ブレイディみかこさんに聞く「シスターフッド」と「エンパシー」【前編】
新刊『SISTER “FOOT” EMPATHY』6月26日発売
『MORE』の人気連載「心を溶かす、水曜日」の著者、ブレイディみかこさんの新刊『SISTER “FOOT” EMPATHY』が6月26日にリリースされます。この発売を記念し、MOREだけのインタビューを前編・後編の2回に渡ってお届けします。
インタビュー前編であるこの記事ではブレイディさんが大切にしてきた「シスターフッド」、「足もと」、「エンパシー」というキーワードについて、あらためてお話を聞いてきました。
1996年より英国在住。2017年、『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で第16回新潮ドキュメント賞受賞。’19年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第73回毎日出版文化賞特別賞受賞、第2回Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞などを受賞。小説作品に『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)、『両手にトカレフ』(ポプラ社)、『リスペクト――R・E・S・P・E・C・T』(筑摩書房)などがある。近著には『地べたから考える――世界はそこだけじゃないから』(筑摩書房)。6月26日に新著『SISTER“FOOT”EMPATHY』が発売。
©Shu Tomioka
ブレイディみかこさん 特別インタビュー前編
女性同士でつながること。それが本来の「シスターフッド」
©Shu Tomioka
──『SISTER “FOOT” EMPATHY』というタイトルには、ブレイディさんがこれまでご自身の著書の中でたびたび語られてきた大切なキーワードが織り込まれていますね。
ブレイディさん “全部のせ”なタイトルですよね(笑)。最初に見たときはそのいい意味でのベタさに思わず笑ってしまったけれど、私は社会時評で「地べた」という言葉をよく使うし、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にも「誰かの靴を履いてみる」というフレーズが出てくる。このタイトルをご提案してくださった編集の方は、私の本をしっかり読んでくださっている方だとすぐにわかりました。いざ書き始めると不思議なもので、タイトルに立ち戻るというか、最終的にはどれもエンパシーの話になるんですよ。
──「シスターフッド」については、本の中で「言葉本来の意味と、ポリティカルな意味のはざまに落ち込んで迷子になっているような印象を受けてしまうときがある」と書かれていました。「シスターフッド」という言葉を今、どんな風に見つめていますか?
ブレイディさん 近年の社会情勢、特にアメリカを見ていると、男性たちによる支配や男性の力を取り戻そうとする反フェミニズム的な動き、つまり“ブラザー”同士で勝手に決めてしまう世界に戻ろうとする強い力を感じます。だからこそ私たちはもう一度、「シスターフッド」について、その言葉が持つ意味も含めて考える必要があると思っています。
例えば、フェイスブック初の女性役員に就任したことで有名なシェリル・サンドバーグから巻き起こったムーブメントについて。彼女が2013年に著書で使った「リーン・イン」という言葉から生まれた「リーン・イン・フェミニズム」という言葉があります。これはビジネスの世界で女性が成功してリーダーになったり、女性リーダーのロールモデルが増えたりすれば世界は変わるというものです。でも、それで本当に女性に対する社会の態度は変わるのかという批判が生まれた。
女性の全員がリーダーになれるわけではないし、MOREの連載(『心を溶かす、水曜日』)でやっていた読者世代の方々との座談会でも、バリバリ働く女性もいれば、「婚活して結婚して子どもを産んで……」と考える女性もいる。「私さえ成功すれば世の中は変えられる」、「私が上に立つ人間になれば」という個人主義的なフェミニズムではなく、女性の連帯で誰も取り残さないフェミニズムを目指そうと使われるようになったのが「シスターフッド」という言葉。だけど、そうした政治的な意味とはまた別に、「シスターフッド」には「女性同士のつながり」、「シスターたちのような関係性」という言葉本来の意味がある。
想像力を育てるのは、自分とは違う他者との触れ合い
──本来の意味はとてもシンプルでストレートですよね。もうひとつ、ブレイディさんが大事にされている「エンパシー」についても伺えたら。
ブレイディさん 「エンパシー」をシンプルに表現するとするなら、それは「誰かの靴を履いてみる」ということ。それは他者への想像力と言ってもいいけれど、大切なのは「誰の立場に立って考えるのか」。SNSを含めてインターネットは、世界中のどこでも、誰とでもつながれる可能性があるものを目指していたはずなのに、なぜか自分と同じような考えを持っている人や興味関心が近い人たちとしか出会えない小さな世界になってしまっている。
そういう社会において、自分と同じ環境に暮らしていて同じような考えや関心を持つ人“ではない”人、に対する想像力を働かせていくことが大事。というのがエンパシーという言葉が取り上げられるようになった理由だと思いますが、シスターフッドも同じで結婚している・していない、収入の差、都会と地方、外資系と地方の中小企業……と、同じ女性や世代でもみんな全然違う経験をしているわけですよね。そういう人たちが、お互いのことを想像してみるって簡単ではない。人間って、手がかりが何もないところからは想像できないんですよ。
よくエンパシーの話をすると、頭の中で想像したり、本を読んだりすればできると思いがちな人も多いんだけれど、人間ってそんなに賢くないから、本を読んだぐらいじゃ本当のところはわからない。他者への想像力というのは、実際に自分とは違う経験をしている人と接することから育っていくものだろうと思います。
だから、私にとってはまさにMOREの座談会がエンパシーの場でした。30年前に住んでいた国の20代女性と話す機会はほとんどないので。彼女たちが考えていることや抱えている悩みを聞かせてもらうことは、誰かの靴を履いてみるいい機会になりましたね。
女性たちにこそ“サードプレイス”が必要な時代
──本の中で「日本社会が人々に口にさせない言葉は『助けて』ではなく、その前の『苦しい』ではないのか」という一文にハッとしました。「苦しい」と口にすることが自分にとってデメリットになりかねない社会はしんどいですよね。
ブレイディさん そうですね。以前MOREの座談会で「身近な人たちには否定や批判されそうで言いづらいことも、AIになら気楽に相談できる」という方がいらして。ただ、その裏側にはAIを使ってさまざまな人の個人情報を集め、分析・活用する人たちがいることも事実です。
AIが人間じゃないから何でも話せるのと同じように、MOREの座談会も、ふだん近くにいる家族や同僚や友達ではない人たちだからこそフラットに悩みを話せる場になっていました。例えばイギリスではパブがそういう役割を果たしているんです。関係性が近すぎない人たちと会って話せる、ゆるいコミュニティがつくれる場所って、もっと日本にもたくさんあったほうがいいですよね。特に、女性たちには職場も家庭とも違う、ふらっと行けば誰かに会える“サードプレイス”があると、いろんなことが変わって来るんじゃないかなと思います。
『SISTER“FOOT”EMPATHY』
2022年にスタートした雑誌『SPUR』の同名連載を新たに加筆修正。コロナ禍以降の社会の動きを鋭く見つめ、これからのわたしたちの生き方を考えた、エンパワメント・エッセイ集。
◎アイスランド発「ウィメンズ・ストライキ」の“共謀”に学ぼう
◎シスターフッドのドレスコードはむしろ「差異万歳!」
◎完璧じゃないわたしたちでいい
◎焼き芋とドーナツ。食べ物から考える女性の労働環境
◎古い定説を覆すママアスリートの存在
……etc.
無駄に分断されず、共に地べたに足をつけてつながる。前に進むための力が湧く39編を収録!
取材・文/国分美由紀