【乙女座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<1/10~1/23> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「裸のまんま」
2021年の最初の満月は「大寒」と「立春」のはざまにあたる1月29日、寒さのもっとも厳しくなる時期です。とはいえ、雪の間から蕗の薹が顔を出し、鶏が卵を産み始める頃ともされており、どこか新たな希望も兆していきます。
そんな今回のしし座満月のテーマは「ゾーエー」。これはギリシャ語で「剝き出しの生」の意味で、「社会的な生」である「ビオス」との対比で用いられる言葉です。両者はふだん区別がつかないように縫い合わされており、特につねに何かしていなければ落ち着かない現代人にとっては、前者はほとんどの場合、「私は〇〇をしています」とか「●●という会社に勤めています」といった後者の在り方に覆い尽くされているように思います。
しかし、立春が一年の節目であった旧暦では、立春前はいわば一年の穢れを祓う年越しの時期でもあった訳で、そのタイミングで迎える満月はいつの間にか見失いがちな「ゾーエー」、すなわち、できる限り身にまとっていた虚飾を脱いで、余計なこともせず、何もしないでただ在ること(being)のありがたみやその効用について思い出していくには、絶好の機会と言えます。
じつは節分の豆まきも、もともとは年越しの行事でした。今では節分は立春の前日一日だけの行事になってしまいましたが(2021年の節分は2月2日)、邪気を祓って幸せを祈る気持ちは変わらないはず。今期の満月前後の数日間は、ひとつそんな気持ちでただ存れるよう、試みてみるといいでしょう。
そんな今回のしし座満月のテーマは「ゾーエー」。これはギリシャ語で「剝き出しの生」の意味で、「社会的な生」である「ビオス」との対比で用いられる言葉です。両者はふだん区別がつかないように縫い合わされており、特につねに何かしていなければ落ち着かない現代人にとっては、前者はほとんどの場合、「私は〇〇をしています」とか「●●という会社に勤めています」といった後者の在り方に覆い尽くされているように思います。
しかし、立春が一年の節目であった旧暦では、立春前はいわば一年の穢れを祓う年越しの時期でもあった訳で、そのタイミングで迎える満月はいつの間にか見失いがちな「ゾーエー」、すなわち、できる限り身にまとっていた虚飾を脱いで、余計なこともせず、何もしないでただ在ること(being)のありがたみやその効用について思い出していくには、絶好の機会と言えます。
じつは節分の豆まきも、もともとは年越しの行事でした。今では節分は立春の前日一日だけの行事になってしまいましたが(2021年の節分は2月2日)、邪気を祓って幸せを祈る気持ちは変わらないはず。今期の満月前後の数日間は、ひとつそんな気持ちでただ存れるよう、試みてみるといいでしょう。
乙女座(おとめ座)
今期のおとめ座のキーワードは、「空気への参与と構築」。
イタリアの哲学者コッチャは、『植物の生の哲学』のなかで、「数百万年もの昔、動物的生命の可能性の条件を産み出し、世界を変容させたのは、他ならぬ植物だった」と前置きした上で、古代ギリシャのアナクサゴラスの「すべてがすべてのもとにある(パン・エン・パンティ)」という<混合>ないし<相互浸透>としての世界像をめぐって次のように述べています。
「「植物新世」こそが、世界が混合であること、そして世界のあらゆる存在は、世界がその存在の中にあるのと同じだけの強さをもって世界の内にあるということの、最も明確な証左なのである。」
ここで言及されている「混合」とは、世界においてあらゆるものが相互に浸透し合い、循環し、伝達しあっているという世界像のことであり、そこには時に私たちがプライベートや私有地という仕方で想像する空間的な不可入性はじつは幻想に過ぎないのだという指摘も含んでいます。
また、「植物新世」という言葉は明らかに、人間の活動が地球に地質学的なレベルの影響を与えていることを表す「人新世」という昨今よく耳にするようになってきた言葉を意識して書かれた記述でもありますが、コッチャはこの点についてもきちんと警鐘を鳴らしています。
「人新世という概念は、世界の実在それ自体を定義づけるものを、単一の営為、歴史的で否定的な営為へと変形してしまう、つまり自然を文化例外に、また人間を自然外の原因にしてしまうのだ。その概念は、とりわけ世界が常に生物の呼吸の現実をなしている事実を、顧みようとしない。」
つまり、コッチャのいう混合的世界像とは、すなわち世界は呼吸するということであり、世界に在るとは、つねに自然と人間、男と女、内と外、過去と未来など、あらゆる境界線を越えた超越的な「浸り」に参加するということに他ならないのです。
今期のおとめ座もまた、そうした息吹や空気の構築に参与していくという視点から、現在のコロナ禍を生きるということについて、考え直してみるといいでしょう。
参考:コッチャ、嶋崎正樹訳『植物の生の哲学』(勁草書房)
「「植物新世」こそが、世界が混合であること、そして世界のあらゆる存在は、世界がその存在の中にあるのと同じだけの強さをもって世界の内にあるということの、最も明確な証左なのである。」
ここで言及されている「混合」とは、世界においてあらゆるものが相互に浸透し合い、循環し、伝達しあっているという世界像のことであり、そこには時に私たちがプライベートや私有地という仕方で想像する空間的な不可入性はじつは幻想に過ぎないのだという指摘も含んでいます。
また、「植物新世」という言葉は明らかに、人間の活動が地球に地質学的なレベルの影響を与えていることを表す「人新世」という昨今よく耳にするようになってきた言葉を意識して書かれた記述でもありますが、コッチャはこの点についてもきちんと警鐘を鳴らしています。
「人新世という概念は、世界の実在それ自体を定義づけるものを、単一の営為、歴史的で否定的な営為へと変形してしまう、つまり自然を文化例外に、また人間を自然外の原因にしてしまうのだ。その概念は、とりわけ世界が常に生物の呼吸の現実をなしている事実を、顧みようとしない。」
つまり、コッチャのいう混合的世界像とは、すなわち世界は呼吸するということであり、世界に在るとは、つねに自然と人間、男と女、内と外、過去と未来など、あらゆる境界線を越えた超越的な「浸り」に参加するということに他ならないのです。
今期のおとめ座もまた、そうした息吹や空気の構築に参与していくという視点から、現在のコロナ禍を生きるということについて、考え直してみるといいでしょう。
参考:コッチャ、嶋崎正樹訳『植物の生の哲学』(勁草書房)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ