from ブレイディみかこ & MORE 新しい季節、20代の女子たちへスペシャルエッセイ

MOREで毎号エッセイを連載するブレイディみかこさんから、春、新生活を迎える20代の皆さんの背中をそっと押してくれるような言葉のエールが届きました。

ブレイディみかこプロフィール

ライター、コラムニスト
ブレイディみかこ

英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。本誌では読者との座談会をもとに、20代の現状を独自の視点で切り取ったエッセイ「心を溶かす、水曜日」を連載中

── このワクワク感が人類を未知の領域に進めるものだ。

飯豊まりえ

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新生活。それは春になるといろんなところで目にする言葉だ。新生活キャンペーン、新生活応援セット、新生活スタート特集。でも、新生活とは何だろう?

新しい生活。それは古い生活が終了することの言い換えである。慣れ親しんできたライフスタイルを捨てること、周囲の人々を含めた環境が変わること。これは入学や就職、転勤といったわかりやすい変化だけではない。特に20代は自分だってまだ足もとがおぼつかないのに、新しい後輩たちが職場に入ってきて、いきなり指導やアドバイスを求められる立場になることもある。ディープに考えると、これは大変だ。これまでの頼りない自分とは決別しなければいけない気分になる。

とはいえ、人間というものはおめでたい存在でもあるから、新しい環境にワクワクする部分もある。たぶん、このワクワク感が人類を未知の領域に進めるものだ。それは新しいことを始めるときの不安を相殺するものだからである。

── 飛び出すこと、知らない人やモノに出会うことは自分の世界を広げること。

飯豊まりえ

このワクワク感があるからこそ、人はいきなり空を飛ぼうと思ったり、知らない言語を読んでみたいと思ったり、コンピューターで見知らぬ人たちと同時につながりたくなったりして、自分たちの世界を広げてきた。そう考えると、新生活とは、生活を拡張することでもある。慣れ親しんだ環境から飛び出すこと、知らない人やモノに出会うことは、自分の世界を広げることだからだ。

むかし、海の向こうのアメリカで人種差別と闘ったキング牧師という人は、白人と非白人が区別され、別の施設を使うことすら当然視されていた時代を終わらせたかった。だが、人々の常識を新しくするのは難しい。そんなことは不可能だと言う人々もいる。だけど、ひるんではいけないという信条を持ち続けた彼の有名な言葉がある。「疑わず、一段目の階段を上りなさい。階段のすべてが見えなくてもいい。ただ一段目を上りなさい」

新しい何かを始めるとき、「疑い」はつきものだ。私たちは、つい自分を疑い、不安に襲われる。この不安の根源にあるのは、たぶん「失敗するんじゃないか」という恐れだろう。未知の世界と失敗のリスクを天秤にかけて、やる前から後悔するときだってある。

あなたたちの周りには、いたずらに不安をあおる人たちがいるかもしれない。第一印象で9割は決まるとか、最初の第一歩でつまずいたらもう終わりとか、まるで新生活は生涯に一度しか訪れないようなことを言うのだ。

── そこにある世界のすべてはまだ見えなくて(見えないからこそ)いいのである。

飯豊まりえ

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しかし、長く生きるとわかるが、人生には新生活が何度も訪れる。異動、昇進、結婚、出産、離職、起業、再就職、海外移転、そのうち別の惑星への移転なんてこともあるかもしれない。そのたびに私たちは新しい階段の一段目を上る。つまり、あなたが始めようとしている新生活は、これからも何度も訪れる新生活のうちのひとつにすぎないのだ。だから、たとえ一度ぐらい失敗したとしても、実はたいしたことではない。そもそも、出だしで転んだら、どうすれば転ぶのかわかれば次からは転ばなくなるし、細心の注意を払って転ばないように上ったところで、その階段は自分が思っていた場所にたどり着かないとわかって下りたくなることもある。キング牧師の言う通り、階段のすべてはまだ見えないからだ。

そして、見えないからこそ階段を上るのは面白い。それは見たことがないほど美しい階段かもしれないし、刺激的な風景を見せてくれる階段かもしれないからだ。だけどそれにしたって、とにかく上ってみなければわからない。

だから、いまはただワクワク感をたいせつに階段を上り始めよう。疑わず、とりあえず一歩を踏み出してみるのだ。そこにある世界のすべてはまだ見えなくて(見えないからこそ)いいのだから。

頭の筋肉をほぐし、肩の力を抜いて、行ってらっしゃい。

飯豊まりえ

エッセイ/ブレイディみかこ 撮影/吉田 崇 ヘア&メイク/川添カユミ(ilumini.) モデル/飯豊まりえ スタイリスト/大平典子  ※MORE2023年5月号掲載