12星座全体の運勢

「こじらせた私との和解と解放」 

前回の9月7日のおとめ座新月のテーマは「プライドの置きどころ」でした。そして9月23日の「秋分」の直前には、9月21日にうお座28度(数えで29度)で満月が形成されていきます。 

そんな7日のおとめ座新月から21日のうお座満月までの期間をあえてテーマ化するとすれば、それは「かつて否定した自分自身との和解」ということになるのだと言えるかも知れません。 

長期化したコロナのもたらす深い沈鬱のなかで、私たちはいつしか以前はごく当たり前に肯定していた衝動や実感を我慢したり、殺したり、埋めていくことを余儀なくされるようになっていました。しかし、今回の満月ではそうしてかつて自分のなかで抑え込んだり、なかったことにしていた個人的実感や衝動をみだりに否定せず、あらためて受け入れた上で、いかにそれが自分にとって大切で、切り離せないものであるかを洞察していくという流れが、自然に起きていきやすいのだと言えます。 

満月というのは、自分の中に潜在していた思いや願いにスポットライトが当たっていきやすいタイミングですが、今回は「そうそう、こういう変なところも自分なんだよね」とか、「他人と比べて苦しんできたけど、これも自分なのかも知れない」といったように、どこかでプライドをこじらせ、長いあいだ囚われていた考えから少しだけ解放されていくことができるはず。 

その意味で今期は、自分の中の、どんな部分を否定して影にしてきたのか、あらためて思いを巡らせてみるといいでしょう。 
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山羊座(やぎ座)

今期のやぎ座のキーワードは、「私小説は毒虫のごとく」。

山羊座のイラスト
SNSを始めとした各種情報発信ツールがこれほどまでに浸透し、誰もが複数のメディアで日常的なつぶやきや、自分の考えや意見を不特定多数の人の目に届けることができるようになった時代はかつてありませんでした。 
 
しかし一方で、2016年に「ポストトゥルース」という言葉が登場してきたあたりから、注目されさえすれば嘘でも盗用したネタでも構わないという風潮が顕著になってきたようにも思います。単に言葉が軽いという以上に、そもそも言葉が何であるかを知らないかのように。 
 
ここで思い出されるのが、デビュー以来私小説を通じて自己の存在の根源を問い続け、映画化もされた『赤目四十八瀧心中未遂』などの作品で知られる作家の車谷長吉の文章です。彼は90年代半ばに書かれた「私(わたくし)小説について」というエッセイの中で、「日常の底に隠された得体の知れない不気味なものに、じかに触れることになる」がゆえに、人の心は畏敬の念に駆られるのであり、そういう念でもって書かれるものとしての「私小説の言葉はどうしても呪術的にならざるを得ない」のだと述べた上で、次のように締め括りました。 
 
…私小説を書くことは悪であり、書くことは己れを崖から突き落とすことであった。つまり、こういうことはろくでなしのすることであって、言葉によって己れを問うことはあっても、それを文字にすることのない敬虔な人は多くいるのである。して見れば、人の忌むことを確信犯的に、死物狂いに行なうのであるから、これがいかに罪深いことであるかは言うを俟たない。けれども私の中には人間存在の根源を問わざるを得ない、あるいはそれを問うことなしには生きては行けない不幸な衝迫があり、その物の怪のごとき衝迫こそが、私の心に立ち迷う生への恐れでもあった。」 
 
彼の「人の忌むことを確信犯的に、死物狂いに行なうのであるから」という一節は特に重く感じられますが、こうした重たさでもってしか迫れない人間というものの複雑さや奥行きも、本当は誰もがみな持っていたものなのではないでしょうか。 
 
今期のやぎ座もまた、自身の出自や存在の根源にある「得体の知れない不気味なもの」や「善悪の彼岸に立ち迷う」重たさを、自身の言葉に取り戻していきたいところです。 


参考:車谷長吉『業柱抱き』(新潮文庫) 
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<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ