【乙女座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<10/18~10/31> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「何かが“やってくる”まで」
二十四節気でみると10月23日の「霜降」と11月7日の「立冬」のちょうど中間にあたる10月31日の深夜におうし座満月を迎えていきます。
霜降とは、これまでと明らかに空気が変わって、露が凍って霜になり始める頃合いで、「立冬」はいよいよ冬の到来ですが、今回の満月もまさに時代の移り変わりを体感していくような特別なタイミングとなっていきそうです。
というのも、今回の満月は牡牛座の天王星と正確に重なっているから。天王星は「既存の構造からの逸脱と変革」の星ですが、これは今年から来年へ向けて既に起きつつある大きな流れを象徴する雰囲気の根底にあるもの。そして、今回のテーマは「予測不可能なものの到来」。
将来に備え、ただ現実的なコストを算出したり、リスク回避に励んだり、身を固めていくだけでは、何かが決定的に足りない。ただし、その「何か」というのは、日常という固いアスファルトがめくれるように、これまで疑われることなく固定化されてきた文脈にずれが生じなければ、けっして到来することはありません。
その際、鍵となってくるのは、ちょっとした違和感をスルーせずに育てていくこと。月がまんまるに膨らみきっていくまでは、分かりやすい解答を求めたり、そこに安住するのではなく、「あえて」「今さら」「あらためて」というひと手間や余計なプロセスを大切にしてみるといいでしょう。
霜降とは、これまでと明らかに空気が変わって、露が凍って霜になり始める頃合いで、「立冬」はいよいよ冬の到来ですが、今回の満月もまさに時代の移り変わりを体感していくような特別なタイミングとなっていきそうです。
というのも、今回の満月は牡牛座の天王星と正確に重なっているから。天王星は「既存の構造からの逸脱と変革」の星ですが、これは今年から来年へ向けて既に起きつつある大きな流れを象徴する雰囲気の根底にあるもの。そして、今回のテーマは「予測不可能なものの到来」。
将来に備え、ただ現実的なコストを算出したり、リスク回避に励んだり、身を固めていくだけでは、何かが決定的に足りない。ただし、その「何か」というのは、日常という固いアスファルトがめくれるように、これまで疑われることなく固定化されてきた文脈にずれが生じなければ、けっして到来することはありません。
その際、鍵となってくるのは、ちょっとした違和感をスルーせずに育てていくこと。月がまんまるに膨らみきっていくまでは、分かりやすい解答を求めたり、そこに安住するのではなく、「あえて」「今さら」「あらためて」というひと手間や余計なプロセスを大切にしてみるといいでしょう。
乙女座(おとめ座)
今期のおとめ座のキーワードは、「まだ何もかもやってみた訳じゃない」。
初出・初演から50年以上も経った今もなお、さまざまな言論人から繰り返し言及され、無数の解釈が生み出され続けている不条理時演劇の金字塔『ゴドーを待ちながら』には、ストーリーの起伏はまったくありません。
舞台はとある道端、今日を生き延びるのに必死なふたりの浮浪者ヴラジーミルとエストラゴンが、とにかくその人がくれば救われると信じているゴドーなる人物を待ち続ける二日間が描かれるのですが、それは「今日も他の日々と同じような一日であるか、むしろ他の日々とまったく同じということはない一日なのです」(M・フーコー)。
2020年の今もまた、占星術界隈では年末から本格的な「風の時代」が始まるとか、何かと「新しい時代の到来」やそれによる「変革」ついて語られていますが、よしんばそれが結果的にはある程度認められることだったとしても、それは「ゴドー」のような劇的な形ではやってこないのではないでしょうか。それでも、「平々凡々たる今日」を生き続けなければいけない私たちはどうすればいいのか。その指針となる描写が第一幕の冒頭に出てきます。
「エストラゴンが道端に坐って、靴を片方、脱ごうとしている。ハアハア言いながら、夢中になって両手で引っ張る。力尽きてやめ、肩で息をつきながら休み、そしてまた始める。同じことの繰り返し。」
ここでヴラジーミルが出てきて、次のようなやり取りをするのです。
エストラゴン「(また諦めて)どうにもならん。」
ヴラジーミル「(がに股で、ぎくしゃっくと、小刻みな足どりで近づきながら)いや、そうかもしれん。(じっと立ち止まる)そんな考えに取りつかれちゃならんと思ってわたしは、長いこと自分に言い聞かせてきたんだ。ヴラジーミル、まあ考えてみろ、まだなにもかもやってみたわけじゃない。で……また戦い始めた。」
今期のおとめ座もまた、昨日とまったく同じではないが同じような一日である今日に、まだまだできることがあるんだと、ヴラジーミルのように自分に言い聞かせていきたいところです。
参考:サミュエル・ベケット、安堂伸也・高橋康也訳『ゴドーを待ちながら』(白水Uブックス)
舞台はとある道端、今日を生き延びるのに必死なふたりの浮浪者ヴラジーミルとエストラゴンが、とにかくその人がくれば救われると信じているゴドーなる人物を待ち続ける二日間が描かれるのですが、それは「今日も他の日々と同じような一日であるか、むしろ他の日々とまったく同じということはない一日なのです」(M・フーコー)。
2020年の今もまた、占星術界隈では年末から本格的な「風の時代」が始まるとか、何かと「新しい時代の到来」やそれによる「変革」ついて語られていますが、よしんばそれが結果的にはある程度認められることだったとしても、それは「ゴドー」のような劇的な形ではやってこないのではないでしょうか。それでも、「平々凡々たる今日」を生き続けなければいけない私たちはどうすればいいのか。その指針となる描写が第一幕の冒頭に出てきます。
「エストラゴンが道端に坐って、靴を片方、脱ごうとしている。ハアハア言いながら、夢中になって両手で引っ張る。力尽きてやめ、肩で息をつきながら休み、そしてまた始める。同じことの繰り返し。」
ここでヴラジーミルが出てきて、次のようなやり取りをするのです。
エストラゴン「(また諦めて)どうにもならん。」
ヴラジーミル「(がに股で、ぎくしゃっくと、小刻みな足どりで近づきながら)いや、そうかもしれん。(じっと立ち止まる)そんな考えに取りつかれちゃならんと思ってわたしは、長いこと自分に言い聞かせてきたんだ。ヴラジーミル、まあ考えてみろ、まだなにもかもやってみたわけじゃない。で……また戦い始めた。」
今期のおとめ座もまた、昨日とまったく同じではないが同じような一日である今日に、まだまだできることがあるんだと、ヴラジーミルのように自分に言い聞かせていきたいところです。
参考:サミュエル・ベケット、安堂伸也・高橋康也訳『ゴドーを待ちながら』(白水Uブックス)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ