12星座全体の運勢

「大きなリズムや流れと協調しよう」 

立夏をすぎ、すっかり太陽がまぶしい季節に入って、街では日傘をさしている人もちらほら見かけるようになってきた5月16日には、さそり座25度(数えで26度)で満月を迎えていきます。 

さそり座26度のサビアンシンボルは「新しい土地でキャンプするネイティブアメリカン」で、キーワードは「臨機応変」。ここでの「ネイティブアメリカン」とは、「自然と調和して生きている人」の象徴であり、彼らは人生に対してなにか過剰な要求をすることがない代わりに、自身の内側から新しい欲求が湧き出てくるごとに、それにふさわしい場所へと直感的にたどり着くことができます。 

26度というのは、外部への志向性が生まれる度数なのですが、今回は固定宮の終わり際で起きる満月で、かつ「硬直化したシステムや慣習」を意味する土星を巻き込んだ形で起こるため、柔軟宮に特有の“流動性”がひときわ強調されやすい配置と言えます。 

今回の満月では、これまでしがみついてきた“正しい”やり方や“揺るぎない常識”とされてきたものの息苦しさや不自然さに改めて気が付き、そこから自然と離れていくアクションや気持ちの動きが出てきやすいでしょう。 

土星は特定の社会の枠内だけで通用する常識や考え方を表しますが、「ネイティブアメリカン」が依拠している「自然」は、そうした狭い常識や考え方を相対化するより大きな生態系のリズムとともに絶えず動いており、そうした大きなリズムや時代潮流と協調して機能していくことに自分らしさを感じていけるかが、今期は問われていくはずです。 
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乙女座(おとめ座)

今期のおとめ座のキーワードは、「徳を備えた学者であれ」。

乙女座のイラスト
現代人が個人主義を放棄することはもはや難しいと思いますが、個であるという状態に留まり続けることの困難や限界(弧)については、昨今政府や役所側が推進している「自己責任論」がいかに苦しい立場にある人たちを追い込んでしまっているかという議論に限らず、いま多くの人びとが痛感しているところではないでしょうか。 
 
例えば、教会や聖職者さえも要らないのではないか、個であるままにキリストと結びつくこともできるのではないか、という日本独自の「無教会」という立場を提唱したキリスト教思想家・内村鑑三は、日本が近代化を推し進めていた明治時代にはすでにそうした問題意識を抱いていました。 
 
そして内村の主著とも言える『代表的日本人』では、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の五人の生涯を取り上げられているのですが、これは単に過去の歴史的に有名な人物というよりも、時を超えて日本人の心に生き続け、語りかけていくだろう「永遠の人」を見出そうとしていることが分かります。中でも、内村が同じ教育者として深く敬愛していたのが江戸時代初期の儒学者・中江藤樹でした。 
 
“学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。学識は学才であって、生まれつきその才能をもつ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけではただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である。」 
 
ここで言う「学識」とは、専門的知識あるいは高度な情報と言い換えられますが、それは何かについての間接的な情報であって、いくらそれをたくさん持っていたとしても、その対象を直接知ってたことにはなりません。 
 
その点、内村は中江藤樹との内的対話を通じて、情報ないし知識を得ることと叡智に出会うことはまったく違うことなのだと強調している訳ですが、後者の核は端的に言えば「与えられるもの、訪れるもの」としての「徳」であり、その根源こそ内村が取り上げた五人の人物をつらぬいて脈々と息づいてきた、彼らを越えた存在としての「天」でした。 
 
つまり、人間が何かをするのではなく、人間は無私になって天の道具になるのがもっとも美しく、天の声に耳を澄まし、天の命を聞き届けていく態度こそが「徳」であり、それによって培われるものこそが叡智に他ならないのだと、内村は考えていたのでしょう。 
 
その意味で、16日におとめ座から数えて「知の力」を意味する3番目のさそり座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、無学者の精神に立ち返って知識ではなく叡智をこそ仰ぐべし。 
 
 
参考:内村鑑三『代表的日本人』(岩波文庫) 
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<プロフィール>
慶應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ