12星座全体の運勢

「結びつきつつある流れを感じとる」 

7月6日に二十四節気の「小暑」を迎えると、暦の上ではもう「晩夏」に入っていきます。とはいえ、まだ大部分の地域では梅雨明けがいつになるかが気になっている中、7月10日にはかに座18度(数えで19度)で新月を形成されていきます。 

そうした今回の新月のテーマは、「むすびのはたらき」。社会のさまざまな領域で分断が進行している現代において、自立と孤独を余儀なくされた個人同士が生産的に結びついていくためには、ただ雑に、あるいは、無理やりくっつけようとしても、なかなかうまくいかないという事態が、“ごくありふれた光景”となってしまっているように思います。 

たとえば、七夕に織姫と彦星が結ばれるのも、天の川という乗り越えるべきハードルがあったればこそであり、そこではいわば天の川が「むすびのはたらき」をしているのです。それはすなわち、関係性に分離や試練などの神話的要素を呼び込むことであったり、もう少し具体的に言えば、時間をかけて温められてきた“なにかがそこで産まれそうな雰囲気”であったりするのではないでしょうか。 

ちょうど温かい風を意味する夏の季語が、梅雨の始めには「黒南風(くろはえ)」、中頃には「荒南風(あらはえ)」、そして終わり頃には「白南風(しろはえ)」と呼び方を変えていくことで、梅雨明けにそのパワーを全開にする太陽(炎帝)の到来を心待ちにしていくように。 

今期はまさに、そうして暗くどんよりと感じられた風が、次第に軽くなり、白い光を放つ風となって、他ならぬ自分の日常に流入してくる時期であり、私たちもそこで自分のなかで結びつきつつある何かを全身で感じ取っていくことがテーマとなっていくでしょう。 
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天秤座(てんびん座)

今期のてんびん座のキーワードは、「倫理の埒外」。

天秤座のイラスト
「趣味で占いをしている」というと、どうにも決まりがわるい。ましてや、「仕事で占いをしている」などと言えば、小首をかしげられるくらいならまだいいものの、真っ向から否定されるか、憐みを向けられるかのどちらか、というのが社会の一般的な反応でしょう。 
 
「占いの倫理」というテーマで書かれたライターの石井ゆかりさんは、エッセイ「占いという「アジール」」の中で、それは占い(特に星占い)がもつ次の2つの特徴によるのだと述べています。 
 
星占いには、一切の合理的・理性的・科学的根拠がない。 
占いは、論理的には「自由意志」に背を向ける。」 
 
そしてそれゆえに、少なくとも現代社会では「占いは不道徳だと「されねばならない」のである」と。これは意外に思われる方もいるかも知れませんが、星占いに関して確実にそうだと言えることの一つでしょう。では、なぜ石井さんは日々大量の占いを書いて暮らしてゆくことができるのか。それは「倫理的で道徳的なものだけがこの世に存在してもいい、ということではないと思っているから」であり、「倫理や道徳という世界観には、「外側」がある」と思っている」のだと云うのです。 
 
つまり、占いとは、素直に倫理的ないし道徳的に「善く生きる」ことができない人、意図せずやましさを抱え込まずには生きられなかった人たちが、社会から逃げ出した先にあるアジール(避難所)であり、であれば、占いに関わるテキストというのは、そこでそっと置かれて伏せられてある置手紙のようなものなのかも知れません。 
 
占いは関わりの外側にある幾多のアジールの一つ、他者との関係から切り離されて自分ひとりになった人間を救うためのものだ。人は「信じるか信じないか」を、選べない。口でなんと言おうと、心の奥底に引っかかる。感情の深奥がそれを呼ぶ。「あと数カ月でこの問題は解決しそうですよ」というその不可解な予言を胸の奥にこっそり握り締めたとき、明日を生きる小さな希望が湧く。占いは、倫理の埒外になければならないのだ。」 
 
今期のてんびん座もまた、たまにはきちんとしなければ、善く生きなければ、といった社会が求める倫理的・道徳的な要請から外れたところに、一個の不良品としてこっそりと、謎めきながら自身を置いてみるといいかも知れません。 


参考:石井ゆかり「占いという「アジール」―道をはずれて、ゴドーを待ちながら」『現代思想2019年9月号 倫理学の論点23』収容(青土社) 
12星座占い<6/27~7/10>まとめはこちら
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ