12星座全体の運勢

「新たな習慣、新たな取り組み」

10月8日を過ぎると二十四節気では「寒露」に入り、晩秋を迎えます。「晩秋」というと、どこか寂しさをそそりますが、旧暦の時代には10月のことをさまざまな言い方で表してきました。

例えば、稲を収穫することから「小田刈月(おだかりづき)」、また菊も咲き始めるので「菊月」、木の葉が染まり出し、梨や柿や金柑など、さまざまな果実も実りのときを迎えていくので「色取月(いろとりづき)」など。

まさに心豊かに過ごせる時期と言えますが、そんな中、10月17日にはてんびん座で新月を迎えていきます。今期のテーマは「蝶の第三の羽」。

蝶は古来より「霊的な復活のプロセスの結末」を表すシンボルであり、二枚の羽の代わりに三枚の羽を持っているなら、霊的生活の観点において特別な発達があったことを示していますし、また「3」という数字は「充足」の象徴でもあります。

すなわち、合理的知性では説明がつかない新たな可能性を秘めた習慣や試み、突然変異的な取り組みを生活の中に取り込んでいく機運が高まっていきやすいタイミングなのだと言えるでしょう。

充実した秋の夜長を過ごすべく、これまでは手が伸びなかったような新しい何かに打ち込んでいくのにもうってつけかも知れません。

牡羊座(おひつじ座)

今期のおひつじ座のキーワードは、「顔という現象」。

牡羊座のイラスト
雑誌の表紙や朝のニュース番組、お気に入りのYoutuber、駅構内や電車内のポスターなど、都市は顔で充ちている一方で、ひと昔前に比べると“顔という現象”はひどくうすっぺらいものになってきたように思えます。

この顔ということについて独特の角度から考察を加えたのが、ユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスでした。

レヴィナスによれば、私たちの顔はおよそ正直そのものだが無防備であり、人によっては「慎み深い露出」を行っていたりもするが、本質的には<貧しい>ものであると言う。人がことさら気取った表情をしたり、平静を装ったりするのも、実はこの貧しさを隠すためなのだ、と。

ここでレヴィナスが<貧しい>という言葉で言おうとしているのは、「ヴァルネラビリティ(傷つきやすさ)」とも言い換えることができるでしょう。だからこそ、他人の顔との関わり=顔という現象との向き合い方には、必然的に倫理的なものが求められてくるのです。

顔とは殺すことのできないものであり、少なくとも「汝殺すなかれ」と語りかけるところに、顔の意味がある

そう、顔とは、本来見られることへの呼びかけとしてそこに在るものであり、そうであればこそ、そこに迫りくるような力が宿ってくる。

けれど、テレビや動画配信などによる一方的な顔との関わりを通じ、相手の顔をじろじろ見たり、何のひけ目もなく観察することにあまりに慣れ過ぎれば、まなざしまなざされる他人からのまなざしの中で立ち上がってくる顔という現象はますます貧しくなり、いずれは顔に何も感じなくなりかねないのではないでしょうか。

今期のおひつじ座もまた、顔という自分の在り様を正直に露呈する鏡のようなものを通して他人に語り、また相手の顔に応答することを通して対話するということを、改めて意識していきたいところです。

そうして、自分や相手の顔がしばらくすると「いい顔」になっていたり、逆に「よくない顔」になっていたりといった、微妙な変化に気付いて、それを積み重ねていくことが、顔という現象を少なからず豊かなものにしてくれるはず。


参考:レヴィナス、西山雄二訳『倫理と無限』(ちくま学芸文庫)
12星座占い<10/4~10/17>まとめはこちら
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ