12星座全体の運勢

「地を這う蟻のように」

9月7日に二十四節気が「白露」に変わると、いよいよ体感的にも秋をよりはっきりと感じるようになり、夜長の季節に入って物思いにふける時間も長くなっていくはず。そして、同じ9月7日におとめ座の14度(数えで15度)で新月を迎えます。 

そして今回の新月のテーマは、「プライドの置きどころ」。プライドというと、どうしてもこじらせたプライドを守るために社会や他人との関わりを切り捨てたり、過剰防衛の裏返しとしての攻撃性を他者や社会に向けたりといったネガティブなイメージを抱いてしまいますが、とはいえプライドがまったくないというのは誇りに感じているものが何もないということであり、それはみずからの未熟さを改めたり、向上に努めたり、洗練を心がけるつもりがないということに他ならないでしょう。 

個人であれ集団であれ、それなりの歴史を重ねていたり、独自の文化のあるところには必ずプライドは生まれるのであって、それは決してなくしたり、馬鹿にしていいものではないはずです。はじめから守りに入って役立たずになるのはつまらないけれど、いくら実力があったとしても、何のプライドも持たず、誰とも何とも繋がらず、どこからも切り離されて生きることほどつまらないこともありません。 

新月の時期というのは、種まきにもよく喩えられるのですが、それは新たにこの世界に自分を割り込ませていくということであり、多かれ少なかれ何かにトライしたみたくなるもの。 

川端茅舎という俳人に、ちょうど白露の時期に詠んだ「露の玉蟻(あり)たぢたぢになりにけり」という句がありますが、できれば今期の私たちもまた、誰か何かにくじけてひるむことがあったとしても、プライドそのものを捨てることなく、地を這う蟻のように足を前に出していきたいところです。 
>>星座別の運勢を見る

水瓶座(みずがめ座)

今期のみずがめ座のキーワードは、「茶気の塩梅」。

水瓶座のイラスト
「いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。われわれアジア人はわれわれに関して織り出された事実や想像の妙な話にしばしば肝を冷やすことがある。」 
 
こう書いたのは、1906年にまず英語で『茶の本』を刊行した岡倉天心でした。彼は単なる物好きから本書を書いたのではなく、「茶」を題材に日本独自の文化論を西洋人に説くために書いたのです。そしてその冒頭には、天心みずから「茶」というものをこう位置づけています。 
 
茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。というのは、倫理、宗教と合して、天人(てんじん)に関するわれわれのいっさいの見解を表しているものであるから。それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりもむしろ単純のうちに慰安を教えるから。それは精神幾何学である、なんとなれば、宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主主義の真精神を表している。」 
 
こう言われると、多くの人はとっつきづらく感じて、結局なんなんだというツッコミを入れたくなりそうですが、天心はそうした心理を巧みに受けつつ、そのすぐ後に、茶道の心得があることを意味する「茶気」という言葉の用例を挙げて、次のように語っています。 
 
茶道の影響は貴人の優雅な閨房にも、下賤の者の住み家にも行き渡ってきた。わが田夫は花を生けることを知り、わが野人も山水を愛でるに至った。俗に「あの男は茶気がない」という。もし人が、我が身の上におこるまじめながらの滑稽を知らないならば。また浮世の悲劇にとんじゃくもなく、浮かれ気分で騒ぐ半過通を「あまり茶気があり過ぎる」と言って非難する。」 
 
まるで謎かけのようですが、つまるところ、自慢話や理論武装ばかりしていて洒脱味に欠ければ「茶気がない」、風流ということが分かっていないということなるし、あまりに遊びに徹していて我が身を滅ぼさんばかりであれば「茶気があり過ぎる」。そのへんの塩梅をいかに体感的につかむことができるかが、わが日本文化の理解度の指標なのだと。ある種の見得を切ってみせた訳ですが、こうした文章の構成そのものに、いかにも天心のプライドの重みを感じはしないでしょうか。 
 
今期のみずがめ座もまた、暮らし方や習慣や文章など、ちょっとした所作やディテールにおいてこそ、茶気の塩梅を発揮していきたいところです。 
 
 
参考:岡倉覚三『茶の本』(岩波文庫) 
12星座占い<8/22~9/4>まとめはこちら
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ