浅田真央さんの今に迫る。「昨夏、スケートは一切やめようと思ったんです」
目を細めたくなるほどまばゆい春の陽光が差し込む中、穏やかな笑顔をカメラに向けた。その表情は、無数のフラッシュが注がれる中、涙をこらえて引退を発表した1年前と明らかに違う。リンクの上で可憐に舞い、世界中を魅了してきた天才少女も、今やモア世代の27歳。将来に悩み、ときに立ち止まり、揺らぎながら出したプロスケーターとしての新たな道。そして、ひとりの女性として思い描く意外な未来。転機を迎えた今の思いを聞いてみた。
浅田真央さんの「27歳の現在地」とは!?
羽生結弦選手や宇野昌磨選手など、日本のフィギュアスケート勢の活躍により大いに盛り上がりを見せた平昌五輪。かつてそのオリンピックという大舞台で、世界中の視線を一身に集めていた浅田真央さん。 「選手だった頃は、やってきた努力の成果を試合で出せた時の達成感やメダルを取れた時のうれしさがありました。でもそれだけ結果を求められるし、自分も求めてしまう。だから競技に戻りたいとは思っていません。アイスショーで滑りたい。今はその気持ちのほうが強いです」 アイスショーとは、5月から全国10都市で開催される「浅田真央サンクスツアー」のこと。真央さん自身が発案し、企画をスタートさせた。オリンピックの喧噪の中、新たなチャレンジに取り組んでいたのだ。 「実は去年、引退を発表した後に出演した夏のアイスショーを最後に、スケートは一切やめようと思ったんです。でもいざスケートがない生活をしてみると、頭の片隅で考えてしまう自分がいて。たくさんの方から『まだ観たい』というお手紙やお声をいただいた時に、感謝の気持ちをお伝えしたいなと感じました」 アスリートとして極限まで自分を追い込んできた彼女が決断したスケートとの別れ。その考えをひるがえし、再びスケート靴をはくことを決めるまでには、当然、葛藤があった。 「毎日スケートに情熱を注ぐ覚悟もなかったし、お客さんが来てくれるのかなっていう不安もありました。でもショーをやることを思いついた時、最初に姉の舞に『どう思う?』と相談したんです。そしたらすぐに『いいと思うよ! 私も協力する』と言ってくれて。舞がいるなら心強いと思い、すぐに決断しました」 プログラムや選曲、衣装など、プロデューサーとしてすべての選択に関わっている。マネージャーからは「キャストにもめちゃくちゃ真剣に指導してますよ」という証言も。 「スケーターを募集してオーディションで選ぶのも初めてのこと。ほとんどが年下ですし、やるからにはいいものにしたい。先生もいないので、日々改善しながらみんなで上を目指したいと思っています。プロデューサーが向いているかわからないけど、とりあえず今は、目の前にあることを必死でやっています(笑)」
もらったパワーと勇気を今度は私が送りたい
今年の2月には、福島県川俣町にある天然のスケート場“田んぼリンク”を3年ぶりに訪れた。当時、原発避難区域に指定されていた場所だ。 「3年前に行った時はリンクもクローズしている状態でしたし、本当に人通りが少なくてちょっと悲しい気持ちになったんです。でも今は新しいお店もできてきて、少しずつ元に戻っていることを感じました。田んぼリンクは、地元の方が夜に水をまいて、本当に全部手づくりしているもの。私もお手伝いしたけどすごく大変で。あらためて、リンクを整備してくださる方がいるからスケートが滑れていたんだなと実感しました」 その存在で周囲にパワーを与えられるのは、限られた人物だけ。地元の小・中学生と触れあい、自分ができることも再認識した。 「きっと震災ですごく怖い思いや悲しい思いをしてきたと思うんです。それでもがんばって生活している姿を見て私もパワーをもらいましたし、笑顔で一緒にスケートができたことはうれしかったです。福島でも『サンクスツアー』を開催しますし、これまで行けなかった場所に出向けるのは現役をやめたから。今までみなさんからもらってきたパワーや勇気を、今度は私が送る番。たくさんの方に観にきていただきたいです」
(以下、MORE6月号では気になる恋愛・結婚観や趣味など「27歳の現在地」を大いに語ってくれました。そちらは本誌でチェック!)
取材・文/松山 梢 撮影/川島小鳥 ヘア&メイク/陶山恵実(ROI) スタイリスト/清水奈緒美
自身初のフォトエッセイ『また、この場所で』、5/2発売!
現役引退から1 年。“第二のスケート人生”のスタートラインに立つ浅田真央。写真家・川島小鳥が福島、名古屋で完全撮り下ろした写真とともに現在の心境を書きつづる自身初のフォトエッセイ! 本人の印税は全額、東日本大震災で被災した子どもたちを支援している「Support Our Kids」に寄付される。5 / 2 発売(集英社 ¥1296)