【最新12星座占い】<6/14〜6/27>哲学派占い師SUGARさんの12星座占いまとめ 【牡羊座〜乙女座】PhotoGallery

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【SUGARさんの12星座占い】<6/14~6/27>の12星座全体の運勢は?
「大きな物語に取り込まれていく」
6月21日の夏至の日の夕方16~18時にかけて、蟹座1度で部分日食(新月)が起こり、晴れていれば日本全国で欠けていく太陽が観測できます。これは日食と新月、そして一年のうち最も日が長くなる夏至が重なる特別なタイミングであり、時代の移り変わりの上でもひとつの節目となっていきそうです。そのキーワードは、「大きな物語」。これは例えば「むかしむかし、あるところに……」といった語りで始まる昔話のように、歴史ないし共同体のもつ空間的・時間的射程の中に自らを位置づけ直していくことで、個人として好き勝手に振る舞う自由を失う代わりに、手で触れられる夢のような生々しい物語の中へと取りこまれていく。今季はそんな"クラい”感覚の極致をぜひ味わっていきたいところです。
今週のおひつじ座のキーワードは、「先祖」。
一般的に、かつての戦争中には厳しい言論統制で思想が圧殺され、それが敗戦を機にひっくり返り一気に自由な思想が展開されるようになったというイメージがありますが、実際には、戦後活躍した多くの知識人の出発点はむしろ戦争末期から敗戦の年までにあり、困難な状況こそが強靭な思想を鍛えていたのでした。

日本民俗学の父である柳田國男もまた、多くの人の死と直面する中で「日本人の多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何かその消息に通じているような気持を、抱いていた」といった日本人のもともとの死生観や霊魂観をたどっていくことで、やがて日本の神は先祖神に由来するということを突き詰めていったのです。

柳田は繰り返し"死者(先祖)との親しさ”という観念について指摘しますが、それは抽象的な理論からではなく、あくまで庶民の生活文化の収集整理を通して、次のように語られました。

第三には生人の今はの時の念願が、死後には必ず達成するものと思っていたことで、これによって子孫のためにいろいろの計画を立てたのみか、更に再び三たび生まれ代わって、同じ事業を続けられるもののごとく、思った者の多かったというのが第四である。」(※傍線は筆者)

父母やさらにその上の世代の"物語”をたどることによって、かえって自分の生きる道が明確に浮き上がることもある。特に今季のおひつじ座には、そうした視座を自分なりに掘り下げ鍛えていくことも必要であるように思います。


出典:柳田國男『先祖の話』(角川ソフィア文庫)
今週のおうし座のキーワードは、「交通」。
考えてみれば、死者であれ何であれ、異界との交通というものをほとんど遮断してしまったように感じる東京のような大都会は人が生きていくには不自然きわまりない場所であり、例えば京都のように死者たちの世界が周辺に広がり、地下には地獄への通路も開かれている街の方が、やはり"異界との交通”という点では風通しがよく自然なように思われます。

もちろん、"異界”は必ずしもはっきりと明確にイメージされてきた訳ではなく、漠然としていて混乱していますが、そこには決して"迷信”という言葉では割り切れない何かが含まれているのではないでしょうか。

例えば、日本の浄土教の祖と称され、平安中期に生涯にわたり比叡山横川に隠棲した源信(げんしん)は、浄土に往生するためのイメージや方法論を、切実で現実的な願いに応えるような形にして、広めていきました。

一箱の肉体は全く苦である。貪り耽ってはならない。四方から山が迫ってきて逃げるところがないのに、人々は貪愛によって蔽われ、深く色・声・味・触の欲望に執着している。永遠でないのに永遠に続くと思い、楽しみでないのに楽しみと思っている。(中略)まして刀山・火湯の地獄がそこに迫っている。

すぐそこに地獄が迫っている、それは刀が歯列のように永遠と並んでいる山であったり、煮えたぎるマグマをたたえた大釜とじつに鮮烈ですが、楽園に限らずこうした地獄の世界のイメージですら切り捨ててしまえば、生きている者の世界もまた殺伐とした貧しいものになってしまうように思います。

翻って、あなたには今どんなロードマップが見えていて、そこには分岐や選択の余地はあるでしょうか。

やがて自分がそこへ行き着くかも知れない世界や、その選択にあたってどんな準備をしなければならないかが今季のテーマになってくるおうし座にとって、どれだけ視野を狭めず、より豊かなヴァリエーションを展開していけるかが焦点となっていくはずです。


出典:川崎庸之・秋山虔・土田直鎮/訳『往生要集 全現代語訳』(講談社学術文庫)
今週のふたご座のキーワードは、「喫茶」。
民衆的で革命的であった鎌倉新仏教と言えば、親鸞や道元などの名前が必ずあげられる一方で、臨済宗の始祖である栄西(えいざい)の名を挙げる人は少ないかも知れません。

しかし、栄西は中国から禅だけでなく茶を持ち帰って喫茶の法を伝えた人物、すなわち日本の茶祖としても知られているのですが、なぜそれほどまでに茶に力を注いだのかは、栄西が禅と密教とによる仏教の総合化を目指していたことにヒントがありそうです。

男女の性的合一など性的な要素を仏教に持ち込んだ密教は、そのおおもとに身体への関心がありましたが、医書としても読まれた栄西の『喫茶養生記』という著作には、例えば次のような記述があります。

天が万物を造った中で、人を造るのがもっとも貴い。人が一生を過ごすのに、生命を守るのが賢明である。一生を過ごす源は養生にある。養生の術を示すと、(心・肝・肺・脾・腎の)五臓を健全にすることである。五臓の中でも心臓が中心である。心臓を健康にするには、茶を飲むのがいちばんよい方法である。

ここにもやはり身体への深い関心がありますが、これは彼が"救い”を追求する仏教というものを心だけのものではなく、身体を含む生活文化全体に関わるものであると考えていたことが如実に表れています。

ちなみに、肝臓は酸味を好み、肺は辛味を好み、心臓は苦味を好み、脾臓は甘味を好み、腎臓は酸味を好むとされています。

こうした身体やその原動力である五臓が求める"味”や、それらを調和させていくことを重視し、本当に生きるということの基盤においていった栄西のアプローチは、「自己価値をいかにあげられるか」ということが今季の大切なテーマとなっていくふたご座にとっても大いに参考になるのではないでしょうか。


出典:古田紹欽訳『栄西 喫茶養生記』(講談社学術文庫)
今週のかに座のキーワードは、「谷底」。
世界の思想史・文化史の例にもれず、日本の場合も歴史的に一部の神格化された例外をのぞいて女性の名前がほとんど出てこないのですが、幕末になると神がかりした女性教祖たちが各地に登場して、革新的な人間観などの教えを説くようになります。

これは封建制度のもとで抑圧されていた女性が、次第にその自由度や素養が高まるにつれ、既成の道徳や宗教の枠から外れたところで、一気にエネルギーが噴出したものと思われますが、その典型が天理教の開祖である中山みきでしょう。

もともと彼女は奈良の地主の主婦でしたが、長男の病気を治すために山伏の祈祷を受けた際、みずから神がかったのだと言います。もちろん、それは自身でも思いもよらないことで、幾度も自殺を図り、家も没落するなど、一度はどん底に落とされますが、病気治しと安産祈願に力を発揮して次第に信者を増やし、男たちをも屈服させていきました。

明治維新直前に出された『みかぐらうた』には、「かみがでて なにかいさい(委細)を とくならバ せかい一れつ いさ(勇)むなり」と、神のもとでの平等が説かれ、「一れつに はやくたすけを いそぐから せかいのこころも いさめかけ」と、急いで力を合わせて世直しに尽くさなければならないというビジョンを投げかけます。

その思想は、権力者である「高山」の横暴をいましめ、「谷底」たる民衆の力による救済を説くものであったため、激しい弾圧を受けるだけでなく、彼女自身も何度も投獄されますが、それでも教えを曲げることなく亡くなっていきました。

今回自身のサインであるかに座で日食が起き、その影響を"自身の在り方そのもの”に受けていきやすいかに座の人たちにとって、こうした中山の人生は、思いがけない運命の転変と、なにより強固な信念とその革新性という点において、大いにロールモデルになっていくのではないでしょうか。


出典:中山みき『みかぐらうた おふでさき』(東洋文庫)
今週のしし座のキーワードは、「背後」。
戦後日本を象徴する進歩的知識人であった丸山眞男が『日本の思想』で指摘した学問におけるタコツボ型の閉鎖主義や、欧米の流行思想を真似たり、ちょっと洒落たことを言えば「思想」や「金言」として通用してしまう状況は、1961年の発売から約50年が経った今でもそう変わりないどころか、悪化さえしているように思えます。

丸山は、たとえ社会の現代化や「ハイカラな外装」のかげに隠れることによっていかに影がうすくなったように見えたとしても、日本人の生活実感や意識の奥底には、「無常感や「もののあわれ」や固有信仰の幽冥観や儒教的倫理」などの日本の「伝統思想」が深く潜入しているのだと述べた上で、次のように述べています。

むしろ過去は自覚的に対象化されて現在のなかに「止揚」されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむのである。

例えば自分の仕事の進め方を否定されたりすることがあった場合に、それを受け止めた上で一つ上の次元へと高めていくことは、必要であるとわかっていてもとても難しいことであると思います。そういう意味で、いまの日本社会や日本人の多くが「止揚」できていないのは、未だに丸山の言う通りでしょう。

丸山はさらに「思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面に過ぎない」と言い募っていくのですが、これなどは今季のしし座にとっても耳が痛いはず。

すなわち、これまであえて見ないようにして避けてきた批判や問題、そこに隠れている断片的な真実を重い腰をあげて受け止めにいくということ。それが今季のあなたに課されたテーマなのだと言えます。


出典:丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)
今週のおとめ座のキーワードは、「感覚」。
美術館や博物館でガラスケースに入れられ、四方からまばゆく照らされて展示されていると、仏像や文化財などの"ありがたみ”も増して、ついどんなものでも一様に手を合わせたくなってしまうものですが、歴史的・宗教的な価値という観点を取っ払ってしまえば、あまり芸術的には価値があると思われないものもあるように感じます。

日本の"骨とう品”に美術史という考え方を導入したのは明治のフェノロサや岡倉天心が最初ですが、先に述べたような信仰の対象から鑑賞の対象への転換を決定づけていったのは、大正時代に出版された和辻哲郎の『古寺巡礼』でしょう。

和辻は「われわれが巡礼しようとするのは「美術」に対してであって、衆生救済の御仏に対してではないのである」と断った上で、次のように述べています。

たといわれわれがある仏像の前で、心底から頭を下げたい心持ちになったり、慈悲の光に打たれてしみじみと涙ぐんだりしたとしても、それは恐らく仏教の精神をいかした美術の力にまいったのであって、宗教的に仏に帰依したというものではなかろう。宗教的になり切れるほどわれわれは感覚をのり越えていない。」(※傍線は筆者)

のり越えるどころか、豊かで便利になり過ぎた社会の中で、私たちはますます感覚に囚われ、鈍感になってしまっているように感じますが、これはうけとる側の感覚が錆びて鈍っていれば、せっかくどんな豊かさや美しさをうけとっても、それは単なるガラクタにしか映らないということでもあるのではないでしょうか。

同様に、周囲から与えられる愛情やチャンスをいかに受け取っていくことができるかということがテーマとなっていく今期のおとめ座にとっても、まずそもそもの感覚をどれだけ研ぎすまし磨いていけるが問われていくことになりそうです。


出典:和辻哲郎『初版 古寺巡礼』(ちくま学芸文庫)

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