ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』

がんばったのにまだ週の半分……。ため息が出そうな水曜日のあなたを解放するエッセイ連載。

vol.09 友情のソーシャル・ディスタンス

ブレイディみかこさん連載『心を溶かす、水曜日』
3年前には誰も知らなかったのに、いまや誰でも知っている言葉になったのがソーシャル・ディスタンスだ。直訳すれば「社会的距離」。新しいコンセプトのように考えがちだが、実はむかしからわたしたちは違う環境で暮らす人とは距離を置いて暮らしてきたのではなかったか。たとえば政治家のおじさんに若い世代の悩みが理解できなかったり、独身男性には若いママたちが直面する問題がわからなかったりするのも、このソーシャル・ディスタンスが存在するせいである。

MORE読者世代の方々との座談会で、女性の友情に関する話になったときそんなことを考えていた。複数の女性が、年齢を重ねるとともに、学生の頃からの友人たちとの間に距離が生まれてきたと言ったからだ。

「大人になると友人って減るのかなあって……」としみじみ言ったのは26歳のMさんだった。学生時代にはわいわい何でも語り合えた友人とも、このぐらいの年齢になると年収差も出てくるし、結婚観の違いも明らかになってくる。子どもができた友人とはなかなか会えなくなるし、地元に残った友人と東京に出た自分では価値観も違う。話をしていてもすれ違ったり、「言ってもわかってもらえないだろう」と思って話さないことが増え、以前のようには気楽に語り合えなくなるというのだ。

これはシンパシーとエンパシーの話にもつながる。二つの言葉は語感も意味も似ているので混乱されやすいが、シンパシーは共鳴や共感、つまり「わかる~」とか「いいね!」みたいな感情を意味する。一方、エンパシーは単純な共感ではない。同意できない相手や理解に苦しむ相手であろうとも、他者が置かれた環境や立場を想像し、理解しようと努めることだ。これを先ほどの友情の話にあてはめてみると、学生時代にはみんな同じ地点にいたので、「わかる~」で盛り上がることができた。でも、それぞれのライフステージが変わってくるとそう簡単に感情移入できることばかりではなくなってくる。つまり、シンパシーだけで成立していた友情が、エンパシーを必要とする時期が来たのだ。

エンパシーが必要な友情は、はっきり言って面倒くさい。でも、諦めずに育てる価値はある。たとえばわたしの親友は中東出身だ。彼女はイスラム教徒なので、結婚観や女性の問題についてはわたしと意見が食い違う部分がある。でも、だからこそ、「どうしてそう考えるの?」と相手に聞かれたとき、「いや、イギリスではふつうそうだから」ではごまかせない。自分が「当然」と思っている根拠は何なのか、深いところまで掘り下げて考えるようになる。つまりこの友人はわたしに、自分の頭で考える機会を与えてくれるのだ。

加えて、自分では思いもよらなかった視点をくれるのもこういう友人だ。たとえば、同じように会社員として働いている友人なら「うちもそうだよ」と慰め合って終わることでも、自営業者の友人なら「そんなのバカバカしいから、自分で何か始めてみたら」と提案するかもしれない。ママ友どうしで子どもの発達度を比べるのがつらくなっているときに「子どもはみんな違うでしょ」と客観的な目線で言ってくれるのは子どものいない友人だろう。息苦しい日々に新たな突破口を開いてくれるのは、異なる環境にいる人人なのだ。「わかる~」の関係は気楽だけど、狭い金魚鉢みたいなものでだんだん空気が薄くなってくる。

さて、そろそろ週末の計画を立てたくなる水曜日が来た。なんとなく距離ができてきた友人に、思い切って連絡してみるのはどうだろう。あなたの視野を広げてくれるかもしれない人たちとソーシャル・ディスタンスを取っているなんてもったいないからだ。「そんな世界があるなんて知らなかった」「えっ、どうしてそんな風に考えるの?」という会話の中にこそ、あなたの扉を開く鍵は潜んでいるのだ。

PROFILE

ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数
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イラスト/Aki Ishibashi ※MORE2023年3・4月合併号掲載