• 牡羊座のイラスト
    おひつじ座のキーワードは、「大気を引き裂け」。 昭和の時代に映画やテレビドラマにもなった石坂洋次郎の小説『山のかなたに』には、「雷が鳴りだした。大気をまっ二つに引き裂くような烈しい振動があり、赤い火箭(ひや)が竿(さお)を継ぎ足すように、ジグザグと鋭く走った」という表現が出てきます。

    ここで読者は「大気を引き裂く」というスケールの大きな時空間の広がりを突きつけられると同時に、火をつけて放たれた矢が次々と連続して対象に突き刺さっていくような鋭いイメージを差し込まれることで、これから起こるであろう出来事がなにか運命的かつ決定的なものであることを予感するのです。

    そもそも「雷」とは、「神鳴り」つまり神の「訪れ(音連れ)」であり、神が人間の力ではどうすることもできない運命を半ば強制する天の力の体験のことであり、それは地上の存在を圧倒しこなごなにする出来事でもありました。

    生命はときにその不合理で、自然発生的な、カオスな側面を明らかにしますが、今のおひつじ座もまた、どこかで自分が圧倒されるような誰か何かとの関わりや、それによって眠っていたDNAが目覚めてしまうような体験を求めているはず。

    みずから大気を引き裂き、雷鳴を促していくこと。それが今季のあなたのテーマと言えるでしょう。


    出典:石坂洋次郎『山のかなたに』(新潮文庫)
  • 牡牛座のイラスト
    おうし座のキーワードは、「匙を投げろ」。 「匙を投げる」などと言うと、なんとなく癇癪を起こしてスプーンをひっくり返したり、相手に投げつけたりといったイメージを浮かべてしまいますが、この「匙」とは薬を調合する道具のことであり、医療者側がこの病人はもう助かる見込みがないと判断することを意味するのだそうです。

    つまり、単に相手を突き放すような、ひどい人間の振る舞いを指すのではなく、きちんとした洞察に基づいて"関わらないこと”を選び、それを示すことも含まれてくる訳です。

    例えば、『戦中派の死生観』を遺著とした小説家の吉田満は、敬愛する父親をめぐるエッセイの中で、「私はその点まことに不肖の子で、運動神経が鈍いうえに不精者ときているから、父は早いうちに匙を投げてしまった」と書きました。

    父君はゴルフ好きなだけでなく大の「教え魔」だったそうですが、吉田満はもともとバッハを愛してやまないような学生でしたし、戦後は日本銀行に勤めながら小説を書き、また論客として言論活動をしていたような人でしたから、当然と言えば当然でしょう。

    けれど、それも父君が強引にゴルフをやらせる代わりに、きちんと「匙を投げ」てくれたからこそ、のちに多くの日本人の心に残る『戦艦大和ノ最期』などの名作が生まれたのだとも言えます。

    中途半端に介入して相手を振り回すくらいなら、あえて無理に関わらず、いっそ「匙を投げる」方が相手を活かすこともある。

    それはどこか今季のおうし座にも通じるところがあるでしょう。


    出典:吉田満『戦中派の死生観』(文春学藝ライブラリー)
  • 双子座のイラスト
    ふたご座のキーワードは、「腫れ物にさわれ」。 「心の風景」が作り出されていく過程を綴った梶井基次郎の連作短編『ある心の風景』には、夢で見た光景として次のような描写が出てきます。

    変な感じで、足を見ているうちにも青く脹れてゆく。痛くもなんともなかった。腫物は紅い、サボテンの花のようである。

    通常、皮膚の一部が化膿して腫れたものを「腫れ物」と言い、すこし触れただけでもどうにかなってしまいそうなので、そうっと触るか、おそるおそる扱わざるを得ない状況をくさして「腫れ物に触る」という言い方をする訳で、それは単に身体的レベルの話に限らず人間関係や自身の抱えている隠れた問題に対しても適用されます。

    ただ、この場合はどうも様子が違っていて、「サボテンの花のよう」な腫れ物はむしろ触ってくれと言わんばかりで、ご丁寧に「痛くもなんともない」という断りまでついている。

    厄介なこと、これからのリスクや、良くない可能性。もしかしたら、そうした‟腫れ物”に手を出していくことは、可能性を失っていくことではなくて、また別の無数の可能性に開かれることなのかも知れない。

    そんなほのかな予感のようなものがここにはあり、それはそのまま今季のふたご座が置かれた状況にも通底していくのではないでしょうか。

    みずから腫れ物にさわってみる。それが今季のあなたのテーマと言えるでしょう。


    出典:梶井基次郎『ある心の風景』(ちくま日本文学028)
  • 蟹座のイラスト
    かに座のキーワードは、「山を張れ」。 勉強のコツとは別に、試験のコツというのがあって、その極意は「山を張る」ことにあり、本番に強い人間というのは往々にして「山を張る」ことに長けているもの。

    丘よりもさらに高く盛り上がって、苦しい「峠」を何度か越えると、それが「山」になっていく訳ですが、そうやって自然に到達した場所にたまたま金や銀の鉱脈が見つかるというのではなく、はじめからそれを狙って大胆な予想をし、思いきった手段に出ることを「山を張る」とか「山が当たる」といい、それを自分の習慣にしてしまえるような人のことを「山師」という訳です。

    芥川龍之介は小説だけでなく俳句も嗜む人でしたが、『続芭蕉雑記』の中で史上随一の大俳人である松尾芭蕉について「日本の生んだ三百年前の大山師だつた」と述べており、彼が俳諧という前衛芸術を確立しえたのも、山を張った成果だと言うのです。曰く、

    芭蕉の住した無常観は芭蕉崇拝者の信ずるやうに弱々しい感傷主義を含んだものではない。寧ろやぶれかぶれの勇に富んだ不具退転の一本道である。芭蕉の度たび、俳諧さへ「一生の道の草」と呼んだのは必しも偶然ではなかつたであらう。

    そして月食前後にかけて、かに座のあなたもまた、自分なりの道を歩いていくためにここぞとばかりに山を張り、賭けに出ていくことがテーマとなっていくでしょう。


    出典:『芥川龍之介全集 7』(ちくま文庫)
  • 獅子座のイラスト
    しし座のキーワードは、「‟ぷすん”と怒れ」。 戦後期を代表する私小説家である上林暁(かんばやしあかつき)の『極楽寺門前』という作品には、「ぷすんと黙ったきりだった」というなんとも不思議な表現が出てきます。

    これは「私」が妹と外出し、新宿で冷えたスイカを買ってそれを土産に意気揚々と帰宅し、きちんと冷やして切り、食べるように勧めた際に妻の「珠子は見向きもしなかった」という言葉の後に出てくるもので、そこで「私」は「腹の底には、さっきの不興がいぶりつづけているんだな」とか、「腹を立てていた」「嫉妬の感情が、きざして来た」などと連呼した上で、「折角(せっかく)の西瓜(スイカ)も味がなかった」と結んでいます。

    普通は不機嫌であることを表すなら、「ぶすっとした」とか、「むっとして」などと表現するところですが、この「ぷすん」には相手を根底のところで突き放すような冷たい怒りというより、相手への愛嬌やプロレス的な掛け合いの余地が感じられるという意味で、‟取り付く島のある怒り”となっているように感じられます。

    相手への無関心を決め込んで連絡先を消したり、ブロックしたり、ただただ切り捨てるのは簡単ですが、相手がやり返すだけの隙を残しながら「怒り」を表明していくのは難しいことですし、誰に対してもできるものではないでしょう。

    けれど、やってみるだけの価値はある訳で、何より今のしし座にはそれだけの準備や心積もりがすでに十分あるはず。そしてそうやってコミュニケーションを太く厚くしていくことこそ、今回の月食前後のしし座のテーマなのだと言えるでしょう。


    出典:上林暁『極楽寺門前』(筑摩書房)
  • 乙女座のイラスト
    おとめ座のキーワードは、「地に落ちよ」。 「地に落ちる」という言葉は単に物理的に上からモノが落下する際に使われるだけでなく、卑しくなる、堕落する、といった意味でもよく用いられます。 

    例えば、太平洋戦争末期、史上最大の海戦とされたレイテ沖海戦に敗北し、いよいよ先行きが危うくなっていく頃に新聞紙上に発表された坂口安吾の『芸道地に堕つ』などは、そのいい例でしょう。

    昨今の日本文化は全く蚊の落ちない蚊取線香だ。(中略)職人芸人の良心などは糞喰らえ、影もとどめぬ。文化の破局、地獄である。

    かくては日本は、戦争に勝っても文化的には敗北せざるを得ないだろう。即ち、戦争の終ると共に欧米文化は日本に汎濫し日本文化は忽たちまち場末へ追いやられる。

    坂口安吾がこう喝破したのはもう75年も前のことですが、昨今のコロナ禍でカミュの『ペスト』がとにかく売れているという日本の書籍事情を踏まえても、じつに耳に痛い指摘となっています。

    ただし、彼が叫んでみせた「堕落」とは、そうした愚劣さを引き受けた上で、改めて虚飾を捨て人間本来の姿に徹しようというメッセージでもあったように思います。

    そして今のおとめ座もまた、落ちて落ちて底を打つところまで落ちて、何も持たない裸一貫の状態から、もう一度やり直していくことが求められているのではないでしょうか。


    出典:坂口安吾『堕落論』(新潮文庫)
  • SUGARの12星座占い
    【SUGARさんの12星座占い】<5/31~6/13>の12星座全体の運勢は? 「‟想定外”への一歩を踏み出す」 二十四節気で「穀物の種をまく時」という意味の「芒種」を迎えるのが6月5日。実際には麦の刈り取りの時期であり、どんよりとした天気の下で鮮やかな紫陽花やカラフルな傘たちが街をいろどる季節。そして6月6日に起きる射手座の満月は、いつも以上にエモの膨張に拍車がかかる月食でもあります。そんな今の時期のキーワードは「モヤモヤのあとのひらめき」。それは息苦しい勉強に退屈していた子供が、庭に迷い込んだ野良猫の存在に驚き、その後を追い路地を抜けた先で、今まで見たことのなかった光景を目にした時のよう。これから満月前後にかけては、現在の行き詰まりを打開するような‟想定外”体験に、存分に驚き開かれていきたいところです。