亡き恋人から届き続ける愛のメッセージの意味とは? 映画『ある天文学者の恋文』
人間は死んだ後も、永遠に恋人を愛し続けることができると思いますか? いや、もちろん生きている人間が故人を思い続けることは可能ですが、この映画は、死んだ側の人間が生き残った恋人に変わらず愛を送ろうとする物語。『ニュー・シネマ・パラダイス』や『鑑定士と顔のない依頼人』など、25年以上も一緒に作品を作ってきたジュゼッペ・トルナトーレ監督と音楽家エンニオ・モリコーネによる最新作です。主人公は著名な天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ)と、恋人のエイミー(オルガ・キュリレンコ)。ある日、エイミーがエドから普段と変わらないメールを受け取ったそのとき、出席していた大学の講義でエドの訃報を告げられます。インターネットで検索すると、なんとエドは4日前に亡くなっていたことが明らかになるのです。
その後も変わらず、まるで生きているかのようにエドからいくつもの手紙やメールやビデオメッセージが届き続け、混乱するエイミー。衝撃と悲しみに引き裂かれる彼女は、エドからのメールに導かれるように謎を追い、秘密に迫っていきます。「テクノロジーが進化して、愛を永遠に存続させるのが可能ではないかという幻想を、私たちは抱き始めている」とトルナトーレ監督が語るように、これは自分の死期を知った男が、Eメールやビデオメッセージを駆使して死後も恋人に永遠の愛を伝えようとした物語。長年愛し合ってきたからこそわかる彼女の気持ちを先読みしたメッセージの数々は見事です。
ただし、エイミーが向き合っているのは、数十億年前に死んだ星を見つめる天体観測と同じく、今は亡きエドの過去の姿。一方的なアプローチばかりでコミュニケーションが取れなければ当然すれ違いは生じるし、「なぜ何も言わずに死んだのか」というエイミーの悲しみや後悔は深まるばかり。そもそもエドはまだ幼い子どもがいる妻帯者。せっせと若い恋人にメールを書き溜めたのも、病気で苦しむ姿を見せなかったのも、彼女を悲しませないためではなく、結局は家族の前では見せない完璧な自分を演じていたかったという自尊心と、すべての事象を思い通りにハンドリングしようとした男のプライドが見え隠れ。美しく甘い言葉が綴られたラブレターには、病的にロマンチックな男が夢想した“永遠の愛”なんかじゃなく、“愛の押し売りはエゴである”という教訓が込められている気がしました。
(文/松山梢)
●9/22〜TOHOシネマズ シャンテ他 全国順次公開
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