
【東京】三菱一号館美術館にて「異端の奇才 ビアズリー」展、開催。約220点が集結する大回顧展
ライター
菅原 麻葉
生きざま含めて全部見せます!ビアズリーの大回顧展!

オーブリー・ビアズリー《「キーノーツ叢書」の宣伝ポスター》1966年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Photo: Victoria and Albert Museum, London
25歳で世を去った画家オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley, 1872-1898)。この英国の異才は、ろうそくの光をたよりに、精緻な線描や大胆な白と黒の色面からなる、きわめて洗練された作品を描きつづけました。
本展覧会は、19世紀末の欧米を騒然とさせたビアズリーの歩みをたどる、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)との共同企画です。出世作のマロリー 著『アーサー王の死』(1893 - 94)や日本でもよく知られるワイルド著『サロメ』(1894)、後期の傑作ゴーティエ著『モーパン嬢』(1898)をはじめとする、初期から晩年までの挿絵や希少な直筆の素描にくわえて、彩色されたポスターや同時代の装飾など、約220点を通じてビアズリーの芸術を展覧します。
第 1 章 はじまり

オーブリー・ビアズリー《詩人の残骸》1892年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Photo: Victoria and Albert Museum, London
オーブリー・ビアズリーは若くして世を去ったが、1000点以上もの作品を残した。困窮した家庭を助けるため16歳から事務員として働くかたわら、独自に絵画を学び、肺結核の進行と闘いながら、制作活動に没頭した。本章では、初期の傑作《「ジークフリート」第2幕》(1892)や諷刺画の小品とともに、彼が生涯参照したA.マンテーニャの版画や幼少期に愛好したK.グリーナウェイの絵本を紹介する。
第 2 章 初期ビアズリー

オーブリー・ビアズリー《アーサー王は、唸る怪獣に出会う》1893年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Photo: Victoria and Albert Museum, London
1891年夏、E.バーン=ジョーンズから温かい助言を受けて、人生初の画家修業を数か月ほど経験したビアズリーは、翌年、さらなる転機に恵まれる。書店主F.エヴァンズのもとで彼の素描を見た出版業者J.M.デントから『アーサー王の死』(1893-94)の挿絵一式を依頼されたのである。これ以降、彼は画業への専念を決意し、自身の画風を開花させる。本章ではビアズリーが影響を受けたJ.M.ホイッスラーやW.クレインらの作品もあわせて展覧する。
第 3 章 成功 ――「ビアズリーの時代」の到来

オーブリー・ビアズリー《孔雀の裳裾》1907年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Photo: Victoria and Albert Museum, London

オーブリー・ビアズリー《クライマックス》1893年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Photo: Victoria and Albert Museum, London

オーブリー・ビアズリー《アヴェニュー劇場公演の宣伝ポスター》1894年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Photo: Victoria and Albert Museum, London
1893年春、芸術雑誌『ステューディオ』の創刊号で大々的に取り上げられ、20歳のビアズリーは注目の的となる。このとき《おまえの口にくちづけしたよ、ヨカナーン》(1893)が出版業者J.レインの目に留まり、O.ワイルドの英訳版『サロメ』(1894)の挿絵画家に抜擢された。一躍、時の人となったビアズリーは、革新的な文芸雑誌『イエロー・ブック』の美術編集を任され、成功を謳歌する。本章では、『サロメ』挿絵に描かれたアングロ=ジャパニーズ様式の調度とともに「ビアズリーの時代」に思いを馳せたい。
第 4 章 ワイルドの「サロメ」

ギュスターヴ・モロー《牢獄のサロメ》1873-76年頃、国立西洋美術館 松方コレクション

チャールズ・リケッツ《サロメ》1925年、ブラッドフォード地区美術博物館
Photo: Bradford Museum & Galleries/Bridgeman Images
ワイルドが1895年春に同性愛の科で逮捕されると、ビアズリーも直ちに『イエロー・ブック』の美術編集から降ろされ、定収入を失う。しかし実際には、両者が親しかった期間は一年にも満たなかった。ビアズリーの挿絵を「たちの悪い落書き」だと一蹴したこともあるワイルドは、本来どのような「サロメ」像を求めていたのか。本章では、G.モローとC.リケッツの作品に着目する。あわせて20世紀の舞台芸術における「サロメ」の多様な姿を、舞踏を中心に参照する。
第 5 章 制作の裏側
本章では、ビアズリーが最盛期に手に入れ、ワイルド騒動の余波で困窮して手放した、ロンドンの自邸における制作環境の一部を再現する。あわせて、生活費を稼ぐために手軽な収入源として手がけ、寿命がつきる間際になって処分することを望んだ「卑猥な絵」、すなわち『リューシストラテー』(1896)収録の優品を紹介する。
第 6 章 成熟に向けて

オーブリー・ビアズリー《愛の鏡》1895年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Photo: Victoria and Albert Museum, London

オーブリー・ビアズリー《猿を連れた婦人》1897年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Photo: Victoria and Albert Museum, London
一時的な名声や取り巻きを失ってからも、ビアズリーは新たな支援者や仲間を得て、起死回生をはかった。この1895年の夏以降の試みは、『髪盗み』(1896)や『ヴォルポーネ』(1898)などの洗練された装丁や挿絵、そして前衛的な文芸雑誌『サヴォイ』(1896)に発表された多彩な作品のうちにたどることができる。しかし、円熟に向かう最中にあった画家に残された時間はわずかだった。肺結核が悪化し、ビアズリーは1898年春に他界する。25歳と半年を過ぎたばかりの青年だった。
「異端の奇才 ビアズリー」展 概要

会期:2025.5.11(日)まで
会場:三菱一号館美術館 東京都千代田区丸の内 2-6-2
開館時間:10:00ー18:00
祝日を除く金曜日と会期最終週平日、 第2水曜日、4/5は20時まで
入館は閉館時間の30分前まで
休館日:月曜日
但し、[トークフリーデー : 2/24、3/31、4/28]、5/5は開館
観 覧 料 一般:2,300円 大学生:1,300円 高校生:1,000円
※障害者手帳をお持ちの方は半額、付添の方1名まで無料
・#英国チェックコーデ割:
本展にチェック柄のアイテムを身に着けてご来館すると観覧料が100円割引に!お洋服でも小物でも構いません。チケット窓口にて「英国チェックコーデ割お願いします。」とお声がけください。
※他の割引との併用不可
※チケット窓口での購入のみ適用です
〈チケット窓口〉
・毎月第2水曜日「マジックアワーチケット」: 1,600円
当日の 17時以降に同館チケット窓口でのみ販売します。
※価格はすべて税込

1987年生まれ。OLで雑誌編集を行う傍ら、ファッション、美容、お出かけ系などのライター業も。ファッション初心者ゆえ、安い・着やすい・コーデしやすいアイテムに目が行きがち。身長162cm、ブルベ冬・骨格ストレート寄りらしい。インスタグラムは愛猫と食べログ3.5以上のお店巡りが多め

