【射手座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<8/22~9/4> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「地を這う蟻のように」
9月7日に二十四節気が「白露」に変わると、いよいよ体感的にも秋をよりはっきりと感じるようになり、夜長の季節に入って物思いにふける時間も長くなっていくはず。そして、同じ9月7日におとめ座の14度(数えで15度)で新月を迎えます。
そして今回の新月のテーマは、「プライドの置きどころ」。プライドというと、どうしてもこじらせたプライドを守るために社会や他人との関わりを切り捨てたり、過剰防衛の裏返しとしての攻撃性を他者や社会に向けたりといったネガティブなイメージを抱いてしまいますが、とはいえプライドがまったくないというのは誇りに感じているものが何もないということであり、それはみずからの未熟さを改めたり、向上に努めたり、洗練を心がけるつもりがないということに他ならないでしょう。
個人であれ集団であれ、それなりの歴史を重ねていたり、独自の文化のあるところには必ずプライドは生まれるのであって、それは決してなくしたり、馬鹿にしていいものではないはずです。はじめから守りに入って役立たずになるのはつまらないけれど、いくら実力があったとしても、何のプライドも持たず、誰とも何とも繋がらず、どこからも切り離されて生きることほどつまらないこともありません。
新月の時期というのは、種まきにもよく喩えられるのですが、それは新たにこの世界に自分を割り込ませていくということであり、多かれ少なかれ何かにトライしたみたくなるもの。
川端茅舎という俳人に、ちょうど白露の時期に詠んだ「露の玉蟻(あり)たぢたぢになりにけり」という句がありますが、できれば今期の私たちもまた、誰か何かにくじけてひるむことがあったとしても、プライドそのものを捨てることなく、地を這う蟻のように足を前に出していきたいところです。
そして今回の新月のテーマは、「プライドの置きどころ」。プライドというと、どうしてもこじらせたプライドを守るために社会や他人との関わりを切り捨てたり、過剰防衛の裏返しとしての攻撃性を他者や社会に向けたりといったネガティブなイメージを抱いてしまいますが、とはいえプライドがまったくないというのは誇りに感じているものが何もないということであり、それはみずからの未熟さを改めたり、向上に努めたり、洗練を心がけるつもりがないということに他ならないでしょう。
個人であれ集団であれ、それなりの歴史を重ねていたり、独自の文化のあるところには必ずプライドは生まれるのであって、それは決してなくしたり、馬鹿にしていいものではないはずです。はじめから守りに入って役立たずになるのはつまらないけれど、いくら実力があったとしても、何のプライドも持たず、誰とも何とも繋がらず、どこからも切り離されて生きることほどつまらないこともありません。
新月の時期というのは、種まきにもよく喩えられるのですが、それは新たにこの世界に自分を割り込ませていくということであり、多かれ少なかれ何かにトライしたみたくなるもの。
川端茅舎という俳人に、ちょうど白露の時期に詠んだ「露の玉蟻(あり)たぢたぢになりにけり」という句がありますが、できれば今期の私たちもまた、誰か何かにくじけてひるむことがあったとしても、プライドそのものを捨てることなく、地を這う蟻のように足を前に出していきたいところです。
射手座(いて座)
今期のいて座のキーワードは、「怠ける自由もあっていい」。
「そんなこと、科学的には何も証明されていないことでしょう」
こうした言説において、正しさや真理がある種の強い強制力を発揮するのを目の当たりにすることが、最近とみに増えてきたように思います。しかし、真理が客観的にあると思うことで安心したくなる気持ちもわかりますが、ある命題に対する真理を成立させる根拠や原因は、いつも客観的に存在するとは限りません。
むしろこういう時勢だからこそ、命題やそれを成立させる言葉というのは、きわめて人為的に構成されたものだということも忘れてはいけないように思います。つまり、命題というのは否定を受容することができ、疑問文への変換を容易に認めることで操作に適しており、その意味で、事物のように客観的に見える答え(科学的な証明)はすぐに安心しようとする人間の心が作り出した人為的な産物に過ぎないのだとも言えるのです。
この点について、哲学者の山内志朗は『小さな倫理学入門』に収録された「人生に目的はない」というエッセイの中で、「「人生の目的とは何か」「幸福とは何か」といった問いに対して、主要な目的(dominant ends)といったものはありませんし、答えの多様性を許容し、答えがないからこそ、人生は生きるに値する」のだと前置きした上で、弱者に優しい社会を促すリベラリズム(自由主義)の立場について、次のように述べています。
「リベラリズムは、そういった目的を自由に設定できる者こそ、人格としての尊厳を有し、その尊厳を基盤として自己の価値を打ち立てられると考えます。」
「具体的に措定された目的を破壊し続けながらも、新たな目的を一人一人が勇気を持って作り続けようとすることが、自由の意味でしょう。(中略)真理は生命を凌ぐ価値を持っているわけではありません。真理への暴力的駆り立てに対しては怠けた方がよいのかもしれません。」
今期のいて座もまた、できるだけ正しさや真理の強制力からできるだけ自由なところで、勝手に決められた目的を破壊したり、怠けたり、新たな目的を作ったりしてみるといいでしょう。
参考:山内志朗『小さな倫理学入門』(慶應義塾大学三田哲学会叢書)
こうした言説において、正しさや真理がある種の強い強制力を発揮するのを目の当たりにすることが、最近とみに増えてきたように思います。しかし、真理が客観的にあると思うことで安心したくなる気持ちもわかりますが、ある命題に対する真理を成立させる根拠や原因は、いつも客観的に存在するとは限りません。
むしろこういう時勢だからこそ、命題やそれを成立させる言葉というのは、きわめて人為的に構成されたものだということも忘れてはいけないように思います。つまり、命題というのは否定を受容することができ、疑問文への変換を容易に認めることで操作に適しており、その意味で、事物のように客観的に見える答え(科学的な証明)はすぐに安心しようとする人間の心が作り出した人為的な産物に過ぎないのだとも言えるのです。
この点について、哲学者の山内志朗は『小さな倫理学入門』に収録された「人生に目的はない」というエッセイの中で、「「人生の目的とは何か」「幸福とは何か」といった問いに対して、主要な目的(dominant ends)といったものはありませんし、答えの多様性を許容し、答えがないからこそ、人生は生きるに値する」のだと前置きした上で、弱者に優しい社会を促すリベラリズム(自由主義)の立場について、次のように述べています。
「リベラリズムは、そういった目的を自由に設定できる者こそ、人格としての尊厳を有し、その尊厳を基盤として自己の価値を打ち立てられると考えます。」
「具体的に措定された目的を破壊し続けながらも、新たな目的を一人一人が勇気を持って作り続けようとすることが、自由の意味でしょう。(中略)真理は生命を凌ぐ価値を持っているわけではありません。真理への暴力的駆り立てに対しては怠けた方がよいのかもしれません。」
今期のいて座もまた、できるだけ正しさや真理の強制力からできるだけ自由なところで、勝手に決められた目的を破壊したり、怠けたり、新たな目的を作ったりしてみるといいでしょう。
参考:山内志朗『小さな倫理学入門』(慶應義塾大学三田哲学会叢書)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ