2023年「モア・リポート」と並行して、性別を問わずジェンダーレスに20・30代の体験談を取材し、彼らの恋愛やセックスの本音に迫る「モア・ボイス」の連載。今回のテーマは、社長令嬢との離婚を経験した30代男性が語る、結婚観について。

タワーマンションから一転、月3万円のシェアハウスで生活して

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ーDATAー

正岡さん(仮名)30代 /自営業/未婚(結婚歴あり)/男性

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自営業の正岡さん(仮名・30代)は、24歳の時に5つ年上の大学院生・ヨウコさん(仮名)と結婚。ヨウコさんの父は大企業の社長で、ヨウコさんは社長令嬢だった。最初は「価値観が合う」という理由で結婚したふたりだが、家族が増えたことをきっかけに考えの違いが明らかに。親族を巻き込み、壮絶なものとなった離婚過程を聞いた。

【まず前編を読む】実家が太い妻と子育てで深まった溝。「月60万の生活費も彼女にとっては普通」

家族全員で妻の地元へ移住

逆玉の輿かと思ったら!? パワー義実家のの画像_1

――妻であるヨウコさんの地元に移住して、さらにヨウコさんのお父さんが経営する会社で働くことになったのですね。

義父からはうちの会社は「人手不足で困っている」という話をされました。そして、いきなり責任者のポジションで、採用されたんです。(以下同、正岡さん)




――大抜擢ですね。ゆくゆくは会社を継ぐ前提だったのでしょうか?

ぶっちゃけ最初は僕もそうなのかな……と思っていました。だけど実際は、後継者はヨウコの姉と決まっていて、僕はそのお姉さんを「支えてやってほしい」と義父に言われたんです。ヨウコは三姉妹の末っ子で、ヨウコだけが結婚して子どもがいました。義父にとっては念願の孫だったようです。ヨウコが強く子どもを望んでいたのも、義父からのプレッシャーが影響していたことをこの時初めて知りました。




――義父の会社での仕事はどうでしたか?

当初、義父からは「土日のどちらかは休み」「子どもといる時間は確保する」という話でした。だけどふたを開けてみたら土日は出勤だし、とんでもない激務だったんです。

早朝に家を出て、仕事を終えて家に帰るのは翌日の朝ということもしばしば。睡眠時間が3時間程度の日々が続きました。残業代込みで手取りは30万円くらい。その30万円は生活費としてヨウコにわたしていました。それ以外に義父からのサポートもあったので、はたから見れば贅沢な生活を送っているように見えるかもしれませんが、僕が自由に使えるお金はありませんでした。




――ヨウコさんの地元に戻っても、多額の生活費をわたしていたのですか?

はい。以前とは違い、給与を全て渡す形になりました。仕事が忙しくて子どもとの時間が取れないことに関しても義父は「安心して働いて。子どもやヨウコは僕たちが全て面倒を見るから」と言うばかり。

「次期経営者の姉を支える」というのは建前で、そのような業務はほとんどありませんでした。実際はすぐに人が辞めてしまう職場のマネジメント職で、働き詰めの日々を送ることになったんです。

そんな日々が1年近く続き、僕は22キロ瘦せました。




――それでも仕事を辞めなかったのはなぜですか?

激務すぎて辞めることを考える余裕すらなかったし、全くツテのない土地で義父の会社を辞めたら仕事も家族もどうしたらいいんだろうという気持ちでした。当時は完全に思考停止してしまっていたのかもしれません。




――誰かに相談することは考えませんでしたか?

自身の家族や友人たちには「いいとこのお嬢さんと結婚していいな」「逆玉じゃん」とうらやましがられていたんです。周囲からよく見られたいという気持ちも僕の中にあって、なかなか相談できずにいたんですよね。

妻の「もう別れる」に「うん、そうしよう」と言った

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――最終的には仕事を辞め、離婚されています。どのような経緯だったのですか?

数年前、トラブルで家が断水したことがあったんです。それでヨウコの実家に一時的に避難するという話になりました。だけど僕は仕事で疲弊していたし、義父たちにも会いたくなかったので「行きたくない」と拒否すると、ヨウコが激怒したんです。




――なぜヨウコさんは激怒したのでしょうか?

僕が義父や姉たちに対してあまり良い印象を抱いていないことにヨウコも気づいていて、「雇ってもらっているのに、行きたくないってその態度は何!?」と責められました。移住してから忙しくて、ヨウコともすれ違いの日々が続き、ほとんど会話もない状態でした。




――その後、どうなりましたか?

僕だけ自宅に残りました。でも、それがのちに大きな騒動の発端に。

ある日突然、義父とヨウコにホテルのラウンジへ呼び出されたんです。そこには関西にいるはずの僕の両親がいました。驚いていると、「お世話になってるのになにしてるんだ!」と両親から強く叱られました。

両親は、僕が「父の会社で働かせてもらっているのに、文句ばかり言う」とヨウコから聞かされていたそうです。両親はよれよれの服でヨウコと義父に深く頭を下げていて。その姿を見て、僕はその場で号泣してしまいました。




――泣いてしまったのはなぜでしょうか?

ヨウコたちが裕福ではない僕の両親にわざわざ高い飛行機を取らせ、謝罪に呼びつけたことが悔しかったんです。同時にそんなことをさせてしまって両親に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。僕が泣いているのを見た義父とヨウコは反省したのだと勘違いしていたようですが。

この時、僕の中でヨウコに対する気持ちも、仕事に対する情熱も完全になくなりました。この騒動がきっかけとなり、僕は自分の両親に本当のことを話し、ヨウコと義父に離職と離婚の話をしたんです。




――離職と離婚の話をした時、ヨウコさんさんはどのような反応でしたか?

とにかく驚いていました。ヨウコは怒ると「もう別れるからね」と冗談っぽく僕に言ってくることがあったのですが、初めて僕がその言葉に「そうしよう。仕事も辞める」と言ったので。

娘からも「パパ、仕事を辞めてほしい。引っ越す前みたいにもっと一緒に遊びたい」と言われていたこともあり、仕事を辞めて離婚したうえで、娘と会える方法を考えたいと思いました。




――ヨウコさんに伝えた後はどうされたのですか?

離婚と離職について義父にも伝えました。
義父からは離婚も離職も強く止められました。特に仕事は人手不足で困っているからと。給料を上げると義父に言われた時は本当に腹が立ちましたね。

ヨウコも僕の言葉が本気だとは思っていない様子で、「何言ってんの? 別れないよ!」と激怒。なかなか話が進まず、最終的に僕が家を飛び出して別居したんです。

結婚に対する価値観は幼少期に起因するもの?

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――給料をすべて生活費としてヨウコさんに渡している状態で、別居したのですか?

そうです。僕の手持ちはほぼゼロでした。入居させてくれる賃貸物件はなかったのですが、とあるシェアハウスの管理人に事情を話したら、家賃は猶予するからと契約してくれました。僕のボロボロのスニーカーを見て、同情してくれたようでした。そこは月3万のシェアハウスで、黄色い督促状が届くような住民がたくさん暮らしていました。

気づけばタワーマンションの生活から、昔の貧乏生活に逆戻りしていました。辛かったけど、住民とワイワイしながら過ごすうちに本来の自分を取り戻せた気もしました。その生活にすぐ順応できちゃったんですよね。むしろ居心地がよかったというか。久々に食べたインスタントラーメンがめっちゃおいしかったのをよく覚えています。




――その後、どうなりましたか?

日雇いのバイトをしたり、知り合いにお金を借りたり、オークションで物を売ったりして食いつないでいました。しばらくして離婚が成立しました。




――現在の生活はどうですか?

先月、色々な手続きを終えて地元の関西に戻りました。これからまた事業を起こして頑張ってみようと思っています。養育費は払い続けていますが、娘にはまだ会えていません。




――この経験を経て、今なにを考えますか?

これまで「いい暮らし」=「お金がある暮らし」だと思っていたんです。でも、僕が経験した「お金がある暮らし」は「いい暮らし」ではなかったなって思います。



――では、正岡さんにとっての「いい暮らし」とはどんな暮らしですか?

「自分らしい暮らし」です。
結果論ですけど、タワーマンションでヨウコと過ごしていた時よりも、貧しかった幼少期やシェアハウスでの暮らしのほうが僕にとっては「いい暮らし」だったような気がします。お金がなくても自由でした。そっちのほうが、なんか自分らしく生きていたような気がします。

 30代は、原点に立ち返って「いい暮らし」を頑張りたいと思っています。

取材・文/毒島サチコ

ライター・インタビュアー
毒島サチコ

MORE世代の体験談を取材した「モア・リポート」担当のライター・インタビュアー。

現代を生きる女性のリアルな恋愛観やその背景にひそむ社会的な問題など、多角的な視点から“恋愛”を考察する。