【牡羊座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<8/23~9/5> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「踊らにゃソンソン」
秋の気配が漂い始める「仲秋」へ入っていく直前の9月2日には、うお座で満月を迎えていきます。
初秋の風が吹くとされる9月1日から3日にかけて、富山県では毎年「おわら風の盆」という日本を代表するお祭りが催され、編み笠をかぶった人々が夜を徹して躍り続ける幻想的な光景が見られるのですが、その魅力は何と言っても、誰かに見せるためではない、純粋な自分の楽しみのための踊りである点にあります。
同様に、今回のうお座満月のテーマも「今を楽しむ」、すなわち、未来の払い戻しを夢見て無理を重ねつつ、今この瞬間のささやかな幸福を犠牲にし続けるのではなく、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」くらいのゆるさで、あるがままに生きるモードへ入っていくことにあるのだと言えます。
そのためにも、今季はあまり大真面目になって特定の"実現すべき目標”や"あるべき理想”にはまり込んでしまうのではなく、まずは不意に流れてきた笛や太鼓の音(ね)に誘われて、フラフラと好き勝手に動いてみることから始めてみるといいでしょう。
初秋の風が吹くとされる9月1日から3日にかけて、富山県では毎年「おわら風の盆」という日本を代表するお祭りが催され、編み笠をかぶった人々が夜を徹して躍り続ける幻想的な光景が見られるのですが、その魅力は何と言っても、誰かに見せるためではない、純粋な自分の楽しみのための踊りである点にあります。
同様に、今回のうお座満月のテーマも「今を楽しむ」、すなわち、未来の払い戻しを夢見て無理を重ねつつ、今この瞬間のささやかな幸福を犠牲にし続けるのではなく、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」くらいのゆるさで、あるがままに生きるモードへ入っていくことにあるのだと言えます。
そのためにも、今季はあまり大真面目になって特定の"実現すべき目標”や"あるべき理想”にはまり込んでしまうのではなく、まずは不意に流れてきた笛や太鼓の音(ね)に誘われて、フラフラと好き勝手に動いてみることから始めてみるといいでしょう。
牡羊座(おひつじ座)
今期のおひつじ座のキーワードは、「惰性からの覚醒」。
「眠れなくなって十七日めになる」という一文から始まる村上春樹の「ねむり」という短編作品は、夫も息子もいる平凡な主婦が主人公で、ひょんなことから彼らに気付かれることなく不眠になったことで彼女の生活は一転していきます。
家事もきちんとこなし、趣味であったプール通いも続けながら、眠らなくなったことで余計にできた時間を「自分の時間」とし、トルストイの大長編小説「アンナ・カレーニナ」を黙々と読みふけりながらチョコレートを食べる日々を送っていく。
こう書くと何不自由ない自由を満喫しているようですし、実際、彼女自身もはじめはつねに生活に追われるような漫然としたこれまでの日々から、自分の人生を取り戻しているのだという考えを魅力的なものと感じ、読書と間食を重ねつつ、不眠以前の暮らしを振り返りながら思索を深めていきます。
「それでは私の人生とはいったい何なのだろう? 私は傾向的に消費され、そのかたよりを調整するために眠る。それが日々反復される。朝が来て目覚め、夜が来て私は眠る。その反復の先にいったい何があるのだろう?何かはあるのだろうか?(中略)たぶん何もない。ただ傾向と是正とが、私の体の中で果てしない綱引きをしているだけだ。」
一方で、彼女は次第に不眠以後の暮らしのおかしな点にも気付き始めるのです。それは、全く眠れないにも関わらず「私」の意識はどこまでも明晰であること。そして、体もちっとも衰弱しておらず、むしろいつもより元気なくらいであること。
そうして覚醒し続ける中で、彼女はふと「死」について思い、こう自問するのです。「死ぬということが、永遠に覚醒して、こうして底のない暗闇をただじっと見つめていることだとしたら?」
ここまで読んで、もしかしたら、と読者は気付き始めるはず。この作品に描かれている彼女の「日常」の方こそが「夢」だとしたら。例えば、彼女が何らかの事故か病気で昏睡状態にあり、まさに死の瀬戸際で何らかの「夢」を見ているのだとしたら、と。
今期のおひつじ座もまた、どこかでそうした彼女の置かれている状況と通底しているところがある様に思います。つまり、走馬燈のようにこれまでの人生を総括してみる自由と、「夢のようでない夢」から醒めること、そのどちらをも必要としているという点において。
参考:村上春樹「TVピープル」(文春文庫)
家事もきちんとこなし、趣味であったプール通いも続けながら、眠らなくなったことで余計にできた時間を「自分の時間」とし、トルストイの大長編小説「アンナ・カレーニナ」を黙々と読みふけりながらチョコレートを食べる日々を送っていく。
こう書くと何不自由ない自由を満喫しているようですし、実際、彼女自身もはじめはつねに生活に追われるような漫然としたこれまでの日々から、自分の人生を取り戻しているのだという考えを魅力的なものと感じ、読書と間食を重ねつつ、不眠以前の暮らしを振り返りながら思索を深めていきます。
「それでは私の人生とはいったい何なのだろう? 私は傾向的に消費され、そのかたよりを調整するために眠る。それが日々反復される。朝が来て目覚め、夜が来て私は眠る。その反復の先にいったい何があるのだろう?何かはあるのだろうか?(中略)たぶん何もない。ただ傾向と是正とが、私の体の中で果てしない綱引きをしているだけだ。」
一方で、彼女は次第に不眠以後の暮らしのおかしな点にも気付き始めるのです。それは、全く眠れないにも関わらず「私」の意識はどこまでも明晰であること。そして、体もちっとも衰弱しておらず、むしろいつもより元気なくらいであること。
そうして覚醒し続ける中で、彼女はふと「死」について思い、こう自問するのです。「死ぬということが、永遠に覚醒して、こうして底のない暗闇をただじっと見つめていることだとしたら?」
ここまで読んで、もしかしたら、と読者は気付き始めるはず。この作品に描かれている彼女の「日常」の方こそが「夢」だとしたら。例えば、彼女が何らかの事故か病気で昏睡状態にあり、まさに死の瀬戸際で何らかの「夢」を見ているのだとしたら、と。
今期のおひつじ座もまた、どこかでそうした彼女の置かれている状況と通底しているところがある様に思います。つまり、走馬燈のようにこれまでの人生を総括してみる自由と、「夢のようでない夢」から醒めること、そのどちらをも必要としているという点において。
参考:村上春樹「TVピープル」(文春文庫)
<プロフィール>
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。
慶大哲学科卒。学生時代にユング心理学、新プラトン主義思想に出会い、2009年より占星術家として活動。現在はサビアンなど詩的占星術に関心がある。
文/SUGAR イラスト/チヤキ