12星座全体の運勢

「月を呑む」

10月1日は「仲秋の名月」です。旧暦8月15日の夜に見えるまあるい月のことを、昔から「月見る月はこの月の月」といって心待ちにされてきました。

厳密には正確に満月となるのは10月2日の早朝ですが、十五夜の翌日は「十六夜(いざよい)」、前日の月は「待宵(まつよい)」としていずれも大切にされ、その際、月に照らされていつもより際立って見える風景や、月を見ることでやはり美しく照り映える心の在り様のことを「月映え(つきばえ)」と言いました。

そして、そんな今回の満月のテーマは「有機的な全体性」。すなわち、できるかぎりエゴイズムに毒されず、偏った見方に陥らないような仕方で、内なる世界と外なる現実をひとつのビジョンの中に結びつけ、物事をクリアに見通していくこと。

ちなみに江戸時代の吉原では、寿命が延びるとして酒を注いだ杯に十五夜の月を映して飲んでいたのだとか。どうしても手がふるえてしまいますから、水面にまるい月を映すことは難しかったはずですが、綺麗なビジョンを見ようとすることの困難もそれとどこか相通じているように思います。ただ、透き通った光を飲み干すと、昔の人は何か説明のできない不思議な力が宿ったように感じたのかも知れません。

双子座(ふたご座)

今期のふたご座のキーワードは、「幸福論」。

ふたご座のイラスト
20世紀を過ぎて、アリストテレスから近代のモラリストたち、そして功利主義まで伝統的に書き継がれてきた幸福論はぱたりと書かれなくなり、代わりに不幸論や苦悩論が盛んに書かれるようになりました。

ナチスに協力した一般人の心理的傾向を研究した、ドイツ出身のユダヤ人思想家アドルノなどは「アウシュビッツのあとで詩を書くことは野蛮である」とまで書いた訳ですが、確かに、おいしいものを食べるのであれ、愛する人と心ゆくまで肌を重ねるのであれ、陶酔の後には必ず倦怠が訪れ、幸福とは束の間しか続かないかりそめのものであり、むしろ不幸なときに養われる一つの幻想、実体のないイメージに過ぎないのだとも言えます。

ただ、一方で日本の歌人・劇作家の寺山修司(1935~1983)は「幸福の相場を下落させているのは、幸福自身ではなく、むしろ幸福という言葉を軽蔑している私たち自身にほかならない」と言い、さらに「幸福が終わったところからしか『幸福論』がはじまらないのだとしたら、それは何と不毛なものであることだろう」と続けたのです。

イメージであっても、一瞬であったとしても、それでもいいではないか。幸福について考える時ほど、自分を時のなかを漂い、流れゆく存在であることを痛いほど思い知らされることはない。だからこそ、一瞬しか訪れることのない幸福のイメージを、私たちは自分の手で豊かに膨らませていかなければならないのではないか。寺山の言葉は、そんな風に語りかけているように思います。

「幸福について語るとき位、ことばは鳥のように自分の小宇宙をもって、羽ばたいてほしかった。せめて、汽車の汽笛ぐらいのはげましと、なつかしさをこめて。」

今期のふたご座もまた、みずからに訪れた幸福や、これから掴み取りたい幸福について、縦横に語りあい、またひとりそのイメージをしんしんと、たおやかに広げていきたいところです。


参考:寺山修司『幸福論』(角川文庫)
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<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ