12歳でミュージカルデビューし、“ミュージカル界のプリンス”として活躍されてきた山崎育三郎さん。数々のミュージカルの代表作に出演し、“ミュージカル一筋”な20代を経て、30代でドラマ・バラエティ・歌番組・ラジオ等、様々なジャンルに進出するようになった理由、そして、その多忙な日々を支えるタフなポジティヴィティについて伺いました。
 
 
  • 大好きなミュージカル界を盛り上げるために、ミュージカル以外の世界を経験したかった

    ──山崎さんは、12歳でミュージカルデビューをされ、21歳の時に当時世界最年少で『レ・ミゼラブル』のマリウス役を射止め、ミュージカルの代表作の数々に多数ご出演されました。30代からはドラマ・バラエティ・歌番組・ラジオ等、様々なジャンルで活躍されています。そのタイミングでお仕事の幅を広げたのはどうしてだったんですか?

    「僕は12歳から29歳まで、ミュージカルの世界しか基本的には知らなかったんです。一度、中学生の時にNHKの『六番目の小夜子』ってドラマに出させてもらって、それは共演者が山田孝之だったり栗山千明ちゃんだったり勝地涼だったり、みんな同年代で青春!っていう感じで本当に楽しかった。でも僕は、やっぱり小さい頃から夢中になっているミュージカルの感動が忘れられなくて。そこで、『俺はミュージカル以外やらない!』って宣言をしたんです。その後、声変わりという苦しい時期や留学した期間もありましたが、20代はずっとミュージカルをやらせてもらって。中学高校の時、ノートに『レ・ミゼラブル』、『ミス・サイゴン』、『モーツァルト!』、『エリザベート』、帝劇主演!って、ミュージカルの目標を書き続けていたんですけど、それが29歳で全部叶ったんです。それで、『ミュージカル以外のチャレンジをして、一度制限せずに自分の表現の可能性を見てみたい』と思ったんです。あと、日本のミュージカル界自体はすごく盛り上がっているんだけど、僕は子供の頃からその限られた世界だけで盛り上がってるような気がしていて。世の中的にもミュージカル俳優が映像に出るのもなかなか難しかった。そこで、僕が映像の世界にも出て行くことで、ミュージカル界を盛り上げたいという想いもあって映像にチャレンジして。そこで出演させてもらった連続ドラマが、視聴率20%を記録した『下町ロケット』。そのおかげで、またドラマに声をかけていただけることになったんですよね」

    ──新しいチャレンジをすることに躊躇はなかったんですか?

    「映像の世界に飛び込むためには、2~3年先のミュージカルのスケジュールを全部断らなきゃいけなかったんです。それに、ミュージカル界では前例がなかったので、『大丈夫か?』っていう意見ももらいました。うまくいかなければそこで終わる可能性も大いにあった。でも、『やる』って決めて一人で挑んでいったんですよね。運が良かったこともありますが、そこから少しずつドラマやバラエティをやらせてもらえたり、音楽番組も出させてもらっていく中で、『お茶の間にもっとミュージカルが浸透する状況にしたい!』と言い続けて。それで、少しずつミュージカルを取り巻く状況が変わっていって。今では 『FNS歌謡祭』の中でミュージカルコーナーがあるのがあたりまえになった。僕としてはようやくこういう状況が来たという想いがあるんです」
     
    ──「エール」にも山崎さんだけでなく、たくさんのミュージカル俳優の方たちが出演されています。

    「ミュージカル界からしたら、誰も想像してなかった奇跡みたいことが起きてるんですよ! あと、近年だと映画『ラ・ラ・ランド』とか『グレイテスト・ショーマン』がヒットしたり、僕も出演させてもらったディズニー作品『美女と野獣』が実写化されたりとか……。ここ数年、どんどんいろんな人にミュージカルの楽しさが伝わってきているのを実感しています。最近では『エリザベート』の2000人×100公演以上のチケットが即完するんですよ。自分としては、すごく感動的な状況に少しずつなってきているって実感しています」

    ──山崎さん自身、TVという新しいジャンルに飛び込んでいって、慣れない環境に戸惑いはなかったんですか?

    「僕は舞台で育っているので、お客様が時間を作ってお金を払って会場に足を運んでくださって、そこで初めて自分がパフォーマンスできるっていうことをずっと念頭に置いて活動してきました。どのジャンルのエンターテインメントでも、楽しみにしてくださってる方がいるから成立するっていうことが共通点だと思うんです。そのうえで、自分がどういうことをすれば一番楽しんでもらえるかをいつも意識していて。今はどこでも同じ感覚でお仕事をさせてもらっています。どのジャンルの人とコラボしても自分ができる最高のものを届けたいっていうことでしかない。あとはやっぱり、エンターテインメントがすごく好きなので、自分が楽しいって思えるところは外したくない。お仕事ともあまり思ってないというか。『おもしろくない』って思ったらやめてしまうのかもしれないですけど(笑)」
  • 等身大の自分を信じ、仕事を楽しむことで、ポジティブでいることが出来ている

    ──楽しむ気持ちを忘れずに邁進し続けられる、そのポジティブなメンタルを保つコツはあるのでしょうか?

    「確かに僕は、仲の良い城田優や尾上松也とかにポジティブ人間ってよく言われてます(笑)。二人はよくネガティブになるので、『なんでそんなポジティブなんだ?』って言われるんですけど、自分でもよくわからなくて。そのままの自分でいいのかなと思っていて。『よく見せよう』とか、自分じゃないものになろうとしたりした瞬間に緊張するんじゃないかなって。そのままの自分を受け入れられるって一番難しいんだけれど、『それでダメだったらいいじゃん!』と思えるような覚悟が大事なのかもしれないです」

    ──そう思えるきっかけはあったんですか?

    「24歳の時に、『モーツァルト!』のヴォルフガング・モーツァルト役で初めて帝劇で主演をやらせてもらったんですけど、市村正親さんをはじめ、ミュージカル界のスターが脇を固めてくださって。初日が開演する直前、すごく震えながらも、『これがダメだったらもうバイトでもなんでもして生きていくか』くらいの覚悟が決まった気がしているんです。とにかく行動してみると、感情が上向きになるっていうのはあると思います。例えばお芝居だと、体を動かすと感情が乗っかってくる瞬間がたくさんあるんですよね。行動すると自分も思ってなかったような気持ちが生まれたりする。人生1回しかないんだから、好きなことやって楽しんだもん勝ちな気もするんですよね(笑)。僕は自分に期待もしてなくて、『もう僕はこうなんで』って開き直ってるところもある。日本で表現をすることって、どこか緊張感があるんです。ドラマでもミュージカルでも、静かな稽古場でいろんな方が黙って見てる中で、一人ずつ表現をしていく。その雰囲気は、開放的になりづらいんですよね。だからなるべくリラックスして、いい精神状態にないと苦しくなってきたりもします。だから僕は『アホでいたいな』と思ってて(笑)。バカボンのパパの口ぐせの『これでいいのだ』って言葉が好きなんですけど、そう思える強さが大事で。本当に自分がやりたいことって、自分自身、絶対正解をわかってると思うんです。でも、いろんなことを考えてしまって躊躇してしまう。その正解に従って自分らしくやってみればいいじゃんって思います。ガードを一回外してみるっていう」

    ──もしメンタルが落ちた場合、どうやって回復させてるんですか?

    「高校の時に、家庭の事情で祖父母の介護を一人でしなきゃいけない状況があったんです。あの時は本当に精神的にきつくて。それに比べたら他はなんでもないって思うんですよね。それに、高校でアメリカに留学した時にすごい差別を受けたんです。そこが差別の多い地域だったこともあるんですが。それを乗り越えられたことも大きいと思ってます。そういう経験によって、早いうちにハングリー精神が培われたと思っていて。あと昔、おばあちゃんに言われたのが、『幸せ』って10回言ってから寝なさいって(笑)。そうすると、『は~っ』て幸せな気持ちがこみ上げてくるんですよね。例えば、朝の占いで『今日は最悪の日です』って言われたら、そう思い込んでしまって1日がダメになることもある。だから、気持ちで自分を良い方に導くように意識することはあるかもしれない。そういうことを重ねて、僕はポジティブ人間になっていったのかもしれないです(笑)」
  • 終始柔らかな雰囲気ながらも、ミュージカルの話になると、途端に熱を帯びた口調になる山崎さん。様々なジャンルや人とコラボレーションしながらエンタメ界全体を盛り上げようとする姿勢の根底には、深いミュージカル愛があることを強く感じました。