような状態だったのでしょうか?
ヨウコは実家のある九州に里帰り出産し、関西に戻ってきたのですが、子どもの夜泣きがひどくて、ヒステリックになることがありました。それで僕に「育児や家事の全てを家政婦にやってもらいたい」と相談してきたのですが、僕の中にその選択肢はなかったので驚きました。
――ヨウコさんは一時的に子どもの世話をするベビーシッターではなく、家事全般を任せられる家政婦を望んだのでしょうか?
はい。子どもの面倒だけではなく、家事や育児を含む生活全般のことをしてくれる家政婦がほしいと言いました。ヨウコ自身、幼少期は家政婦に育てられていたので、それが当然のことだったようです。
僕としてはできるだけ親の手で育てたいという思いがあり、「夜中の面倒は全部僕がみるから」と伝え、いったんはふたりで頑張ろうと落ち着きました。これが一番最初にヨウコとの価値観の違いを感じた瞬間でしたね。
――交際している時にそういう考え方の違いを感じませんでしたか?
ヨウコとは遠距離恋愛の末、週に1回程度のデートを重ねて1年で結婚したため、気づかなかったんです。今考えると、同棲くらいはしておけばよかったと思いますね。
同棲もせずにすぐ結婚。「いい暮らしをしたい」の価値観は一緒だった

――育児中、ヨウコさんと正岡さんはの就業状態はいかがでしたか?
ヨウコと出会った時、僕は24歳で自営業でした。当時29歳のヨウコはで大学院に通っていました。彼女はカウンセラーを目指して勉強をしていたのですが、結婚を機に専業主婦になりました。
僕は生活費として、ヨウコに毎月60万円渡していました。
――生活費が毎月60万円ですか?
そうです。ヨウコからの強い希望もあり、結婚してすぐに子どもを授かったのですが、子どものベビーフードやミルクもオーガニックのものにこだわり、服やおもちゃも全てブランドものでした。60万円でギリギリ足りるくらいだと言われていました。
――ヨウコさんの実家からの支援はありましたか?
いいえ。その時は離れて暮らしていましたし、経済的な支援も含め、特にありませんでしたね。どうしても日中はヨウコのワンオペになりますが、夜間の授乳以外のことは僕がするようになりました。
ヨウコは「あなたは仕事に逃げられるけど、私は24時間この子に向き合ってるの!」が口癖で。家に帰ると、死んだ魚のような目をして「私寝るから変わって」と交代していました。
――60万円という生活費に対して、正岡さんはどのように感じていましたか?
周りと比べると高いなとは感じていましたが、当時は僕も稼いでいたので、特に大きな負担ではありませんでした。生活費とは別に、タワーマンションの家賃、外食費なども僕が全て出していました。
金銭的なことより違和感を持ったのは、家族で僕の地元のイベントに行った時にヨウコが「あんな庶民的なところへ二度と行きたくない」と言ったことや、子どもにお菓子やファーストフードを禁止にしていたことです。
僕がカップラーメンを食べようとすると、彼女から「子どもに悪影響だから食べるな」と言われたこともあります。僕自身は幼少期から家族で仲良く地元のお祭りに参加することも、ファミレスで食事をすることも大好きだったので、ヨウコの考え方に強い違和感を持ちました。
――つきあっていた当時からふたりの間で、食の嗜好や人間関係について違和感はありましたか?
つきあっている時は恥ずかしながら僕も格好つけていたところがあったので、デートではいいお店に行っていたし、だからこそヨウコにとっても結婚後のギャップが大きかったのだと思います。
それに元々僕は、ヨウコと「価値観が合う」という理由で結婚したんです。
――どのようなところに「価値観が合う」と感じていたのですか?
「いい暮らしがしたい」という価値観です。ここでいう「いい暮らし」とは「お金がある暮らし」のことです。
実はヨウコと出会う前、大学時代の4年間つきあった彼女がいたんです。互いの親にも紹介済みで、周囲からも結婚するだろうと思われていました。だけど、僕が大学時代に内定をもらった企業を蹴って「起業する!」と言った時、彼女に大反対されました。
――なぜ彼女は反対したのですか?
おそらく彼女も結婚を見据え、僕に安定した道を選んでほしいと思ったのだと思います。
でも僕は彼女の反対を押し切って起業しました。だけど事業は軌道にのらず、会えない日々が続くと彼女も不満に。僕は彼女に「将来成功したら、一緒にいい暮らしをしよう」と伝えるも、彼女からは「いい暮らしとかいらん。給料が低くてもいいからとりあえず就職して」と言われてしまいました。
それで、別れることになったんです。
――その後に、ヨウコさんに出会ったのですか?
そうです。僕が出席した異業種交流会にヨウコがいました。ヨウコは元彼女とは真逆で、起業に関して「どんどんチャレンジしなよ」と大賛成だった。それが僕の中ですごく新鮮で、嬉しかったんですよね。ヨウコのアドバイスもあり、事業が軌道にのった部分もあるんです。
――「いい暮らしがしたい」という価値観も一緒だったのでしょうか?
はい。僕が「いい暮らしがしたい」と思うようになったのは、幼少期実家が裕福ではなかったから。だから起業して「お金を稼ごう!」と、がむしゃらに働きました。ヨウコも「いい暮らしがしたい」と話していました。
――出会った当時、ヨウコさんが社長令嬢であることは知っていたのですか?
いいえ。知ったのはつきあった後です。彼女はいい暮らしをしてきた人なので、同じような暮らしをできる人と結婚して専業主婦になりたい、という考えを持っていました。
僕と彼女は「いい暮らしをしたい」という同じ価値観を持っていると思っていましたが、家族になって初めて僕らが同じではないことに気づきました。僕が考えていた月60万の“いい暮らし”は、ヨウコにとっては“普通の暮らし”だったんですよね。
“価値観の違い”が子育てを通して露呈した

――恋人同士の時には気づかなかった価値観の違いが、子育てを通して露呈したのですね?
そうですね。それに、ヨウコは僕の両親や僕が生まれ育った町の地域の人との交流を避け、そこの子どもたちと自分の子どもが交流を持つことも極端に嫌がりました。そして、「自分の地元に戻って両親のサポートを受けたい」と言うようになったんです。
――その後、どうなったのですか?
僕は仕事があるのでヨウコの地元へすぐ行くことはできないし、一時は別居することも考えました。2年間何度も話し合いを重ね、最終的には家族全員でヨウコの地元である九州へ引っ越すことになりました。
――正岡さんの仕事はどうされたのですか?
僕はいったん事業をたたみ、ヨウコの地元にある会社の面接を受けて、人生初のサラリーマンになることを決意したんです。
――家族のための選択をしたのですね。
あれほどサラリーマンになるのを嫌がっていた大学時代には考えられない選択だったけど、「家族のため」だと就活しました。収入は減るけれど、やはり子どもと離れるのは寂しいし、ヨウコも別居は嫌だと言ったので。この時は、ヨウコに寄り添いたいという気持ちがあったんです。
そして無事新居や仕事も決まり、あとは引っ越すだけとなったタイミングにヨウコの父親から僕に電話がありました。
――どんな内容の電話だったのですか?
「内定を辞退して、うちの会社で働きなさい」という内容でした。それで僕は急遽内定を辞退し、義父の経営する会社の社員として働くことになりました。
――義父の提案を断らなかったのですか?
そうですね。「君が内定をもらった会社はうちの取引先だ」「評判よくないから」といろいろな理由をつけて、うちに来るのは当然!と説得されて。それに妻の父であり、大きな会社の経営者からの直談判に断ることは考えられませんでしたね。
だけど、この決断が離婚に至る一番の原因になったんです。
取材・文/毒島サチコ