“描くのは“愛”が生む悲劇。黒沢清監督の海外初進出作品『ダゲレオタイプの女』
黒沢清監督がオールフランスロケ、外国人キャスト、全編フランス語で挑んだ初めての海外進出作品です。黒沢監督と言えば『CURE』、『回路』、『叫』、『LOFTロフト』、最近では『岸辺の旅』や『クリーピー 偽りの隣人』など、ホラーを中心にミステリーやサスペンスなどを独自の世界観で撮ってきた監督。もやもやっとした後味の悪さを残す、静かで不穏で湿度のある表現が得意な監督ですが、舞台をフランスに移しても黒沢ワールドは健在。というよりも、外国人が演じることによって増す非現実感とロケーションの圧倒的な美しさが相まって、紛れもないホラーなのに、切なくも温かいロマンチックなラブストーリーに仕上がっているのが驚きです。
主人公は、ダゲレオタイプの写真家ステファンのアシスタントになった青年ジャン。ダゲレオタイプとは、世界最古の写真撮影法のこと。人物を撮影するときは長時間(70分〜120分におよぶことも!)体を拘束して直接銀盤に焼き付けるため、撮影した写真は世界にひとつしか残りません。その撮影方法に魅了され、永遠の美しさを残すことこそが被写体への愛情だと信じて疑わないステファン、そして苦痛を強いる撮影のモデルから解放されて自らの人生を歩むことを夢見る娘マリー、そんなマリーに恋心を募らせ、ステフェンを恨みながらも同化していくジャン。そして、過去に自ら命を絶っていたステファンの妻の幻影など、悲劇を生む人間ドラマが繰り広げられます。
映画の中では写真と現実、生者と死者、芸術と愛情など、様々な境界線が描かれ、その境界線上で区別がつかなくなる登場人物たちを描いていますが、もっとも印象的なのが虚像であることを強いられたマリーと、銀盤上のマリーしか受け止められない父ステファンの悲劇。ふたりの関係には、どんなに根本に愛があっても、受け取る側が望んでいなければエゴになるという当たり前の事実はもちろん、愛するが故に幻想を抱いてしまう人間の脆さも浮き彫りに。映画という幻想の中に、リアルを見た気がしました。ちなみにマリーを演じたコンスタンス・ルソーの瞳が、常に小刻みに震えているのも印象的。レンズを通さず目の前の彼女と対峙して、瞳の震えに気づき、その不安に心を寄せることこそが、本当の愛だったのかもしれません。
(文/松山梢)
●10/15〜 ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
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