職場という小さな「世間」と「私」【ブレイディみかこ連載】
ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』
日々のモヤモヤを、ちょっとだけグチりたい……。そんな悩める女性たちに贈る、ブレイディみかこさんからのメッセージ。「がんばったのにまだ週の半分……」とため息が出そうな水曜日の私たちを、言葉と共に解放してくれるエッセイ連載です。
私たちにとっての「世間」って何だろう?
MORE読者世代の女性たちとの座談会に参加したNさんが、「このところオフィスに居づらくなって‥‥‥」とため息をついた。
「仕事のメンターが、たまたま同世代の男性なんです。お互い恋愛感情とかは全然ないし、単に仕事のことをいろいろ教えてもらっているだけなんですけど、周囲の女性たちがそうは見てくれなくて‥‥‥」
座談会でよく話題になるのが、「職場の女性たちの視線」問題である。Nさんのメンターの男性は既婚者でもあり、それが同僚の女性たちの視線をいっそうトゲトゲしいものにしているようだ。
「オフィスでの男性との接し方が本当に難しいなと思います」
「でも、メンターなんだったら、別に悪いことしているわけじゃないんだから、堂々としていればいいんじゃない?」と言うと、彼女は答えた。
「正論はそうなんですけど、でも‥‥‥距離を取ったほうがいいのかなって思い始めています。小さい会社なので、『女性社員はみんな仲よし』みたいな感じだから、その空気を壊せないっていうか」
これは、いわゆる「世間」と「私」問題だろう。自分のためになるもの、自分にとって必要なものでも、世間が眉をひそめる場合には手放したほうがよい。世間のほうが間違っていようが、勘違いしていようが、そんなことは関係ない。なぜなら、世間からつまはじきにされたら個人は居づらくなるから、という考え方である。
けど、世間って何だろう? それって本当にそれほど強力なものなのだろうか?
─ハブられる勇気を持とう
世間とは、魔法の絨毯みたいなものだと私は思う。みんな自分の靴を脱いで裸足で乗ってこい、乗ったら空を飛ばせてやるからと絨毯は誘ってくる。確かにそこに乗っている間はみんなと一緒だから安心だし、絨毯が調子よく飛んでいる時期もあるだろう。
だが、それは魔法の絨毯だから、永遠には飛ばない。魔術の力が切れたらいきなり墜落したり、徐々に地に落ちたりする。最初からまったく空を飛んでいなかったのに、催眠術でそんな気分にさせられていた場合もあるだろう。絨毯が地面に落ちたら、自分の靴を履いて、自分の足で歩き出すしかない。自分の靴で歩きながら、たまに他者の靴を履いてみたりして、他人の心情を想像し合い、寄り添ったり離れたりしながら進む。それが人生なんだと悟った時、人は気づくのだ。あの絨毯は単なる幻想であり、実際には存在しなかった(なにしろ、魔法で飛ぶのだから)のだと。
職場もまた狭い世間である。その圧力に耐えられなくなり、理不尽なことでも飲み込もうとしている水曜日のあなたに伝えたい。
ハブられる勇気を持とう。
魔法の絨毯にハブられたところで、存在しないものに仲間はずれにされるようなものだ。長い目で見れば痛くも痒くもない。それよりも何よりも、大事なのは自分の靴を見失わないこと。現在の職場でも、次の職場でも、これからの人生であなたを助けてくれる知識やスキルを得る機会を、絨毯にハブられるからと諦めて、自分の靴を明け渡す必要はない。
きちんと自分の靴を履いて立っていれば、裸足で絨毯に乗っていた人の中にも、自分の靴を履き直す人がいるかもしれない。「乗ってるふりをしていたけど、けっこうきつかった」とあなたに近づいてくる人もいるかもしれない。そしたらこれは「なんとなく仲よしこよし」とは違う、実体のある人間同士のお付き合いになるだろう。
水曜日は、自分の靴をきちんと履けているかどうか確認する日にしよう。あなたはいま、自分の足に合った、ずっと遠いところまで歩いて行ける靴を履いているだろうか。行きたい場所にあなたを連れていってくれるのは、あなた自身と、履き心地のいい靴だ。靴の大切さを知る人は、魔法の絨毯の非実在性を知る人でもある。
PROFILE
ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数
イラスト/Aki Ishibashi