【天秤座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<4/18~5/1> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「心の奥底の実感を」
4月20日に太陽がおうし座へ移り、二十四節気の「穀雨」に入ると、稲の苗もすくすくと伸びていき、いよいよ緑したたる季節へ。そんな中、4月27日にさそり座7度(数え度数8度)で満月となります。
今回のテーマは「内面の静けさ」。すなわち、これから初夏にかけて存分に生命を燃やし、またそれに必要な備えや人手を取り入れていくべく、ますます賑やかな季節を迎えていくにあたって、今回の満月が「本当にそれでいいの?」と自分自身に最終確認をとっていく期間となるのだということ。
ちょうど、この季節に使われる季語に「霞(かすみ)」があります。これは水蒸気の多い春に特有の、たなびく薄い雲を総称してそう呼ぶのです。麗らかな春の日にふと動きをとめて、水筒の麦茶でも飲みながら、遠くの霞を眺めているうちに、ふっと何かを思い出したり、妙な気持ちになったことがあるという人も少なくないのではないでしょうか。
そうして周囲の音が一瞬遠くなったように感じられた時、既存の手垢のついた言葉では形容することのできなかった微妙な感情や、名状しがたい衝動がこころの表面によみがえり、急になまなましく感じられてきたり、実感が追いついてきたり。あるいは、春の夜空に浮かぶ霞たなびく朧月を眺めている時、ふと心のどこかにひっかかっていた違和感が鮮烈に立ち上がってきたり。
今期はそんな風に、ゆっくりと、ないし、しみじみと心の奥底の実感を浮き彫りにしていくべく、自分のこころやからだと静かに向きあっていく時間を持っていきたいところです。
今回のテーマは「内面の静けさ」。すなわち、これから初夏にかけて存分に生命を燃やし、またそれに必要な備えや人手を取り入れていくべく、ますます賑やかな季節を迎えていくにあたって、今回の満月が「本当にそれでいいの?」と自分自身に最終確認をとっていく期間となるのだということ。
ちょうど、この季節に使われる季語に「霞(かすみ)」があります。これは水蒸気の多い春に特有の、たなびく薄い雲を総称してそう呼ぶのです。麗らかな春の日にふと動きをとめて、水筒の麦茶でも飲みながら、遠くの霞を眺めているうちに、ふっと何かを思い出したり、妙な気持ちになったことがあるという人も少なくないのではないでしょうか。
そうして周囲の音が一瞬遠くなったように感じられた時、既存の手垢のついた言葉では形容することのできなかった微妙な感情や、名状しがたい衝動がこころの表面によみがえり、急になまなましく感じられてきたり、実感が追いついてきたり。あるいは、春の夜空に浮かぶ霞たなびく朧月を眺めている時、ふと心のどこかにひっかかっていた違和感が鮮烈に立ち上がってきたり。
今期はそんな風に、ゆっくりと、ないし、しみじみと心の奥底の実感を浮き彫りにしていくべく、自分のこころやからだと静かに向きあっていく時間を持っていきたいところです。
天秤座(てんびん座)
今期のてんびん座のキーワードは、「カーニヴァル」。
野が青々と茂る初夏はいよいよ万物が成長するべく、これまで以上に栄養を必要としていきますし、私たち人間も活動量を増やしていくためのエネルギーを確保していかなくてはなりません。
私たちは日々他の生物を殺して食べている訳ですが、その意味で、飲み食いというのはもっともグロテスクな生活現象であり、世界との相互作用における暴力性や未完成性のもっとも具体的かつ明瞭なあらわれこそが「食べる」という行為に他ならないのだと言えます。
この点について、例えばロシア文化学者の桑野隆は、「カーニヴァル」という語を用いて人びとが「新しい、純粋に人間的な関係のためにまるで生まれ変わった」かのような体験をしていくことを分析してみせた思想家のミハイル・バフチンの思想を次のような箇所から紹介しています。
「カーニヴァルには演技者と観客の区別はない。カーニヴァルには、たとえ未発達の形式においてですらフットライトなるものは存在しない。フットライトがあれば、カーニヴァルはぶちこわしになろう(逆にフットライトをなくせば、演劇的見世物はぶちこわしになろう)。カーニヴァルは観るものではなく、そのなかで生きるものであって、すべてのひとが生きている。というのも、カーニヴァルはその理念からして、全民衆的なものだからである。」
さらに、バフチンがカーニヴァルの特徴として、誕生と死、祝福と呪詛、称賛と罵言、痴愚と英知、青春と老年、顔と尻、上と下など、対をなすものの逆転や転覆などのコントラストに満ち溢れていることに着目したことを強調して、桑野は「カーニヴァルは、「交替するそのものではなくて、交替それ自体、つまり交替というプロセスそのものを祝う」のだと述べ、そこに消化と排泄といった内臓のイメージを重ねていきます。
「これは身体のトポグラフィーの中心であって、上と下がたがいに移行しあっている。(中略)このイメージは、殺し、生み、食いつくし、食いつくされるアンビヴァレントな物質的・身体的下層にとってお気に入りの表現であった」
今期のてんびん座もまた、自身のさまざまな「むさぼり食い」を通して、そこにいかなる「交替のプロセス」が進行しつつあるのか、改めて感じ直してみるといいかも知れません。
参考:桑野隆『バフチン』(平凡社ライブラリー)
私たちは日々他の生物を殺して食べている訳ですが、その意味で、飲み食いというのはもっともグロテスクな生活現象であり、世界との相互作用における暴力性や未完成性のもっとも具体的かつ明瞭なあらわれこそが「食べる」という行為に他ならないのだと言えます。
この点について、例えばロシア文化学者の桑野隆は、「カーニヴァル」という語を用いて人びとが「新しい、純粋に人間的な関係のためにまるで生まれ変わった」かのような体験をしていくことを分析してみせた思想家のミハイル・バフチンの思想を次のような箇所から紹介しています。
「カーニヴァルには演技者と観客の区別はない。カーニヴァルには、たとえ未発達の形式においてですらフットライトなるものは存在しない。フットライトがあれば、カーニヴァルはぶちこわしになろう(逆にフットライトをなくせば、演劇的見世物はぶちこわしになろう)。カーニヴァルは観るものではなく、そのなかで生きるものであって、すべてのひとが生きている。というのも、カーニヴァルはその理念からして、全民衆的なものだからである。」
さらに、バフチンがカーニヴァルの特徴として、誕生と死、祝福と呪詛、称賛と罵言、痴愚と英知、青春と老年、顔と尻、上と下など、対をなすものの逆転や転覆などのコントラストに満ち溢れていることに着目したことを強調して、桑野は「カーニヴァルは、「交替するそのものではなくて、交替それ自体、つまり交替というプロセスそのものを祝う」のだと述べ、そこに消化と排泄といった内臓のイメージを重ねていきます。
「これは身体のトポグラフィーの中心であって、上と下がたがいに移行しあっている。(中略)このイメージは、殺し、生み、食いつくし、食いつくされるアンビヴァレントな物質的・身体的下層にとってお気に入りの表現であった」
今期のてんびん座もまた、自身のさまざまな「むさぼり食い」を通して、そこにいかなる「交替のプロセス」が進行しつつあるのか、改めて感じ直してみるといいかも知れません。
参考:桑野隆『バフチン』(平凡社ライブラリー)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ