ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』

日々のモヤモヤを、ちょっとだけグチりたい……。そんな悩めるMORE読者世代の女性たちに贈る、ブレイディみかこさんからのメッセージ。「がんばったのにまだ週の半分……」とため息が出そうな水曜日の私たちを、言葉と共に解放してくれるエッセイ連載です。

可能性をそぎ落とさない生き方

本のイラスト

モア読者世代の女性たちとの座談会に参加する時、話をしながらいつもメモを取っている。前回のメモに気になるふたつの言葉が記されていた。「武勇伝」と「ひとりで生きる決意」である。

このふたつの言葉について話してくれたのは、クリエイティブな業界で働いているSさんだった。彼女が働く業界にはフリーランスの女性が多く、Sさんはそのコーディネーター的な仕事をしている。彼女たちに仕事を依頼し、作品を制作してもらう立場だ。成功して大御所になっている人々にはそれぞれ「武勇伝」があるらしい。どれほど恋愛や家庭を諦めて仕事一筋に打ち込んできたか、どんなふうに体を壊してきたか、それでも無理をして働き、ものすごいヒット作を生み出してきたか、などなどである。そのせいか、新人クリエイターには、「子どもは産まない」と決めている女性が多いという。彼女たちはこれから「武勇伝」をつくらなければならないので、仕事以外のことを犠牲にする覚悟が固いそうだ。

今どきこんな「昭和の女一代記」みたいな世界があるのかと驚いたが、華やかな世界ほどこういう価値観が残っているのかもしれない。フリーランスというものは(自分もそうだからわかるが)、仕事がある時はあるが、ない時はない。自分次第で報酬は変わるし、ゼロにもなり得る。だからいつだって全力で努力しなければならないのだという悲壮な決意はよくわかる。

しかし、ここであえて水を差しておこう。長く生きていると、ものごとは全力で努力したからといってうまくいくわけではないとわかってくるし、どちらかと言えばうまくいかないことが多い。なぜだろう。それは、ひとつのことに打ち込むためにほかのさまざまなことを犠牲にしているからだ。そして実は、自分が打ち込んでいることを成功させるためのネタやヒントは犠牲にしたことの中に潜んでいる。いろいろそぎ落としていると、自分が狭く、小さくなるのだ。

先日、ある学者さんと対談していて、「そぎ落とすのはよいことではない」という話になった。SNSの文字数制限から、タイパ、コスパまで、今はそぎ落とすことが流行していて、ムダという豊かさを忘れているというのだ。クリエイティブな業界ほど、本当は世界の豊かな可能性を示して人々を驚かせたり、感動させたりする仕事をしているはずなのに、自分の人生すらそぎ落としてしまったら本末転倒だ。それに、ムダだと思っていることが、将来どんな形で命綱になるかわからない。どんなに綿密に計画された人生にも失敗は起こり得る。その時、打ち込んでいるもの以外の要素をたくさん持ち、多様な人生を生きていたほうが着地はソフトだ。

さて、そうこうしているうちに、また水曜日がやってきた。週半ばになると疲れがたまってムダなことはしたくなくなるが、そんな時こそ、ムダについて考えてみよう。自分にとってのムダって何だろう? そのムダが自分を幸福にせず、する必要はないのにしなくてはいけないと思い込んでいることだったら、それはたしかにムダである。だけど、何かを成し遂げるために犠牲にしなければならないと信じていることがあり、それを犠牲と呼ぶのはつらいからムダと思い込もうとしているのだとすれば、それはムダじゃない。むしろ、ムダのない人生が効率的という考えに凝り固まってきた人にこそ決定的に必要である可能性が高い。サムライのように、バサッ、バサッといろんなものをそぎ落として「武勇伝」の主人公になったところで、それを語っている当人たちは必ずしもそんな生き方を後悔していないわけではない。女の「武勇伝」を生きた友人・知人を持つ世代の人間として、そのことは言っておきたい。

PROFILE

ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数

ブレイディみかこ 心を溶かす、水曜日

Illustration : Aki Ishibashi ※MORE2024年夏号掲載