12星座全体の運勢

「未来を肌で感じていく」 

前回の記事では、2月12日のみずがめ座新月は「社会/時代の空気を読み、実感をもってそれに応えること」がテーマであり、それは立春から春分までに吹く最初の南風である「春一番」を察知して、肌身で感じていくことにも通じていくということについて書きました。 

じつはこれは今年3度にわたって起きる土星と天王星のスクエア(90度)という、2021年の時勢の動きを象徴する配置の1回目が2月18日にあることを踏まえての話でした(2回目と3回目は6月と12月)。 

土星(体制)と天王星(革新)がぶつかり合って、互いに変化を迫るこの緊張感あふれる配置が形成される時というのは、しばしば世の中の常識や秩序の書き換えが起こりやすく、これまでなんとなく受け入れてきた無目的な制限や命令の押しつけに対し、多くの人が「もう我慢ならない」と感じやすいタイミングと言えますが、同時にそれは、これまで考えもしなかったようなところから人生を変えるチャンスが転がってきたり、新たな希望の気配が差し込んでくるきっかけともなっていきます。 

一方で、それは突然の出来事や予期しなかった展開を伴うため、現状を変えたくないという思いが強い人にとってはこの時期何かと振り回されたり、くたびれてしまうこともあるかも知れません。 

しかしそれも、最初の「春満月」を迎えていく2月27日頃には、行き着くところまで行ってみればいいじゃないかという、ある種のカタルシス感が出てきて、朧月(おぼろづき)さながらに、ほのぼのとした雰囲気も漂ってくるように思います。 

古来、春という新たな季節は東から風によって運ばれてくるものと考えられてきましたが、12日の新月から27日の満月までの期間は否が応でも感覚が研ぎ澄まされ、予想だにしなかった未来の訪れを少しでも実感に落としていけるかということが各自においてテーマになっていくでしょう。 

水瓶座(みずがめ座)

今期のみずがめ座のキーワードは、「みずからを時代の影響の外に置くこと」。

水瓶座のイラスト
「眠るジプシー女」などで知られるアンリ・ルソーという特異な日曜画家が、ピカソによって奇跡的に見出され、発掘されたというのは有名な話です。 
 
ある日、古道具屋の店内で立てかけてあるたくさんの絵の中から一部はみ出している絵に視線を落とし、引き出して、全体を見るなりピカソはその絵を買ってしまったのだそう。 
 
横尾忠則のエッセイ集『名画感応術』によれば、ルソーといえば夢と幻想を描く素朴絵画の代表画家のようなイメージがあるけれど、19世紀末から20世紀にかけて目まぐるしく変貌していった近代絵画の潮流のなかで、他のどの傾向にも似ていなかったために王道から除外され、素朴派の一員に組み込まれていたのだとか。 
 
芸術というのは大なり小なりなんらかの形でその時代の様式を受け入れているものが認められ、影響の外にあるものはいつの間にか闇のなかに葬られてしまう運命にあるといってもいいだろう。だからアンリ・ルソーは本当に稀有な存在であるといえる。もし、あの時ピカソが古道具屋でルソーを発見していなかったら、ルソーの評価はどう変わったことだろうか。(中略)今の現代美術に最も欠けている要素というか、現代美術が捨ててきた要素のすべてがアンリ・ルソーの中にあるようにぼくは思えてならないのである」 
 
横尾はこう書いたエッセイのタイトルに「胸騒ぎのアンリ・ルソー」とつけていますが、確かに胸騒ぎというのは、特別どうということはない光景や不思議な要素などないように見える場合において初めてなぜか起こるものです。 
 
例えば、先の「眠るジプシー女」にしても、砂漠の月光を浴びて眠っているジプシー女と、女の首のあたりにライオンが頭を下げて鼻を近づけているという、状況としては緊迫しているはずなのに、どこまでも静寂な絵なのですが、横尾はこの絵に胸騒ぎがするのは「ライオンの尾の先がピンと上を向いて立っている」せいなのだと書いています。 
 
今期のみずがめ座の人たちにとっても、ある意味でこうした“普通を演じる”と言うか、当たり前のものをごく当たり前に取り扱っていくなかで、そうであるにも関わらず、ある種の工夫をしていくことで、それを誰にも似ていない仕方で行っていくことがテーマとなっていくのだと言えるかも知れません。 


参考:横尾忠則『名画感応術』(知恵の森文庫) 
12星座占い<2/7~2/20>まとめはこちら
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ