12星座全体の運勢

「呑み込むべき“寒九の水”を問う」 

2021年を迎えて最初の新月は1月13日にやぎ座の第三デカン(20から29度)で起こります。やぎ座の現実主義に水星の知性が加わるため、この新月では特に物事の本質を見抜く客観性が冴えわたっていくでしょう。 

二十四節気では1月5日より「小寒」に入ります。いわゆる「寒の入り」と言われ、冬至で「一陽」を得ることでかえって陰気が強まり、ますます冷えが厳しくなっていく頃合いとされています。そして、今回新月が起こる1月13日は寒の入りから9日目の「寒九」にあたり、昔からこの日の水(寒九の水)は特別な力が宿るとされ、餅をつくにも、お酒を造るにも、薬を飲むにも、珍重されてきましたが、この特別冷たい水こそが薬にも力にもなるという発想は、まさに今回の新月のテーマとも言えます。 

すなわち、人間が経験しうるもっとも純粋な自由というのは、厳しい規律や掟を受け入れ、従うことでこそ実現可能になるということ。さながら寒い時期ほど、一年を通して温度変化の少ない地下水さえもがあたたかく染み入るように感じられるように。あなたの人生に力を与え、解放させてくれるだけの「冷たさ=厳しい現実やその枠組み、ルール等」とは何か、それをいかに取り入れていけるかが今期 は問われていきそうです。 

双子座(ふたご座)

今期のふたご座のキーワードは、「謎の感覚」。

ふたご座のイラスト
こうした時勢において仕事で占いに関わっていると、どうしても「コロナはいつ収束しますか」と聞かれる機会がちらほらある。冗談めかして聞いてくる人もいるが、大抵は真剣なトーンで聞かれるので、こちらも困ってしまう。占いといってもそれはしょせん人の手でするものであり、神のみのぞ知るとしか言いようがない。そして“神”とは元来、沈黙する者であり、隠れたる神なのだ。 
 
20世紀を代表する宗教学者のルドルフ・オットーは、こうした神の幽暗で不可解なあり方に深く分け入り、神学が提示する神の合理的側面(「信じる者は救われる」等)に対して、非合理的側面を強調し、それは人間の神に対する戦慄的畏怖(ヌミノーゼ)において立ち現れるものと分析していった。 
 
例えば、処刑前夜のイエスが最後の晩餐後に祈りを捧げ、またユダに裏切られ捕えられた場所として知られるゲッセマネの夜のイエスの態度について、オットーは「この秘義と戦慄とのヌミノーゼの光に照らしかつそれを背景として、私たちは最後にまた、ゲッセマネの夜のイエスの苦闘を見、そしてそこでは何が問題であったかを理解し追感せねばならない」と前置きした上で、次のように問いかけてみせる。 
 
この魂の根底まで揺り動かす震駭と逡巡、この死ぬばかりの懊悩、この血の滴のように地上に流れる汗、これらは果して何の故であるか。普通の死の怖れだろうか。すでに一週間以来死を目前に見ていた者、明白な自覚をもって死の晩餐を弟子達と共にした者に、そんなことがあり得るだろうか。否、ここには死の怖れ以上のものがある。ここには、戦慄すべき秘義の前に、畏怖に満ちた謎の前に感じた被造者の畏がある。モーゼとその召使いとを夜「襲撃した」という伝説のヤハウェ、夜明けに至るまで神と格闘したという古伝説のヤコブが、それを解明する類例ならびに預言として、思い出されるではないか。」 
 
ここには、人間が人間に対して感じる不可解と同じレベルの死の恐怖を超えた、それ以上の「謎の感覚」があった。つまり、神の不可解がこの上なく拡大されていたのであり、そうであったからこそ、十字架にかけられたイエスの「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」という叫びにも似た問いかけはただ虚しく響くのではなく、相応の答えを得たのではないだろうか。 
 
そして今期のふたご座もまた、何かを問うという行為をこうした「謎の感覚」とどこまで連動させることできるかどうかを少なからず問われていくはずだ。 


参考:ルドルフ・オットー、山谷省吾訳『聖なるもの』(岩波文庫) 
12星座占い<12/27~1/9>まとめはこちら
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ