ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』

日々のモヤモヤを、ちょっとだけグチりたい……。そんな悩めるMORE読者世代の女性たちに贈る、ブレイディみかこさんからのメッセージ。「がんばったのにまだ週の半分……」とため息が出そうな水曜日の私たちを、言葉と共に解放してくれるエッセイ連載です。

上の世代と下の世代、どちらの気持ちもわかるからこそ

女性が板挟みになっているイラスト

最近、MOREの読者世代の方々との座談会で、ある種の世代論に花が咲いた。 その日の参加者たちは、20代後半から30代前半の女性たちで、職種も職場の規模も違う人々だったが、彼女たちがある点で同意していたのである。それは、下の世代に対するちょっとした違和感だった。

「Z世代のドライさや、『正しさ』志向についていけなくなる時がある」

「下の世代には上司との壁がなく、はっきりと物を申すので驚いてしまう」

「新たな風を感じている。でも、同時にその風についていけない自分もいる」


この違和感は、彼女たちの「板ばさみになっている」感覚ともつながっているようだ。

「私たちは、ちょっと昔の感覚を教えられた最後の世代なんだと思う」

「飲み会のマナーとかを叩きこまれた世代なので、下の世代の人たちのようにきっぱり割り切れない部分もある」

こうした言葉を聞いていると、彼女たちは、きっとエンパシーの働く、そしてそれゆえに有能な人たちなんだろうと思う。考え方の古い上司のダメな部分もわかるし、下の世代の経験の少なさからくる思いやりのなさとか、柔軟性のなさもわかる。そして彼らがどうしてそうなってしまうのかを想像することもできるし、上の世代と下の世代の(あまり賛成できない)主張の背景も理解できてしまう。だからすっぽりとその間にはまり込んでしまうつらさ。座談会に出席した女性たちは、多かれ少なかれこの感覚を経験しているようだった。 この連載を始めた時、初めての座談会に参加してくれた女性たちに「革命は愚痴から始まる」と私は言った。が、今回、この「板ばさみになっている」感覚について話し合っていた時、彼女たちからこのような言葉が飛び出したのである。 「若い子たちは会社の慣行を愚痴るし、上司は上司で部下がなってないと愚痴る。けど、中間の立場になると愚痴れないんですよね」

うーむ、と思った。「わかる」と思ってしまう自分もいるからだ。なぜなら、こういうことは世代とは関係ないところでも起こり得る。まったく正反対の性格をした友人たちの間に立って遊びやイベントを調整する時、互いの文句ばかり言っているカップルのどちらもが友人である場合などにも、私たちは、この「中間のスポット」にはまり込みがちだ。板ばさみになると、どうしても調停役に回ってしまって、自分の言いたいことは言えなくなるのだ。 

「板ばさみ=調停役」ではない

対等な関係のイラスト

しかし、第三の立場には「調停役」という役割しかないのだろうか。二つの極に人々が分かれている時、どちらにも属さない人はその真ん中にいるしかないのか、ということである。むしろ、あなたは第三の極であり、一つ目の極の人とも、二つ目の極の人とも、違うのだと考えてみたらどうだろう。古くさい考え方の問題点もわかるし、頭ごなしにそれを否定する傲慢さもわかるという時点で、あなたたちはすでに前者とも後者とも違っている。だからこそ、両者とは違う視点を持っているのだ。さらに言えば、第四の極とか、第五の極とかもあっていい。豊富な極が存在するところが多様性のある場所なのだから。

「水曜日」は英語で「ハンプ・デイ」と呼ばれてきた。月曜日から金曜日までをハンプ(小山)のような曲線に見立てれば、水曜日が頂上の位置(つまりストレスやきつさが最高に達する場所)になるので、「ハンプ・デイ」というわけだ。 「ハンプ・デイ」にはみんな愚痴るべきだ。「愚痴を言えない」立場なんて、やっぱりあってはいけないのだ。なぜなら、第三極からの愚痴は、上の世代も下の世代も気づけない重要な何かを含んでいる可能性が大いにある。最も建設的な愚痴(そこは本当に変える必要があると人々が納得するような愚痴)を発することができるのは、これまで黙っていたあなたかもしれない。

PROFILE

ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数

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イラスト/Aki Ishibashi