【乙女座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<2/20~3/6> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「風の便りを受け取って」
2月19日には節気も「雨水」に変わり、雪や氷が溶けていよいよ春に向けて草木も芽吹き始めますが、そんな折の2月27日にはおとめ座で満月を迎えていきます。
今回の満月は、2月18日に体制と制約の土星と激しくぶつかり合った変革と解放の天王星と歩調を合わせつつ、後者の影響力を一気に押し広げていくような配置となっていますが、そのテーマを端的に表すとすれば「癖や偏りの昇華」となるでしょう。
つまり、無理にエネルギーを集中させて単発的に興奮していくというのではなく、みずからの身体の要求を素直に聞いて、瞬間瞬間の生命の流れにうまく乗っていくなかで、ふつふつと静かな快感が湧いてきて、ごく自然に発散が起きてくるというイメージです。
ちょうどヒヤシンスの花が開いていく時期でもありますが、幕末に伝わったこの花には「風信子」という漢字が当てられています。「風信」は風の便りという意味も持っており、風に漂うほのかな香りがそっと春の便りを届けてくれますが、今期はそうした微細な変化の流れにきちんと身をもって反応・順応していけるかどうかが、各自においていつも以上に問われていくのではないでしょうか。
今回の満月は、2月18日に体制と制約の土星と激しくぶつかり合った変革と解放の天王星と歩調を合わせつつ、後者の影響力を一気に押し広げていくような配置となっていますが、そのテーマを端的に表すとすれば「癖や偏りの昇華」となるでしょう。
つまり、無理にエネルギーを集中させて単発的に興奮していくというのではなく、みずからの身体の要求を素直に聞いて、瞬間瞬間の生命の流れにうまく乗っていくなかで、ふつふつと静かな快感が湧いてきて、ごく自然に発散が起きてくるというイメージです。
ちょうどヒヤシンスの花が開いていく時期でもありますが、幕末に伝わったこの花には「風信子」という漢字が当てられています。「風信」は風の便りという意味も持っており、風に漂うほのかな香りがそっと春の便りを届けてくれますが、今期はそうした微細な変化の流れにきちんと身をもって反応・順応していけるかどうかが、各自においていつも以上に問われていくのではないでしょうか。
乙女座(おとめ座)
今期のおとめ座のキーワードは、「禅をつらぬく」
一休さんと言えば、とんちで大人をやりこめる聡明な少年僧のイメージばかりが先行しますが、これは江戸時代につくられたある種の虚像で、実際の一休は奇行で知られた反骨僧でした。
その詩集『狂雲集』には、例えば次のような一節が出てきます。
「風狂の狂客 狂風を起す
来往す 婬坊(いんぼう) 酒肆(しゅし)
具眼(ぐげん)の衲僧(のうそう) 誰か一拶(いっさつ)
南を画し北を画し 西東を画す」
柳田聖山の現代訳によれば、「狂いっぱなしの狂客が狂った旋風を巻き起こす/女郎屋と酒屋を往ったり来たり/力量のある禅坊主でも誰が一突きできようか/東西南北どう枠づけしても捕まらない」の意で、偽悪的なまでにとことん酒と女と破戒の世界に溺れ込んでいったその後ろ姿が伺えます。
当時の乱れた禅宗の世界にあって、自分こそが唯一正当な禅の正当な継承者であるという強力な自負を持っていた一休は、ただ表面だけを整えて内実の無いものを厳しく糾弾し、つじつまのあった合理性ではなく、それをはみ出す暗い世界に沈潜し、地獄の底まで射通すことこそ禅の精髄だと考えていたのでしょう。
その圧巻と言えるのは、盲目の女性・森侍者(しんじしゃ)との狂おしいほどの老いらくの性愛であり、情愛に溺れるあまり断食自殺さえ考えた末に、次のような詩を残して『狂雲集』は終わっています。
「木ゆらぎ葉落ちて、更に春を回す、緑を長じ花を生じて、旧約新たなり。森也が深恩、もし忘却せば、無量億劫、畜生の身」
つまり、一休はここで生命の再生を喜ぶとともに、森侍者への感謝を忘れたら未来永劫畜生だと、その恩の深さを詠っているのです。一休はその後、大徳寺の住職を拝命して一日だけで辞めたものの、その後も応仁の乱で荒廃した大徳寺の復興・再建に尽力するなど、八十歳を超えてなお精力的に活動していきました。
今期のおとめ座もまた、一休ほどではないにせよ、乱れたこの世界にあって、どうしたら禅の概念をぶち抜けるかを試されているのだと言えるでしょう。
参考:一休宗純、柳田聖山訳『狂雲集』(中公クラシックス)
その詩集『狂雲集』には、例えば次のような一節が出てきます。
「風狂の狂客 狂風を起す
来往す 婬坊(いんぼう) 酒肆(しゅし)
具眼(ぐげん)の衲僧(のうそう) 誰か一拶(いっさつ)
南を画し北を画し 西東を画す」
柳田聖山の現代訳によれば、「狂いっぱなしの狂客が狂った旋風を巻き起こす/女郎屋と酒屋を往ったり来たり/力量のある禅坊主でも誰が一突きできようか/東西南北どう枠づけしても捕まらない」の意で、偽悪的なまでにとことん酒と女と破戒の世界に溺れ込んでいったその後ろ姿が伺えます。
当時の乱れた禅宗の世界にあって、自分こそが唯一正当な禅の正当な継承者であるという強力な自負を持っていた一休は、ただ表面だけを整えて内実の無いものを厳しく糾弾し、つじつまのあった合理性ではなく、それをはみ出す暗い世界に沈潜し、地獄の底まで射通すことこそ禅の精髄だと考えていたのでしょう。
その圧巻と言えるのは、盲目の女性・森侍者(しんじしゃ)との狂おしいほどの老いらくの性愛であり、情愛に溺れるあまり断食自殺さえ考えた末に、次のような詩を残して『狂雲集』は終わっています。
「木ゆらぎ葉落ちて、更に春を回す、緑を長じ花を生じて、旧約新たなり。森也が深恩、もし忘却せば、無量億劫、畜生の身」
つまり、一休はここで生命の再生を喜ぶとともに、森侍者への感謝を忘れたら未来永劫畜生だと、その恩の深さを詠っているのです。一休はその後、大徳寺の住職を拝命して一日だけで辞めたものの、その後も応仁の乱で荒廃した大徳寺の復興・再建に尽力するなど、八十歳を超えてなお精力的に活動していきました。
今期のおとめ座もまた、一休ほどではないにせよ、乱れたこの世界にあって、どうしたら禅の概念をぶち抜けるかを試されているのだと言えるでしょう。
参考:一休宗純、柳田聖山訳『狂雲集』(中公クラシックス)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ