【水瓶座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<11/15~11/28> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「雪が花に変わるとき」
11月22日の「小雪」を過ぎれば、もう雪の季節。「一片飛び来れば一片の寒」と言うように舞いくる寒さに本格的に備え始めるこの頃には、こたつを導入したり暖房を入れ始める人も増えてくるはず。
そして11月30日には、静かに深まってゆく冬の夜に双子座の満月を迎えていきます。今回のテーマは「緊張の中にあるゆるみ」。精神を鋭敏に研ぎ澄ましていくなかで訪れる一瞬の静けさ、そして平穏。それは瞑想の境地が深まったときの感覚にも似ています。初めは雑念ばかりが浮かんで、かえって心が騒がしく感じたり、眠くなってしまったりしていたのが、自然と頭が消えて胴体だけになったように感じてきて、意識は活動しているのに、何かを「志向する」ことなしにいられる「非思考」状態に入っていく。
禅ではこれを「自分自身の『私』を忘れる」とか「非思量」などと言うそうですが、それはどこか「風花」というこの時期の季語を思わせます。風花とは風に運ばれてちらちらと舞う雪のかけらのことですが、あっけないほどのはかなさで消えていく雪片に、ひとつの花を見出していくのです。それはすべてのものに命があると考えていた日本人が、厳しい冬の訪れにも愛おしむような気持ちを向けていたことの何よりの証しでしょう。
今回の満月でも、集中力を高めて厳しい現実や人生の課題(雪片)と向かい合っていくことで、そのなかに隠された恵みや喜び(花)を見出していくことができるかどうかが問われていくはず。
そして11月30日には、静かに深まってゆく冬の夜に双子座の満月を迎えていきます。今回のテーマは「緊張の中にあるゆるみ」。精神を鋭敏に研ぎ澄ましていくなかで訪れる一瞬の静けさ、そして平穏。それは瞑想の境地が深まったときの感覚にも似ています。初めは雑念ばかりが浮かんで、かえって心が騒がしく感じたり、眠くなってしまったりしていたのが、自然と頭が消えて胴体だけになったように感じてきて、意識は活動しているのに、何かを「志向する」ことなしにいられる「非思考」状態に入っていく。
禅ではこれを「自分自身の『私』を忘れる」とか「非思量」などと言うそうですが、それはどこか「風花」というこの時期の季語を思わせます。風花とは風に運ばれてちらちらと舞う雪のかけらのことですが、あっけないほどのはかなさで消えていく雪片に、ひとつの花を見出していくのです。それはすべてのものに命があると考えていた日本人が、厳しい冬の訪れにも愛おしむような気持ちを向けていたことの何よりの証しでしょう。
今回の満月でも、集中力を高めて厳しい現実や人生の課題(雪片)と向かい合っていくことで、そのなかに隠された恵みや喜び(花)を見出していくことができるかどうかが問われていくはず。
水瓶座(みずがめ座)
今期のみずがめ座のキーワードは、「祖先のこころが宿る場所」。
赤ちゃんが生まれた時、親や親戚、友人一同が見舞いに来て、まずいう言葉は昔も今も変わっていない。
「この子はお父さん似だ、鼻がそっくり」とか「目はおばあちゃん似だね」といった言葉である。
これは言う方も聞く方もあまりに日常的なことなので、少しも特別なことだと思わない訳ですが、実はそうではないのだと、長年にわたり民話の採録・再話に取り組んできた松谷みよ子は言います。
「こうした言葉ほど、ひとりの赤ちゃんの生命が連綿と祖先から受け継がれたものであることを語っている言葉はない。そして母の腕に抱かれ、ここはじいちゃんにんどころとあやされて育った子は、自分でも知らないうちに、生命の重みを知るのではなかろうか。」
戦後児童文学の開拓者でもあった彼女は、著書『民話の世界』(1974)の中で、子守歌や民話が語り継がれていくことの大切さについて、次のようにも言及しています。
「じいちゃんがあり、ばあちゃんがあり、とうちゃんがあり、かあちゃんがあり、姉ちゃんもいて、そして自分が存在するということ、木の股から生まれたのではないということ、良くも悪くも受け継がれた血をからだの中に持っているということを知るのではないだろうか。」
今ではすっかり歌って遊ぶ子供も少なくなってしまった「わらべ唄」が大切なのは、そこに「受け継がれていく生命の重みとして受けとめてきた、私たちの祖先のこころ」があるからに他ならないのだ、と。
一方で、ことばが“乱れ”ているという言論が飛び交い、米大統領選でトランプが選出された2016年には英国・オックスフォード英語辞典が「Word Of The Year(その年を象徴する言葉)」に「ポスト・トゥルース」を選んだことも記憶に新しい現代世界において、こうした「語り継がれてきた言葉の重み」やそこから言葉を発していくことはますます難しくなっているように思います。
そんな中、今期のみずがめ座にとって、自身の日常に埋没し、その価値や重みがすっかり見過ごされてしまうようになった「祖先のこころが宿る場所」としての言葉や語りを、改めて再発見していくことが一つのテーマとなっていくでしょう。
参考:松谷みよ子『民話の世界』(講談社学術文庫)
「この子はお父さん似だ、鼻がそっくり」とか「目はおばあちゃん似だね」といった言葉である。
これは言う方も聞く方もあまりに日常的なことなので、少しも特別なことだと思わない訳ですが、実はそうではないのだと、長年にわたり民話の採録・再話に取り組んできた松谷みよ子は言います。
「こうした言葉ほど、ひとりの赤ちゃんの生命が連綿と祖先から受け継がれたものであることを語っている言葉はない。そして母の腕に抱かれ、ここはじいちゃんにんどころとあやされて育った子は、自分でも知らないうちに、生命の重みを知るのではなかろうか。」
戦後児童文学の開拓者でもあった彼女は、著書『民話の世界』(1974)の中で、子守歌や民話が語り継がれていくことの大切さについて、次のようにも言及しています。
「じいちゃんがあり、ばあちゃんがあり、とうちゃんがあり、かあちゃんがあり、姉ちゃんもいて、そして自分が存在するということ、木の股から生まれたのではないということ、良くも悪くも受け継がれた血をからだの中に持っているということを知るのではないだろうか。」
今ではすっかり歌って遊ぶ子供も少なくなってしまった「わらべ唄」が大切なのは、そこに「受け継がれていく生命の重みとして受けとめてきた、私たちの祖先のこころ」があるからに他ならないのだ、と。
一方で、ことばが“乱れ”ているという言論が飛び交い、米大統領選でトランプが選出された2016年には英国・オックスフォード英語辞典が「Word Of The Year(その年を象徴する言葉)」に「ポスト・トゥルース」を選んだことも記憶に新しい現代世界において、こうした「語り継がれてきた言葉の重み」やそこから言葉を発していくことはますます難しくなっているように思います。
そんな中、今期のみずがめ座にとって、自身の日常に埋没し、その価値や重みがすっかり見過ごされてしまうようになった「祖先のこころが宿る場所」としての言葉や語りを、改めて再発見していくことが一つのテーマとなっていくでしょう。
参考:松谷みよ子『民話の世界』(講談社学術文庫)
文/SUGAR イラスト/チヤキ