ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』

がんばったのにまだ週の半分……。ため息が出そうな水曜日のあなたを解放するエッセイ連載。

vol.14 ナイチンゲールの卵たち

ブレイディみかこさん連載『心を溶かす、水曜日』

友人の政治学者がナイチンゲールについての本を書いているらしい。それを知った時、思わず飲んでいたコーヒーを吹きそうになった。彼が書いている過激な本たちと、『メンソレータム』の白衣のナース(実際にはモデルはナイチンゲールではないらしいが、私のようにそう思っている人は多い)の愛らしさがあまりにもミスマッチで、びっくりしてしまったのだ。しかし、調べてみるとナイチンゲールはけっこう闘う女性だったらしい。相手が誰であろうとはっきりものを言う人で、軍医が備蓄の薬を出し惜しみすると、負傷兵のために斧で木箱をたたき割り、中の薬を奪ったりするような一面を持っていたという。

たしかに英国の女性たちには「やる時はやる」気配がある。現代の若い女の子たちもそうで、息子の友達を見ていてもそれは明らかだ(いわゆるZ世代と呼ばれる年代ほどその傾向が強いかもしれない)。女の子が自分の考えをはっきりと主張できる社会には、それを受け入れる環境がある。そんなことを考えていると、これまでモア読者世代の日本の女性たちとの座談会で聞いた言葉を思い出してしまう。

「『若いからどうせわからないだろう』と決めつけられて……。だから、いつからか自分の意見は言わないで、言われるとおりに仕事をするようになりました」

「場をなごませようと努力していたら、『お前はもうしょうがないなあ』とか言って笑われるキャラになりました。本当は仕事に対する意見もあるし、もっとできるのに、年上の男性ばかりの職場で、そういうキャラは求められていないのかなって考えるようになりました」

「本来は自分の考えをはっきり言うほうだと思いますけど、職場では無口な人を演じています。年齢が近い若い社員もいないし、言ってもしかたがないから黙っていたほうが楽で」

モア読者世代の女性たちは、自分の声を聞いてもらいにくい二重のハンディを抱えている。まず、「若い」ということだ。「若者はものごとがわからない」と言う年長者たちはむかしから存在する。が、今は若者の数が少ない時代だ。つまり、むかしよりいっそう若者の声が聞いてもらいにくい状況なのだ。さらに、「女性」というハンディもある。世界ジェンダーギャップ指数ランキングの日本の順位を挙げるまでもなく、まだまだ「もの申す女性」への風当たりは強い。若いうえに女性であるという二重のハンディを背負っていれば、無口な人か、おバカキャラを演じるかして、自分を守るしかない場合もあるだろう。

だけど、これは職場にとって(社会全体にとっても)大きな損失だ。前述のナイチンゲールだって、19世紀の英国の女性の地位は今よりずっと低かったのだから、「もの申す」ことへのバッシングも強かったはずだ。しかし、彼女が自分の考えを言ったから、英国の医療統計学や感染予防策は劇的に進んだのである。

自分の考えを言えないモヤつきがマックスに高まった水曜日。何をしても気持ちが晴れない夜には、思いきって自分の言いたいことを書き出してみよう。なぜそう思うのか、どうすればいいか、自分の考えを掘り下げてみるのだ。そこには職場が抱えている本質的な問題や、革新的なアイデアが潜んでいる可能性がある。こういう作業はむだにならない。それを言える環境に移動した時(転職を含む)必ず役に立つ。だけど、現在の職場にひとりでもあなたの声を聞かせる価値のある人がいると思ったら、自分が書き出したことを整理して聞かせてみるのもいい。こういう若い女性のキャラは求められていないとか、誰にも聞いてもらえないという前提こそが、自分の固定観念であり、けっして突き崩すことのできない壁ではなかったという新たな事実がわかるかもしれないからである。

忘れないでほしい。開く扉は必ずある。あなたたちはナイチンゲールの卵なのである。

PROFILE

ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数

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イラスト/Aki Ishibashi ※MORE2023年11月号掲載