【魚座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<11/29~12/12> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「“ふゆ”ためのビジョンを」
12月15日には「冬至」前の最後の新月を迎えていきます。冬至は1年でもっとも日が短く、太陽の力が弱まる1日であり、ここから夏至に向かって日がのびていくフェーズに切り替わっていきます。その直前のいて座の新月は、仮に1日のサイクルに置き換えれば、夜明け前のもっとも闇が深くなるタイミングに相当する大切な節目と言えます。
そんな今回の新月のテーマは「冬ごもり」。もともと「冬(ふゆ)」という言葉は、「触れる」から分化した「ふる」という動詞が変化したもの。すなわち、外部からやってきた霊が付着することで、新たな力が人に加わって「ふゆ(増)」ことを意味しましたが、その際、外部からの霊の来着を待つために日常的な行為を控え、穢れを避ける期間を「冬ごもり」といいました。
冬ごもりの間、熊であればやがてやって来る春の訪れの情景を夢見るのでしょうが、人間である私たちが見るべきものがあるとするなら、それは弱まった魂の力が思わず昂ぶってしまうような歓喜のビジョンであるはず。
今回の新月は、昨今の波瀾と憂鬱に満ちた人間世界とは異なる次元にある、不思議な明るさのあるビジョンや喜ばしいイメージを、どれだけ想像力(空想力)を働かせ思い描いていけるかが重要なテーマとなっていくでしょう。
そんな今回の新月のテーマは「冬ごもり」。もともと「冬(ふゆ)」という言葉は、「触れる」から分化した「ふる」という動詞が変化したもの。すなわち、外部からやってきた霊が付着することで、新たな力が人に加わって「ふゆ(増)」ことを意味しましたが、その際、外部からの霊の来着を待つために日常的な行為を控え、穢れを避ける期間を「冬ごもり」といいました。
冬ごもりの間、熊であればやがてやって来る春の訪れの情景を夢見るのでしょうが、人間である私たちが見るべきものがあるとするなら、それは弱まった魂の力が思わず昂ぶってしまうような歓喜のビジョンであるはず。
今回の新月は、昨今の波瀾と憂鬱に満ちた人間世界とは異なる次元にある、不思議な明るさのあるビジョンや喜ばしいイメージを、どれだけ想像力(空想力)を働かせ思い描いていけるかが重要なテーマとなっていくでしょう。
魚座(うお座)
今期のうお座のキーワードは、「身もだえ」。
山折哲雄の『「歌」の精神史』に浪曲師の春野百合子さんの言葉が紹介されていました。浪曲は戦後になって、伝統芸能のなかで「軍事浪曲」だの「愛国浪曲」だのといったいわれなき非難を浴び、転落の道をたどり、特にインテリ層から「浪花節的」といわれ差別されてきましたが、春野さんはそうした世間の風潮に抗するようにこう言っていたのだそうです。
「人は浪曲を古いというけれども、じつは、これは人間の「身もだえの話」なのです。いつの時代にも変わることのない話なんです」
ここで言う「身もだえ」とは、狂おしいような思いであったり、人情というものの時に常識破りの深さを指すものだと思いますが、それを五七五七七のリズムにのせて魂の叫びとしていった歌人に、例えば西行が挙げられるでしょう。
「うかれいづる心は身にもかなはねばいかなりとてもいかにかはせむ」(『山家集』)
例えばこの「うかれいづる心」は、自分自身のものでありながら自身のもとから乖離し、外へ外へと駆り立てられていく激しい心性を表しており、おそらく桜の花を見ているうちに、いつのまにか感情が昂ってどうにもならなくなってしまい、そうした恋情を歌にしたのでしょう。
そこには上手に詠もうとか、それで名誉を得ようといったことは二の次三の次で、ただそうせずにはいられなかったことを、苦しみながらも鍛え上げ、自身の仕事であり、使命としていった訳で、「身もだえ」ということを軸にすれば、文化的な和歌も通俗的とされる浪曲も、固く結びついているはずです。
今期のうお座もまた、それほどの「身もだえ」こそが自身のやるべきことを告げ知らせる所作なのだということを改めて思い返していくといいかも知れません。
参考:山折哲雄『「歌」の精神史』(中公文庫)
「人は浪曲を古いというけれども、じつは、これは人間の「身もだえの話」なのです。いつの時代にも変わることのない話なんです」
ここで言う「身もだえ」とは、狂おしいような思いであったり、人情というものの時に常識破りの深さを指すものだと思いますが、それを五七五七七のリズムにのせて魂の叫びとしていった歌人に、例えば西行が挙げられるでしょう。
「うかれいづる心は身にもかなはねばいかなりとてもいかにかはせむ」(『山家集』)
例えばこの「うかれいづる心」は、自分自身のものでありながら自身のもとから乖離し、外へ外へと駆り立てられていく激しい心性を表しており、おそらく桜の花を見ているうちに、いつのまにか感情が昂ってどうにもならなくなってしまい、そうした恋情を歌にしたのでしょう。
そこには上手に詠もうとか、それで名誉を得ようといったことは二の次三の次で、ただそうせずにはいられなかったことを、苦しみながらも鍛え上げ、自身の仕事であり、使命としていった訳で、「身もだえ」ということを軸にすれば、文化的な和歌も通俗的とされる浪曲も、固く結びついているはずです。
今期のうお座もまた、それほどの「身もだえ」こそが自身のやるべきことを告げ知らせる所作なのだということを改めて思い返していくといいかも知れません。
参考:山折哲雄『「歌」の精神史』(中公文庫)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ