【天秤座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<12/13~12/26> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー

12星座全体の運勢

「いのちの感触」

 一年で最も太陽の力が弱まる時期である冬至を過ぎた最初の満月は12月30日に、しかも月の力が最も強まるかに座で迎えていきます。 

この満月のキーワードは、「ふれる」。あるいは、“知ること”をめぐる繊細な探求と、いのちあるものを理解することにおける半永久的なつかみどころのなさ。 

「琴線にふれる」という言葉が、心の奥に秘められた感じやすい心情を刺激し感動や共鳴を与えることを言うように、「ふれる」という体験はただちに相互的な関わりのきっかけとなり、個人という枠を超えて溢れだし、包み込むいのちの感覚につながっていくところがあります。 

しかし、これが「さわる」という言葉になった途端、人間的なあたたかみは消え失せて、ただモノとして確かめたり、操作したりといった一方的な関わりが思い起こされるはず。 

かつては日本では元日の朝に、一番に汲み取った「若返る水」を供えて神棚に供える風習があり、これは月に関連する最も古い伝承に基づくものでした。 

月というのは、本来私たちの中のもっともデリケートな部分であり、いつだって懐かしく心そそられる、生命の根源としてそこにあります。おおみそかの前日、年内最後の満月にはぜひとも自分自身や身近な人のやわらかな部分とふれあうような感覚を思い出し、新しい年に備えてみるといいでしょう。 

天秤座(てんびん座)

今期のてんびん座のキーワードは、「非知へ向かった着地」。

天秤座のイラスト
21世紀のわたしたちは、ここ10年を振り返ってもつくづく地震や津波や放射能や疫病をこうむっており、科学の営為とその限界ということについて嫌というほど突きつけられているように思います。つまり、端的に言って「知」は人を救うことができるのか、ということについて。 
 
これと同型の問題を、やはり同じような社会状況で迎えていたのが、鎌倉時代の仏教者・親鸞(しんらん)でした(自然科学の知ではなく宗教の知ではあれど)。鎌倉時代は、干ばつや風水害、疾病で大飢饉が起き、元寇の襲来もあった多難な時代であり、その時代に親鸞は仏教者という立場から、女性や身分の低い階層民の救済ということを大きな課題とし、自分にできうることは何かについて追求していったのです。思想家の吉本隆明は『最後の親鸞』という論考において、このことを次のように語り始めています。 
 
「「老若男女」の多くが、飢えのために眼の前で死んでゆくとき、ただ「生死無常」を説くことは、現実の世界を諦めによって不動なものと定めてしまい、そこからの絶対的な跳び超しを与えるにすぎないのではないか。」 
 
ただ念仏を唱え飢えない来世を約束することは、最終解決には導かない。絶対的な危機に対して、全能の対応も、手軽なハンドブックのようなノウハウなどありえないのだ、と。 
 
所属する宗派や教団が解体してしまっても構わないというギリギリのところで、親鸞は「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや(善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる )」という有名な「悪人正機」という教説さえをも超えていこうとするのですが、そんな親鸞の“態度”について吉本は次のようにも述べています。 
 
<知識>にとって最後の課題は、頂きを究め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまましずかに<非知>に向かって着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。」 
 
言うまでもなくこの「そのまま」というのは誰しもが簡単にできることではありません。また、知において非知に着地することも、通常では困難でしょう。そう、あらゆる科学の知や、善意の行為もまた、必ず「非知」に突き当たって解体されるしかないのです(例えば「すべきだができない」というジレンマやそれが立ち現れる個別的状況において)。 
 
あるいは今期のてんびん座のテーマもまた、そんな“解体”にこそあるのかも知れません。 
 

参考:吉本隆明『最後の親鸞』(ちくま学芸文庫)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。

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