【最新12星座占い】<1/10~1/23>哲学派占い師SUGARさんの12星座占いまとめ 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモい

1月10日から1月23日までのSUGARの12星座占い

【SUGARさんの12星座占い】<1/10~1/23>の12星座全体の運勢は?

「裸のまんま」 

2021年の最初の満月は「大寒」と「立春」のはざまにあたる1月29日、寒さのもっとも厳しくなる時期です。とはいえ、雪の間から蕗の薹が顔を出し、鶏が卵を産み始める頃ともされており、どこか新たな希望も兆していきます。 

 そんな今回のしし座満月のテーマは「ゾーエー」。これはギリシャ語で「剝き出しの生」の意味で、「社会的な生」である「ビオス」との対比で用いられる言葉です。両者はふだん区別がつかないように縫い合わされており、特につねに何かしていなければ落ち着かない現代人にとっては、前者はほとんどの場合、「私は〇〇をしています」とか「●●という会社に勤めています」といった後者の在り方に覆い尽くされているように思います。 

 しかし、立春が一年の節目であった旧暦では、立春前はいわば一年の穢れを祓う年越しの時期でもあった訳で、そのタイミングで迎える満月はいつの間にか見失いがちな「ゾーエー」、すなわち、できる限り身にまとっていた虚飾を脱いで、余計なこともせず、何もしないでただ在ること(being)のありがたみやその効用について思い出していくには、絶好の機会と言えます。 

 じつは節分の豆まきも、もともとは年越しの行事でした。今では節分は立春の前日一日だけの行事になってしまいましたが(2021年の節分は2月2日)、邪気を祓って幸せを祈る気持ちは変わらないはず。今期の満月前後の数日間は、ひとつそんな気持ちでただ存れるよう、試みてみるといいでしょう。 

《牡羊座(おひつじ座)》(3/21〜4/19)

今期のおひつじ座のキーワードは、「閑暇の時代」。

牡羊座のイラスト
フランス革命に大いに影響を与えたジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)は、最晩年の随筆集『孤独な散歩者の夢想』の中で、自分の人生の分岐点となった決断を振り返って次のように書いています。 
 
「僕は青春の頃からこの四十歳という時代に目標をおいて、これを自己完成への最後の努力のときであり、自分のあらゆる抱負の終了期であると定めておいたのである。この年齢になったら、自分がいかなる境遇にあっても、それから逃れようなどともがくことはしまい、余生はのんびりしよう、そして、未来のことなどくよくよしまい、こう固く決心していた。その時は来たのである。僕はこの計画を難なく遂行した」 
 
実際にルソーは40歳を前に定職を辞し、楽譜の清書の仕事だけで生きていく(今でいうフリーランス)生き方へと転換し、それと時期を同じくして『学問芸術論』や『人間不平等起源論』などの主著を次々と発表し、思想家としての地歩を固めていきました。そしてそんなルソーの脳裏にあったのは、青春の盛りを過ごした田舎の閑静な生活でした。 
 
閑居における瞑想、自然の研究、宇宙の観察は、いきおい、孤独者をして、造物主の方にたえず向かわしめて、自分の目に映るあらゆるものの目的と、自分の心に感ずるあらゆるものの原因を、こころよい不安の念をもって探求せしめたのであった。運命が再び僕を世の風潮の中に投げ込むにおよんで、僕は、一時たりとも心を慰めてくれるような何物ももはやそこには見出さなくなった。そして、あの楽しかった閑暇の時代をなつかしむ心は、その後の僕にどこまでもつきまとってきて、幸運や栄達が得られるような、どんな手がかりが目の前に現れても、無関心と嫌悪を投げつけるのみだった」 
 
今期のおひつじ座もまた、ルソーのように自身に十分なヒマで心しずかでいられる時間を与えてやることがテーマとなっていきそうです。 
 

参考:ルソー、青柳瑞穂訳『孤独な散歩者の夢想』(新潮文庫) 

《牡牛座(おうし座)》(4/20〜5/20)

今期のおうし座のキーワードは、「新たな数式/死者の息づかい」。

牡牛座のイラスト
詩人の岸田将幸は「孤絶-角」という名の詩集の冒頭を、次のように書き出しました。 
 
まったく人のいない場所の発見、 
人が生き得る“呼吸場”―――。 
(呼吸広場、) 
“孤絶角” 
、は 
孤絶角度とそれぞれのではない空間によって成り、 
時間は“無限振動”=共振のあいだに留まる水量によって測られる」 
 
最初に読んだとき、これはまったく不可解な使命感に駆られた人が、その孤独のなかで慈悲深い絶望や、極限の関係に開かれていった際の感覚をなんとか表そうとしたもののように思えました。そしてこの詩のすぐ後には、今度は散文が続きます。 
 
「新たな数式を生まねばならない。きっとそれは次の人がぎりぎり踏み外すことのない足場になるはずだ。その数式は彼を沈黙させ、彼はしばらく別のところで生きて行かなければならなかったかもしれない。しかしだ、その別の場所を育んだのはある死者の息づかいの跡であったかもしれない。そうして彼はある死者の跡を引き受けつつ、また別の人を生かしめるために別の場所に立ったのかもしれない。」 
 
ここで言う「新たな数式」とは、例えば私たち一人ひとりによって未知の感情が発見されていったプロセスであり、さながら星と星とを結んで作られた夜空に浮かぶ無数の星座のようなものとも言えます。 
 
そしてそれらは、死者から生者へ、そしてまた次の生者へと、何十代何百代にもわたり、膨大な時間をかけて引き継がれていくものであり、そういうものを私たちは「孤絶」のなかでこそ受けとっていくことができるのではないでしょうか。 
 
今期のおうし座もまた、あるいは自分なりの「数式」を生み出していくための足がかりを見つけていこうとしているのかも知れません。 


参考:岸田将幸『岸田将幸詩集』(思潮社) 

《双子座(ふたご座)》(5/21〜6/21)

今期のふたご座のキーワードは、「ミソ・ドラマ」。

ふたご座のイラスト
河合隼雄の『こころの最終講義』に、非行少年のセラピーにミソ・ドラマ(神話劇)を使っているアラン・グッゲンビュールという人の興味深いエピソードが紹介されています。 
 
まずはじめに非行少年たちに部屋に集まってもらって、軽く名前を言い合ったり、お菓子を食べたりしつつ、みんなどこでも好きなところへ寝っ転がってもらったりして、身体をものすごくリラックスしてもらうのだそうです。そして、だいぶほぐれてきたなというところで、神話的な話をする。 
 
例えば、向こうから怪物が現れたとか、運命的な試練の旅に出なければいけなくなったとか、そういう神話的な状況を話して、途中でやめる。やめて、リラックスしている子供たちに、続きを考えて話をさせたり、劇をやってもらったりすると、非常に乗ってくる子が多いのだと。その際、特に印象的だったのが次の下りです。 
 
「そのときに行儀のよい話をするとみんな行儀が悪くなる。つまり「昔むかしよい子がおりました。朝からお母さんの言いつけ通りに仕事をしました」などというと、みんなウワーッてむちゃくちゃする。ところが、むちゃくちゃな話、つまり怪物が出てきたので怪物をボカンとやっつけたとか、そういう途方もない話をすると、みんなすごく行儀がよくなる」 
 
そもそも日常の枠におさまらず、それを超えようとした行為をやっているから「非行」少年な訳です。それは自分なりの物語を発見しようとしてそうしているのですが、うまくいかない。それをこういうやり方でうまく自分で探せるよう、取っ掛かりとつかめるよう、想像の世界を活性化させてやる。最初のひとなぎ、ふたなぎをこちらでやると、後は子供たちも自分でやりたくなる。そして最後に部屋を変えて、お菓子を食べたりしてもらいつつ、だんだん現実に戻していく。これはとてもうまいやり方ですね。 
 
今期のふたご座もまた、どうか行儀のよい話ではなく、できるだけむちゃくちゃな話、途方もない話に触れていきたいところです。 


参考:河合隼雄『こころの最終講義』(新潮文庫) 

《蟹座(かに座)》(6/22〜7/22)

今期のかに座のキーワードは、「私をめぐる切り絵作業」。

蟹座のイラスト
19世紀末から20世紀初頭にかけて生きたポール・ヴァレリーは「9歳か10歳のころ、わたしは自分の精神の島とも言うべきものをつくり始めたにちがいない」と書いているように、ある種の隠遁主義者であり、自分自身の精神をより積極的に発現させるための「方法」として、自分の分身エドモン・テストを巡る思索を手紙・日記などを含めた特異な連作小説『テスト氏』を生涯にわたって書き続けました。 
 
私は自分を自分が現実に所有している諸特性に還元しようと試みていた。自分の能力に対してはほとんどなんの信頼ももてなかった。ところが一方、自己嫌悪に必要なものなら、何でも自分の中になんの造作もなく見つかった。だがしかし、私は明晰さを求める自分の限りない欲求や、信念や偶像に対する侮蔑や、容易さへの嫌悪やおのれの限界を感じつづける力などには頼むところがあった。私は、自分の中に一つの内部の島をつくりあげ、それを踏査し強化することに時を費やした…。」 
 
こうしてヴァレリーはテスト氏によって眺められた「自分」を綴っていった訳ですが、ヴァレリーにとって自分とは、まさに「自分と自分のあいだ」にいるものであり、そこで「第一になすべきは、おのれの領地を経めぐることだ」として、私が体験しうるあらゆる可能的世界としての「広義の私」の中から、現に体験したこととしての「狭義の私」を切り絵のように切り抜いていったのです。 
 
そうしてヴァレリーは「狭義の私」でさえも、決して固定されたものではなく、たえず開いており、意味づけを求めているものであることに気付いて、その狭い国土で繊細極まりない自己探求を続けていきました。 
 
今期のかに座のあなたもまた、それくらい割り切って手足が届く範囲内の「狭義の私」体験を踏査し、強化していくことを優先してみるといいかも知れません。 


参考:ポール・ヴァレリー、粟津則雄訳『テスト氏』(福武文庫) 

《獅子座(しし座)》(7/23〜8/22)

今期のしし座のキーワードは、「これでいいのだ」。

獅子座のイラスト
漫画家の赤塚不二夫さんの告別式が2008年8月7日、東京都中野区の宝仙寺で営まれた際、彼を「肉親以上の存在」と慕っていたタモリ氏は、次のような弔辞を読みました。 
 
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を解き放たれて、その時その場(瞬間)が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。」 
 
極度の恥ずかしがり屋で、何度入退院を繰り返しても人と会うのに酒とタバコをやめられなかった生前の赤塚氏の行状は、一見でたらめなものではありましたが、タモリ氏が言うように、そこには何の変哲もない日常に永遠の幸福を宿らせる一瞬が確かにあり、それを彼の周囲にいたたくさんの人たちが「異様に明るく」なる瞬間として直接体験していたのでしょう。 
 
もちろん、普通に考えれば食道がんで長期入院した後も酒を飲み続けたりすれば、「これでいいわけがない」のですが、それでも私が生きて在るという事実そのものを消し去ることは誰にもできませんし、その前にも後にも生というものはないのだと肯定するとき、その人は永遠に通じている生の瞬間を全力で生きている。他ならぬ赤塚氏は、そのことをどこまでも素直に実行できた人だったように思います。 
 
その意味では、ゾーエー(非意識的生命性)と言ったって、別に難しいことを考えたり行なったりする必要はなくて、よく眠ること、よく食べること、よく歩くこと、よく話すこと、よく愛すること、これらはすべて、確実に幸福の条件なのだということが分かります。 
 
今期のしし座は、そうやって喪ったいまを改めて取り戻していくことができるかが問われていくでしょう。 


参考:『文芸春秋 2011年1月号』 

《乙女座(おとめ座)》(8/23〜9/22)

今期のおとめ座のキーワードは、「空気への参与と構築」。

乙女座のイラスト
イタリアの哲学者コッチャは、『植物の生の哲学』のなかで、「数百万年もの昔、動物的生命の可能性の条件を産み出し、世界を変容させたのは、他ならぬ植物だった」と前置きした上で、古代ギリシャのアナクサゴラスの「すべてがすべてのもとにある(パン・エン・パンティ)」という<混合>ないし<相互浸透>としての世界像をめぐって次のように述べています。 
 
「植物新世」こそが、世界が混合であること、そして世界のあらゆる存在は、世界がその存在の中にあるのと同じだけの強さをもって世界の内にあるということの、最も明確な証左なのである。」 
 
ここで言及されている「混合」とは、世界においてあらゆるものが相互に浸透し合い、循環し、伝達しあっているという世界像のことであり、そこには時に私たちがプライベートや私有地という仕方で想像する空間的な不可入性はじつは幻想に過ぎないのだという指摘も含んでいます。 
 
また、「植物新世」という言葉は明らかに、人間の活動が地球に地質学的なレベルの影響を与えていることを表す「人新世」という昨今よく耳にするようになってきた言葉を意識して書かれた記述でもありますが、コッチャはこの点についてもきちんと警鐘を鳴らしています。 
 
人新世という概念は、世界の実在それ自体を定義づけるものを、単一の営為、歴史的で否定的な営為へと変形してしまう、つまり自然を文化例外に、また人間を自然外の原因にしてしまうのだ。その概念は、とりわけ世界が常に生物の呼吸の現実をなしている事実を、顧みようとしない。」 
 
つまり、コッチャのいう混合的世界像とは、すなわち世界は呼吸するということであり、世界に在るとは、つねに自然と人間、男と女、内と外、過去と未来など、あらゆる境界線を越えた超越的な「浸り」に参加するということに他ならないのです。 
 
今期のおとめ座もまた、そうした息吹や空気の構築に参与していくという視点から、現在のコロナ禍を生きるということについて、考え直してみるといいでしょう。 


参考:コッチャ、嶋崎正樹訳『植物の生の哲学』(勁草書房) 

《天秤座(てんびん座)》(9/23〜10/23)

今期のてんびん座のキーワードは、「うつろいやすさと漂泊」。

天秤座のイラスト
パレスチナ出身の批評家、研究者であるエドワード・サイードは、自ら選択したのではなく授けられた名前のなかに、すでに英国王子に因む名でアングロ文化・英語文化への関係を象徴する「エドワード」とアラブ世界を象徴しつつ出自についての曖昧さを残す家系名である「サイード」という折り合いえない違和を含んでいました。 
 
彼は亡命やディアスポラ(故郷の喪失と離散)の状況を、例えばユダヤ人の2000年にわたる歴史のような現実から比喩の領域へと展開させながら、自身の立場を示すべく、知識人の使命について次のように語りました。 
 
知識人が、現実の亡命者と同じように、あくまでも周辺的存在であり続け飼い馴らされていないでいるということは、とりもなおさず知識人が君主よりも旅人の声に鋭敏に耳を傾けるようになること、慣習的なものより一時的であやういものに鋭敏に反応するようになること、上から権威づけられて与えられた現状よりも、革新と実験のほうに心を開くようになることなのだ。漂泊の知識人が反応するのは、因習的なもののロジックではなくて、果敢に試みること、変化を代表すること、動き続けること、けっして立ち止まらないことなのである。」 
 
これは知識人論でありながらも、同時に脱西欧化され、非中心化された「世界市民」としてのひとつの思考と行動の原理を新たに打ち立てようとする試みでもあるように思います。 
 
ここのところ占星術界隈でバズっている「風の時代」という言葉も、単に新たな文化適応に向かうのではなく、彼の語る知識人のように、むしろ「うつろいやすさと漂泊のなかにとどまり続けること」の実践の中で、はじめて実感を伴ってくるのではないでしょうか。 
 
今期のてんびん座は、そんな新たな時代の風通しを身をもって体感していくことがテーマとなっていきそうです。 


参考:エドワード・サイード、大橋洋一訳『知識人とは何か』(平凡社ライブラリー) 

《蠍座(さそり座)》(10/24〜11/22)

今期のさそり座のキーワードは、「贈与以前の贈与」。

蠍座のイラスト
この時期の冬のいちばん寒い頃合いには、東の空にちいさな炎のかたちを作ってみせるプレアデス星団、すなわちおうし座の背中にかがやく鎖状の星の群れが肉眼でも観察できます。 
 
そしてこのプレアデスは、しばしば人間的な知力や意志の力を超えた天地の根本の文脈で象徴的に取り上げられてもきました。例えば、旧約聖書の『ヨブ記』において、エホバ(至高者)が理不尽な試練の連続のなかでついに神への疑惑と憤怒を口にした義人ヨブに対して次のように語った有名な場面。 
 
わたしが地の基をすえた時、あなたはどこにいたか。もしあなたが知っているなら言え…… 
死の門をあなたのために開けられたか。 
あなたは暗黒の門を見たことがあるか。あなたは地の広さを見きわめたか…… 
だれが大雨のために水路を切り開き、いかずちの光のために道を開き、 
人なき地にも、人なき荒野にも雨を降らせ、 
荒れすたれた地をあき足らせ、これに若草をはえさせるか。 
雨に父があるか。露の玉はだれが生んだか…… 
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。 
あなたは十二宮をその時にしたがって、引き出すことができるか。 
あなたは天の法則を知っているか、そのおきてを地に施すことができるか。」 
 
ここでいう「鎖」とは、幾世代にもわたって生命が受け継がれていく大いなる生命の連鎖の象徴とも解釈することができますが、その意味で、語り手であるエホバ(至高者)は東洋的に言えば、「父母未生以前の自己」であり、ここで語られている内容は、私たち人間が誰か何かにみずから恵みを与えていく贈与以前の贈与とも言えるのではないでしょうか。 
 
今期のさそり座は、そうした既に自分が受け取っている贈与以前の贈与ということに思いを巡らせてみるといいかも知れません。 


参考:関根正雄訳『旧約聖書 ヨブ記』(岩波文庫) 

《射手座(いて座)》(11/23〜12/21)

今期のいて座のキーワードは、「死角の発掘」。

射手座のイラスト
視覚障害者の空間認識、感覚の使い方について迫った『目の見えない人は世界をどう見ているか』という本の中で、美学と現代アートを専門とする著者の伊藤亜紗は、「見えない人が見える人よりも空間を大きく俯瞰的にとらえている場合がある」という一般的なイメージとは真逆の現実に触れています。 
 
これは見える人は遠くまで「見通す」ことができるので、そこで見える坂道だったり、まわりの風景、空が青いとか、遠くにスカイツリーが見えるとか、そういうことに気を取られてしまう。だから、「かえって見えない人の方が、目が見通すことのできる範囲を越えて、大きく空間をとらえることができる。視野を持たないゆえに視野が狭くならない」のだと言います。 
 
さらに著者は富士山や月のようなあまりに大きなものや遠くのものを見るとどうしても立体感が欠けてしまうなどの事例から、視覚の大きな特徴として「三次元を二次元化すること」を挙げ、「そもそも空間を空間として理解しているのは、見えない人だけなのではないか」と提起するのです。 
 
つまり、私たちが身体を持っており、一度に複数の視点を持つことはできない以上、あくまで私の視点から見た空間しか捉えられず、空間をそれが実際にそうである通りに三次元的には捉え得ないという訳です。 
 
そうして、著者はどうしても「欠落」としてとらえてしまいがちな「見えないこと」を、脳の内部に新しい扉が開かれ、世界の別の顔を感知するクリエイティビティの発露するチャンネルとして捉え直していくのですが、そのプロセス自体が驚くべき逆転の発想と言わざるを得ないでしょう。 
 
その意味で、今期のいて座もまた、日常生活のなかでいつの間にかアウト・オブ・マインドになっていた死角領域を改めて発掘していくことがテーマとなっていきそうです。 


参考:伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているか』(光文社新書) 

《山羊座(やぎ座)》(12/22〜1/19)

今期のやぎ座のキーワードは、「土のなかのくらさ」。

山羊座のイラスト
詩人・牟礼慶子の「見えない季節」という詩に、「土のなかのくらさ」という大変印象的なフレーズが出てきます。 
 
できるなら 
日々のくらさを 土のなかのくらさに 
似せてはいけないでしょうか 
地上は今 
ひどく形而上学的な季節 
花も紅葉もぬぎすてた 
風景の枯淡をよしとする思想もありますが 
ともあれ くらい土の中では 
やがて来る華麗な祝祭のために 
数かぎりないものたちが生きているのです 
その上人間の知恵は 
触れればくずれるチューリップの青い芽を 
まだ見えないうちにさえ 
春だとも未来だともよぶことができるのです」 
 
冬の大地は、一見のっぺらぼうで、何もしていないように見えますが、春になるといっせいに芽が出て、撒いたわけでもないものまで一緒になって、草木ぐんぐん生えてきます。そこに至るまでの冬のあいだ、土のなかでどんなドラマが進行していたのか。 
 
自然だけでなく人間の暗さがはらんでいる未来にも、そっと手を添えてくれるような牟礼慶子の詩行に触れていると、改めて地下世界にひしめいている予兆にスッと目が開かれていくようです。 
 
今期のやぎ座もまた、風の時代になった今こそ、自身のなかの豊かさ予兆をはらんだ土のなかの暗さを改めて実感していきたいところです。 


参考:牟礼慶子『魂の領分』(思潮社) 

《水瓶座(みずがめ座)》(1/20〜2/18)

今期のみずがめ座のキーワードは、「媚態の霊化」。

水瓶座のイラスト
九鬼周造が長きにわたるヨーロッパ留学時代に「寂しさ」と「恋しさ」とは何かということをしきりに考えた末、帰国後すぐに書き上げたのが『いきの構造』でした。 
 
この本を読んでいると、例えば「理想主義の生んだ「意気地」によつて媚態が霊化されてゐることが「いき」の特色である」なんていう一文が出てきますが、ここで言う「意気地」というのは一種のコンプレックスなんですよね。 
 
つまり「女としてor男としてこうありたい」という理想に対してどこか鋭い緊張感を抱いていて、それがただただ意中の相手に甘くなったりデレデレと弛緩しきってしまうような「媚態」に冷や水を浴びせ、精神的に高まったところへ引き上げていくことを、「媚態の霊化」と言っている訳です。 
 
こうやってきちんと矛盾や葛藤を前提として「いき」という俗なる美意識を語っているところなど、やはり理論というものは実生活に浸透されてはじめて力が出てくるもので、口先だけでカッコよく決めてもしょせん頭の中の自己満足なのだと思い知らされる気がします。 
 
その意味では、今期のみずがめ座もまた、自分なりの情熱をどれだけ「いき」に表していけるかどうかが問われていくでしょう。 


参考:九鬼周造『いきの構造』(岩波文庫) 

《魚座(うお座)》(2/19〜3/20)

今期のうお座のキーワードは、「自発的変化の喚起」。

魚座のイラスト
整体という言葉を初めて使い始めた整体指導者の野口晴哉は、12歳で被災した関東大震災時に本能的に手をかざして治療をしたことをきっかけに、治療家を目指し、以来さまざまな試行錯誤や研究の結果、「野口整体」という自身のメソッドを確立し、その天才的手腕で治療や指導に長年携わってきました。 
 
その死後に出版された『偶感集』は、ごく簡潔かつリズミカルな文体で氏の治療思想の根幹を語ったもので、中でも「心理指導」と題された一篇は、どうしたら心身の不調と向き合うべきかという治療家としての姿勢の指針について述べられています。 
 
生きているということ リズムによる也 そのリズムを調えること 安心立命の道也 如何にして調えるか リズムによる也 心も又リズム也 言葉も又リズム也 運動も又リズム也 一切の行為をリズムを調えるよう使う也 その為にリズムを使いこなすこと必要也」 
 
ただ機械のようなのっぺりとした声色や単調すぎる動作では治療にならない、氏はそう考えた上で、上下する波としてのいのちあるものにどう接するべきかを次のように大胆に語ります。 
 
「生くる波の高低 見極むることまず必要也 心の動き 又この波による也 この波に応じて手段選ぶべきは勿論也 高まれる時はヒントを与えるのみにて独り動く しかも繰り返せば逆効果也 低まれる時は形つくりて与うべく 高まれる時は奪ふことその要也 
 
いつも与うるは息吐く時 奪うは吸う息によるべし 与奪は変化のため也 与奪のために非ず 自発的な動きを喚起するために要るは変化也 心理指導は自発的変化喚起の術也」 
 
ほとんど武道の世界ですが、古来から達人は活殺自在と言うように、相手を殺すことと活かすことは表裏一体であり、その紙一重の使いどころを誤ることなく実行できる呼吸こそが、達人の達人たる由縁だったのでしょう。 
 
今期のうお座もまた、そうした呼吸の要を意識した上で、自身や周囲を活かすための動きをしていけるかが問われていきそうです。 


参考:野口晴哉『偶感集』(全生社) 



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