12星座全体の運勢

「適切に茫然とする」 

3月5日に「啓蟄」を迎え、青虫が蝶へと変わって春の立役者たちが次第に顔をそろえ始める中、3月13日にはうお座24度で満月を形成していきます。 

今回のテーマは「開かれ」。すなわち、本能的に茫然として放心することで、特定の対象や他者につねに関わりを持ち続けることをやめ、より純粋で本質的な震撼にさらされていくこと。その意味で、「開かれ」とはまったくもって非合理な説明でしかないのですが、それはどこかこの時期特有の季語である「山笑ふ」という言葉にも通じていくように思います。 

春の山の生き生きとして明るい様子を擬人化した表現なのですが、花や若葉の色合いなどがなんとなく淡くやさしく霞んだように見えるだけでなく、それが「ほほえみ」として決定的に到来するのが一体いつなのかは誰にも予測できません。 

自分に都合のいいレッテルにしろ、本音を隠すのに便利なスタンプにしろ、いつも頭の中になにかしら張り付けてしまいがちな人ほど、自然で生気にみちたエロティックな生に入っていくのは難しいものですが、今回のうお座新月はこれまで惰性で続けてきてしまった習慣や言動にいかに休止符をはさんでいけるかが共通した課題となっていくでしょう。 

そうして見えることしか見ないのではなく、見えないことも感じていくなかで、やっと人は自己の閉ざされから世界へと開かれていくことができるのです。 

蠍座(さそり座)

今期のさそり座のキーワードは、「暗闇での手探り」

蠍座のイラスト
春になると頭のおかしい人が出る、ということは昔から言われてきましたが、これは身体的な側面から言えば寒くて乾いた冬のあいだ閉じていた身体が温かくなるにつれ開いてくるのに、頭部だけ思い悩んで閉じたままの状態が続いた結果、滞留したエネルギーのわだかまりが抜け道を探してさ迷い歩いている訳です。 
 
これは鬱状態になった人が、過去の記憶に苦しめられるばかりでなく、未来に押しつぶされ、あり余る時間のなかで何をどうしたらいいのかまったく分からなくなってしまうという状況とも似ていますが、つまり時間を潰そうとしているとき、私たちはむしろ時間に潰されているのです。 
 
そんな時、人はどうするか。西欧では長らくそんな時にこそ、ホロスコープを開き、星占いに熱狂しては、常に逃げ去っていくように思える未来を知ろうとしたのです。 
 
哲学者の山内志朗は、『小さな倫理学入門』の「<私>という苦しみ」という章において、こうした状況に対する別のアプローチとして次のようなことを語っています。 
 
コングウッドは、人間は未来に向かって後ずさりしながら進んでいくというイメージを語りました。後ろにあるものに対しては、見たり知ったりすることができない以上、信じるしかないということがあります。」 
 
これは倒錯した気持ちなのではなく、未来に向かう場合にはほぼ必然的にもつ感情なのです。なりたい自分に向かって未来に進むのではなく、なりたい自分を見つけるために、未来に進もうとしている自分のイメージを作りあげる必要がありますが、そのイメージを自分の内に作りあげるためにとりあえず未来に進んでみるのです。真っ暗な部屋の中で灯りのスイッチを探すために壁を触りながら進む状態、これが未来に進む人間の姿だと思います。暗闇での手探り(groping search)と言われるものです。」 
 
こうした暗闇での手探りは、エネルギーの抜け道が見つからない人と似て、自分が光であることを深い実感とともに気付かないかぎり、ずっと暗いままの状態が続くのではないでしょうか。 
 
今期のさそり座もまた、占いをするにしろ、夜道をさまよい歩くにしろ、いずれの道を歩くのであれ、「未来に進もうとしている自分のイメージを作りあげる」ことができるかどうか、ということが問われていくことでしょう。 


参考:山内志朗『小さな倫理学入門』(慶應義塾大学三田哲学会叢書) 
12星座占い<3/7~3/20>まとめはこちら
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ