箱根駅伝といえば、モア世代女子にも毎年、人気と注目度が増しているお正月のビッグイベント。ということで、モアでも11/28発売の本誌1月号と連動して、デイリーモアでもいろんな記事を配信していきます! 第1回は、なんとあの「山の神」柏原竜二さんのインタビュー! 箱根駅伝を詳しく知らないモア世代女子でも、きっとその存在は知っている柏原さんに箱根駅伝について、いろいろうかがってきました。インタビュアーは、箱根駅伝観戦歴20年以上、モアの箱根駅伝特集でもおなじみの人気イラストレーター進藤やす子さんです!

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「カッシー」こと柏原選手の力強い山上りの走りにひかれ、ずっと取材をしたかったという進藤やす子さん(左)と柏原竜二さん。なごやかな取材になりました。

箱根駅伝で注目されたことで、その後の人生がガラリと変わった

進藤 柏原さんに会えるなんて本当に感激! うれしいです!

柏原 ありがとうございます(笑)。

進藤 柏原さんと言えば、東洋大学時代に箱根駅伝5区で4年連続区間賞を獲得。そのうち3度は区間新記録を樹立するなど、「山の神」として大きな注目を集めました。卒業後は富士通の陸上競技部に進みましたが、今年の3月で引退。現在はアメリカンフットボール部である「富士通フロンティアーズ」のマネジャーを務めているんですよね?

柏原 はい。富士通には私が所属していた陸上競技部と、女子バスケットボール部、アメリカンフットボール部という強化運動部が3つあるのですが、私にとっては、陸上に比べると、後者のふたつはすこしなじみが薄い存在で。もっと露出を増やして、応援してもらえるような体制を作ろうという意図もあり、練習の手伝いなどマネージャーとしての仕事の他に、私自身がサイン会に参加させてもらうなど、様々な業務に携わっています。

進藤 柏原さんだからこそできることですね。でも初めて引退のニュースを聞いたときは、本当に驚きました。引退を決意した理由は何だったんですか?

柏原 ケガで走れなくなったことがひとつ。そして無理して競技生活にしがみつくよりも、これまでの経験を生かすような活動をしたいという思いもあって引退を決意しました。だって、世界選手権にもオリンピックにも出ていない陸上選手が、こうしてモアさんの取材を受けさせていただけるのは非常に珍しいことだと思うんです。それは箱根駅伝での実績があったから。スポーツで1度でも成功すれば人生が変わる可能性があるし、道は開けるということを、今の若い世代に見せていけたらいいなと思っています。実際、私も高校時代に描いていた人生とは全く違いますから。

進藤 高校時代に思い描いていたことって?

柏原 そもそも大学で陸上がやれるなんてことさえ思っていなかったんです。でも、高校時代に大きな結果を出していなかった私を酒井俊幸先生(現・東洋大学陸上競技部監督。当時は学校法人石川高等学校の教員だった)が注目してくれ、佐藤尚さん(東洋大学陸上競技部コーチ)が「魅力的だ」と言って東洋大学で拾ってくれた。そこは今でも感謝しています。
 また、いわき総合高校時代の佐藤修一先生が「陸上はケンカと一緒で勝ち負けが存在する。生半可な気持ちで試合に出るんじゃない!」と常々言ってくださったことで闘争心を身につけることもできました。ありがたかったと思っています。

進藤 本当に出会いに恵まれていますね。「スポーツで人生が変わる!」と柏原さんが実感したのは、やっぱり大学時代の活躍、特に箱根駅伝は大きいですよね。

柏原 はい。今でも土日にはいろんなイベントやマラソン大会のゲストランナーとして招待していただいているので、それは非常にありがたいことです。ただ、一夜にして世間から注目を集めてちやほやされるって経験もして、当時はやっぱり怖かったですけどね。

進藤 だって柏原さんの箱根駅伝デビュー、本当に鮮烈でしたもん!

柏原 ちょうどスマホが出てきはじめたころだったので、食事をしていたら写真を撮られて「アスリートなのにこんなの食べてた」と言われたり、「柏原の私服はダサい」とSNSに書かれたり……(笑)。「いいじゃん。パスタ食べさせてよ、好きな服着させてよ!」って感じで、どんどんストレスが溜まっていきました。

進藤 大変でしたね(笑)。でも単純に「注目されてうれしい!」という気持ちは?

柏原 私は双子の弟なんですけど、兄は明るいし人当たりもいいし人気者で、かたや私は少しネガティブなタイプなので、幼少期から比べられる人生を歩んできたんです。人を観察して顔色をうかがいながら生きてきたので、一気に観察される側になったことが「こわっ!」と思って。
 それに、他の大会に出場して結果を残しても、結局は「山の神」というひと言で紹介されてしまうこともあって、少し残念でした。でも、佐藤修一先生であれ、酒井俊幸監督であれ、富士通陸上競技部の福嶋正監督であれ、何があっても変わらない接し方をしてくれる方が周りにいたことは本当に恵まれていると思います。家族もそうです。実家に帰ると「テレビに出てるからって調子に乗るなよ」と兄弟からずっと言われていたので、フラットでいられたんだと思います。
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「絶対に抜く」という気持ちのこもった表情に、迫力のある力走で、多くの箱根駅伝ファンを感動させた柏原さん。(写真提供/月刊陸上競技)

「目指すは優勝。3番はイヤです!」と電話を切った初めての箱根駅伝

進藤 箱根駅伝では1年生から5区を任されていましたが、走ることはいつ決まったんですか?

柏原 入学当初から5区を走りたいと言っていたんです。他に候補もいましたが、夏合宿でトライアウトのようなことをして、一番山を上れるって感じになったので、それで。

進藤 その時点で1時間20分を切れるなどタイムにも自信がありましたか?

柏原 いいえ、まったく。

進藤 本当に!? だって、「元祖山の神」と言われた順天堂大学の今井正人選手が、2005年の83回大会で1時間18分05秒というすごい記録を出したとき、私は、「もうこの記録は抜かれないだろう」って思っていたんです。それを上回る1時間17分18秒という記録を1年生で出したときには驚きました。

柏原 正直タイムはまったく気にしてなかったです。でもトップに立つことだけは目標にしていたので、ものすごい集中力だったなとは思います。

進藤 襷(たすき)を受け取ったときは9位で、トップと5分くらい差があったんですよね。

柏原 当時の佐藤尚監督代行から「3番以内でゴールできたらいいよ」と言われたんですが、「優勝を目指してるのに3番なんてイヤです!」と電話をブチッと切ったんです。

進藤 まさに“陸上はケンカ”ですね! 優勝しないと意味がないと。

柏原 はい。実は高校のとき、駅伝でアンカーを任されたのに逆転されて、30秒差で全国大会に行けなかった経験があるんです。でも女子は強かったので全国大会に行けた。勝つことと勝たないこと、全国に行くのと行かないのでは雲泥の差なんですよね。それを見ていたので余計勝ちにこだわっていました。

進藤 1年目も印象的でしたが、それから4年間、区間賞を獲得。往路も4年連続で優勝しましたが、柏原さんにとって一番忘れられない大会は?

柏原 1年生のときの初優勝もうれしかったけど、唯一みんなに“勝たせてもらった”という感覚があるのは4年目ですね。4区の田口雅也が先頭で襷を持ってきてくれたときは本当にうれしかったです。

進藤 それまでは「自分の5区で先頭に立たなきゃ」という責任があった?

柏原 それもありましたし、前年に総合優勝できなかったとき、みんなから冗談で「4年目は大丈夫。お前に先頭で持っていってやるからな」と言われていたんです。

進藤 あのときは復路もすごく強かったですもんね。まわりに助けられたと。

柏原 完全に。仲間意識って言うと薄っぺらく聞こえちゃいますけど、やっぱりチーム力ってあると思うんです。強い選手が集まったからって勝てるわけじゃない。人材よりも、連携や想いが詰まっていたからからこその優勝だったと思います。
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自分のためでもチームのためでもなく、お世話になった人のために走った4年間でした

進藤 改めて大学時代を振り返ると?

柏原 箱根駅伝に限らず、実は結構、酒井監督に噛み付いたり、楯突いていた時期もあったんです。でも納得いかないまま練習しても成長しないということも感じました。

進藤 えー! 楯突いたときって、酒井監督はどういう反応を?

柏原 すっごく細かいですよ。2時間ぐらいずっと面と向かってしゃべってくれるんです。練習でも「自分はこういう風にやりたい」と言うと、「今この時期は待ってほしい。1週間ずらしてやろう」と提案してくれたり、選手の意見を吸い取ってくれるんです。私たちの世代はライバル意識も闘争心も強かったので、ジョグから帰ってこないでこっそり自分だけ練習するということをよくやってたんです。それも監督はわかってくださって、多少練習量を落としても、各自で補填するだろうという思いのもとに、色々練習メニューを考えてくださってました。

進藤 へー! お互いに意識しあってたんですね。

柏原 選手によってスピードが得意なタイプもいれば、私みたいにキライだったり、苦手なタイプもいるので、そこに対してはお互いに尊重してああだこうだ言わないようにしてましたね。だから練習はすごくバラバラ。でもキャプテンだった4年のときは、私から「1区は宇野(博之)しかいないと思います!」と提案することもありました。負けたくないから、口はきかなかったんですけどね(笑)。今でこそ仲良くなりましたけど、1年生からずっと一緒にレギュラーを張ってたので、宇野が関東インカレの1500mで入賞したりすると、「自分もそれ以上の順位を獲らなきゃ!」って燃えてました。

進藤 そうなんだ(笑)。確かに、柏原さんって走っているときもすごく闘争心むき出しでしたよね。

柏原 普段は全然そんなんじゃないんですけどね。

進藤 スイッチが入る?

柏原 そうですね。自分の世界観を作り上げる感覚というか。言い方は中二病ですけど(笑)。

進藤 すごく苦しそうな表情も印象的でした。あれ、めちゃくちゃ苦しいんですか?

柏原 本当に苦しかったですし、それほど力があるわけではなかったので、気合いと根性で成り立っていたと思います。試合後は2日間くらいほぼ練習できなかったですから。

進藤 そこまで柏原さんを突き動かしたのは、自分の記録のため? チームのため?

柏原 うーん……。福島の田舎から出てきた私が唯一アピールできることは走ることだけ。中学から大学までお世話になった恩師や、地元の福島の人たちのためにがんばらなきゃっていう思いしかなかったです。実家の近所のおじさんとか、子供の頃から行っていた魚屋さんとかが喜んでくれることがすっごくうれしいんですよ。だから、自分のためでもチームのためでもなく、お世話になった誰かのために走っていました。
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箱根駅伝で勝つ大学の条件は「絶対的エースがいる」ことと「取りこぼさない総合力がある」こと!

進藤 柏原さんに会えるなんて本当に感激! うれしいです! 柏原 ありがとうございます(笑)。 進藤 柏原さんと言えば、東洋大学時代に箱根駅伝5区で4年連続区間賞を獲得。そのうち3度は区間新記録を樹立するなど、「山の神」として大きな注目を集めました。卒業後は富士通の陸上競技部に進みましたが、今年の3月で引退。現在はアメリカンフットボール部である「富士通フロンティアーズ」のマネジャーを務めているんですよね? 柏原 はい。富士通には私が所属していた陸上競技部と、女子バスケットボール部、アメリカンフットボール部という強化運動部が3つあるのですが、私にとっては、陸上に比べると、後者のふたつはすこしなじみが薄い存在で。もっと露出を増やして、応援してもらえるような体制を作ろうという意図もあり、練習の手伝いなどマネージャーとしての仕事の他に、私自身がサイン会に参加させてもらうなど、様々な業務に携わっています。 進藤 柏原さんだからこそできることですね。でも初めて引退のニュースを聞いたときは、本当に驚きました。引退を決意した理由は何だったんですか?
進藤 モアはちょうど柏原さんと同年代の女の子が読んでいるんですが、女子に注目してもらいたいポイントはありますか?

柏原 スポーツで何かを表現している選手たちを純粋にカッコイイと思ってもらえたらうれしいですね。ただ、最近は少し熱狂的な駅伝ファンの女性も増えてきて、マナーがよくないというのも聞くので、そういうのは悲しいですけど。選手たちは芸能人ではないので、1歩引いた視点で純粋に競技を見てほしいと思います。

進藤 柏原さんも現役時代は相当モテたのでは?

柏原 ありがたいことにプレゼントをもらうこともあったんですが、ものすごい罪悪感でした。お返しもできませんし、「自分にプレゼントしてくれるお金があったら、その方たちは自分のために何かを買えたかもしれないのに……」って思っちゃって。

進藤 柏原さんらしい(笑)。ちなみに、箱根駅伝の話に戻ると、ご自身が走られた5区以外で、柏原さんが好きな区間ってあるんですか?

柏原 意外と7区が好きです。なんか目に留まるんですよね。理由ですか? ちょうど頭と目が覚めてくる時間帯ということもありますが(笑)、昨今の大会は7区で勝負が決まっている気もするので。

進藤 確かに、7区に強い選手を置ける大学は、余力をすごく感じます。今大会、注目している大学や選手っていますか?

柏原 母校を挙げるのもなんですが、東洋大学の西山和弥選手。1年生で日本インカレ10000m日本人1位になるっていうのはすごいですよね。最後まで食らいつくレースの表情を見ていても、「おもしろい選手が出てきたな」と思います。大学では神奈川大学。出雲駅伝ではエースの鈴木健吾選手が出ていなかったにもかかわらずよい試合をしてましたし、今年は強いと思います。あとはやっぱり、東海大学。選手層が厚いことはもちろん、出雲駅伝の区間配置は非常に見事だったなと思います。セオリーならエースのひとりである鬼塚翔太選手をエース区間である3区に起用すると思うんですけど、あえて4区に配置した両角(もろずみ)監督の采配はすごい、選手の駒が揃うとこれだけ生きるんだと感じました。

進藤 4年間で3回箱根駅伝の総合優勝を経験した柏原さんから見て、勝つ大学の条件って?

柏原 ひとつは5区に絶対的エースがいること。もしくは主要区間をしっかり取りこぼさずに押さえることですね。全区間5番以内でいければ総合優勝できることもあるので。たしか亜細亜大学が2006年の82回大会で優勝した時も、区間賞はひとりだけでしたから。

進藤 それくらい箱根駅伝は総合力ということですね。

柏原 今大会に関しては、どの選手が山を速く上れるのかわからないので、取りこぼさないことが大事だと思います。

進藤 5区は前回大会から約3キロ距離が短くなりました。重要度に変化は?

柏原 そんなに変わらないと思います。どちらかというと僕は最初の平地の3キロで山を上る準備をしていた部分があるので、急に山上りが始まる今のコースはリズムを整えるのが大変なような気がします。

進藤 それこそ山上りに向いている人じゃないと難しいと。

柏原 あくまでも私個人の意見ですけどね。ただ、距離が短くなったことで全体的な負担は確かに減ると思います。

進藤 さすが、走った経験のある人ならではの視点は参考になります! 改めて、柏原さんにとって箱根駅伝ってどんなものでした?

柏原 私は箱根駅伝によっていい面も悪い面も含め、様々な経験をしましたが、その経験もあり富士通で競技を続けることができ、また、引退後もこうして仕事をすることもできましたし、非常にありがたかったと感じています。箱根駅伝で活躍できれば、オリンピックや世界選手権に出場すること以上に、その後の人生が変わることもあるので、現役の選手にもぜひがんばってほしいと思います。それは単純に速く走れるということだけではなく、計画性をもってがんばって練習してきた経験は、きっと将来、どんな仕事についても長所として役に立つことだと思います。

進藤 では最後に、箱根駅伝を楽しみにしているモア読者にメッセージを。

柏原 純粋に「がんばれ!」と言ってもらえることは選手にとって一番の力になります。ぜひ今大会も、選手みんなを応援してあげてください!
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かしわばら・りゅうじ●1989年7月13日日生まれ、福島県いわき市出身。2008年東洋大学に入学。1年の関東インカレ10000mで日本人トップの3位入賞、5000mでも5位入賞し注目を浴びる。 箱根駅伝では1年から4年連続で5区を走り、4年連続区間賞(うち3度が区間新!)を獲得し、4年連続の往路優勝(うち3回は総合優勝)に貢献。その走りから「山の神」とも言われ、箱根駅伝の大会MVPである「金栗四三杯」を3度受賞するなど、箱根駅伝の記録と記憶に残る名ランナー。今年3月、現役を引退。現在は「富士通フロンティアーズ」マネジャーとして活躍。

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■往路
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『箱根駅伝 絆の物語(仮)』 12月23日(土)16:00~16:55(日本テレビ)
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取材・文/松山 梢 撮影/岩城裕哉 写真提供/月刊陸上競技