【最新12星座占い】<10/17~10/30>哲学派占い師SUGARさんの12星座占いまとめ 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモい

2021年10月17日から10月30日のSUGARの12星座占い

【SUGARさんの12星座占い】<10/17~10/30>の12星座全体の運勢は?

「幻想の外へと飛び出して!」 

日増しに気温の下がり始める「霜降」が近づき、蟋蟀の鳴き声もいつの間にか聞こえなくなってくると、ますますひんやりとした秋の夜長を愉しめるようになってきますが、そんな中10月20日にはおひつじ座27度(数えで28度)で満月を迎えていきます。 

「大胆な行動」を促す火星や「根本的な変容」を司る冥王星を巻き込む形で配置される今回の満月のテーマは、「子宮内幻想からの脱皮」。これまで無意識的に調子をあわせてきた理想像だったり、なんとなく正しいとされ従ってきた決め事だったり、それらいつの間にか色あせてきつつあった馴染みの「幻想」をいよいよ破棄し、もっとおのれの欲望に忠実になっていくためのきっかけや実感を掴んでいくにはもってこいのタイミング。 

ちょうど秋の日の暮れやすいことの喩えで、よく「秋の日はつるべ落とし」などと言いますが、人によっては「つるべ」を井戸の中に落とすときのように、急速に意識が切り替わっていきやすいでしょう。 

さながら一度も離れたことのない塔から脱け出していくラプンツェルのように、「こうしておけば無難で安全」という領域の“外”へと思い切って飛び出していきたいところです。 

《牡羊座(おひつじ座)》(3/21〜4/19)

今期のおひつじ座のキーワードは、「職業というより中毒」。

牡羊座のイラスト
九十二年近くの人生で七十八冊の本を出した作家のサマセット・モームは、毎日午前中の三、四時間かけて千から千五百語執筆することにしていたのだと言います。 
 
2004年に出版されたモームの伝記の作者ジェフリー・マイヤーズによれば、「それは職業というより中毒だった」「モームにとって書くということは飲酒と同じで、はまりやすく抜けるのが難しい習慣だった」そうですが、考えてみればそういう中毒や癖を仕事にできるのならそれにこしたことはないのではないでしょうか。 
 
日本社会では、どうしても働くことは苦しいことであり、我慢して苦労することができるのでなければ一人前ではない、といった集団幻想がいまだに幅を利かせているようなところがありますが、以下に紹介するモームに関するささやかなエピソードは、そうした集団幻想の馬鹿らしさを改めて味わうのにちょうどいいように思います。 
 
午前中の仕事を正午ごろ終えると、まだ書きたくてうずうずしていることがよくあった。「書いているとき、ある登場人物を作り上げていくとき、それはつねに私につきまとって、頭のなかを占領している。そいつは生きているんだ」モームはそういい、さらにこう付け加えている。「もしこれを自分の人生から切り離したら、とても寂しい人生になってしまうだろう」」 
 
あなたにも、そういううずうずを感じさせてくれる時間や、離れがたい楽しみの一つや二つ、思い当る節があるはず。 
 
今期のおひつじ座は、そうした楽しみを「当然のように」取りあげようとする大義名分や正論めいた物言いを、ふとした拍子にゴミ箱に放り投げていくといいでしょう。 


参考:メイソン・カリー、金原瑞人・石田文子訳『天才たちの日課』(フィルムアート社) 

《牡牛座(おうし座)》(4/20〜5/20)

今期のおうし座のキーワードは、「祈りを取り戻す」。

牡牛座のイラスト
「自由」や「自然」、「愛」など、明治期に翻訳語として使われるようになった言葉には、私たちが思っている以上にキリスト教の影響が色濃いものが多く、したがって知らず知らずのうちに現代人である私たちもその影響を引き受けています。 
 
ただ、それらの多くは実際には例えば礼拝や懺悔などのキリスト教的な実践やそれに伴う体感が抜け落ちて、言葉だけが浸透していったために、どこか噓くさく白々しい印象を抱くようになってしまった面も否めないように思います。 
 
しかし、自身もまたカトリック信徒である批評家の若松英輔は、神学者の山本芳久との対談をまとめた『キリスト教講義』のなかで、「祈りとは必ずしも入信を条件としない」「万人に開かれた宗教的な出来事である」という言い方で、そうした言葉の上滑りを払拭し、祈りを日常に取り戻すことができるのだと述べています。 
 
いわく、「祈りとは、われわれが沈黙するところから始まるもの」であり、そうして「静寂を招き入れ、神の声を聞くこと」に他ならないのだと。その際、「もちろん、具体的な営為としての祈りは、まず祈祷の言葉を唱えることにあり」「カトリックの場合は、定型の祈りを重んじ」る訳ですが、これは「仏教の表現を借りればマントラ的である」とも言えますし、そこで本当に大切なことは「霊魂のなかの秘密の小部屋を作る」ことにあるのであって、「ここに祈りの本質がある」のだと。 
 
今期のおうし座もまた、外側から見たときの形式やカテゴリーの枠をこえたところで、「人間に本性的な衝動的なもの」としての祈りを、いかに日々の暮らしの中に浸透させていくことができるかということがテーマとなっていくように思います。 
 
 
参考:若松英輔、山本芳久『キリスト教講義』(文藝春秋) 

《双子座(ふたご座)》(5/21〜6/21)

今期のふたご座のキーワードは、「やたらと並べられる横文字を疑う」。

ふたご座のイラスト
2021年9月1日に日本で新たに設置されたデジタル庁については、その人事についてネットやニュースを賑わせたのでその存在を認知している人は多いと思います。しかし、それが内閣の直轄機関であり、その担当大臣が内閣総理大臣を直接補佐する立場に立ち、通常は閣議決定を通さないと出せない他の省庁への勧告も直接出せるほど強い権限が与えられていることまではほとんど知られていないのではないでしょうか。 
 
つまり、デジタル庁とは内閣府より上位に位置する省庁であり、それだけでなく、巨額の予算がつき、民間企業との人材の出入りも自由だというのです。 
 
ジャーナリストの堤未果の『デジタル・ファシズム』によれば、それは「今世紀最大級の巨大な権力と利権の館」であり、さらに中央省庁向けの政府共通プラットフォームのベンダー(製造・販売元)には、国内のIT企業ではなくGAFAの一角であるアマゾンが選ばれています。このことが、いったい何を意味するのか。 
 
堤はそれを「「今だけ金だけ自分だけ」の強欲資本主義が、デジタル化によって、いよいよ最終ステージに入った」という一つの明確なサインだとした上で、「一つはっきりしていることは、私たちが今この改革を、よく理解しないままに急かされている」こと、そして、「わかりやすい暴力を使われるより、便利な暮らしと引きかえに、いつの間にか選択肢を狭められてゆく方が、ずっとずっと恐ろしい」のだと警告しています。 
 
日本におけるデジタル化が、急速な中央集権化と監視社会の実現と歩調を合わせていることについて、堤は本書の中で具体的なデータと問題点を整理しつつ様々な観点から指摘しているが、そこで台湾の若きデジタル担当大臣オードリー・タンの「社会がデジタル化することによって、民主主義は深まる」という見解を取り上げつつ、彼女のつけた次のような条件についても言及している。すなわち、「ただし、決して権力を集中させてはいけない」のだと。 
 
こうした懸念は、残念ながら新政権下でも着々と引き継がれ、現実化しつつあるように見えますが、今期のふたご座のテーマは自分たちの目を眩ませるテクノロジーとスピード感の魔法を、どれだけ解いていけるかというところにあるように思います。 
 
 
参考:堤未果『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書) 

《蟹座(かに座)》(6/22〜7/22)

今期のかに座のキーワードは、「ルールなんてぶっ壊せ!」。

蟹座のイラスト
ここでは、あるとき右足の痺れからMND(筋萎縮性側索硬化症、またの名をALS)と診断されただけでなく、61歳にして余命2年を宣告されたピーターという男性の話を、自身で書いた自伝である『ネオ・ヒューマン―究極の自由を得る未来』から取りあげようと思います。 
 
彼はイギリスの名門大学を卒業したロボット科学者であり、余命宣告を受けたあとの判断もまた普通とは少し違っていました。彼は恐怖と怒り、そして絶望に苛まれながらも、それとは別種の感情が自分のなかで湧きおこり始めたことに気付いたのだそう。 
 
冒険に出るんだね! 冒険は大好きだ! 統計的には、私はあと2年で死ぬことになる。つまり、未来を書き換え、世界に革命をもたらすのに、あと2年の猶予があるということだ。行く手には戦いに次ぐ戦いが待ち受けていることだろう。生死を分かつような戦いに違いない。結果は2つに1つ。私たちが勝って世界のあらゆるルールを変えるか、あるいは無惨に打ち負かされるか。休戦はありえない。しかし、敗北もありえない。MNDは私に死んでほしいらしい。だが、断る。同様に、私は生ける屍のような形で“延命”することも拒否する。(…)私たちが目指すのは、“人間である”ことの定義を書き換えることだ。」 
 
そう、ピーター氏は自身の置かれた状況を“実地で研究を行う、またとない機会”と捉え、大胆にも人類初のAIと融合したサイボーグとなろうと考えたのです。つまり、自分の体を実験台にして、身体機能の拡張に関する最先端の研究を行おうと。そうと決めた彼は友人たちに自分の構想について綴ったメールを送るのですが、その中には次のようにあります。 
 
僕は、手に入る限りのハイテクなツールを虚空の中に持ち込もうと思う。ただ生き延びるだけなんてごめんだ。僕は人生を謳歌したいんだ!自分でも、いささか血気にはやっていることは認めよう。今も昔も僕のスローガンは変わらない――ルールなんてぶっ壊せ!(…)ぼくは自分でも論文やスピーチを執筆する。作曲やグラフィックアートも手がけよう。未知のパラレルワールドに1人飛ばされた人間の複雑な心境を表現するのだ。僕はこの世界で紀行文をつづり、『交響曲:暗黒の虚空より』を作曲し、<メタモルフォーゼ>と題したアート作品を創作する。それを、君たちに送り届けようと思う。」 
 
同様に今期のかに座もまた、人として目指すべき基準やあるべき姿について、彼のようにできるだけ既存の常識やルールにとらわれず構想していきたいところです。 
 
 
参考:ピーター・スコット-モーガン、藤田美菜子訳『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン―究極の自由を得る未来』(東洋経済新報社) 

《獅子座(しし座)》(7/23〜8/22)

今期のしし座のキーワードは、「クセノスの目」。

獅子座のイラスト
かつて哲学者のメルロ・ポンティは「ほんとうの哲学とは、この世をみる見方を学びなおすこと」(『知覚の現象学』)と言い、それは古代ギリシャ風に言うならば「クセノス(異邦人・異星人)のような目」を持つことでもある訳ですが、これは意図的にやろうとしてみると意外と難しいもの。 
 
朝の明るい陽射しのなか、お気に入りの音楽をかけながら、秩序と活気みなぎる街並みを車で走り抜けつつ「この世」を感じている時に、エイリアンの目など入り込む余地はないでしょう。 
 
ただ、例えばそこに一本の電話がかかってきて、親が癌になって余命宣告を受けたとか、家族が事故に遭ったと知らされれば、心臓はサイレンのように鳴り響き、町全体も嵐のように渦を巻き始め、あなたはハンドルにしがみ付いて言葉にならない叫びをあげながら、これまでとはまったく異なる世界の中を走り始めることになるはず。 
 
つまり、地球人の目が異星人のそれに変わるのは、そうして自身の運命にまつわる予定調和に乱れや、重大で危険な兆候について、(自我や精神というより)身体や生命の次元で受け止めることのできた時に他ならないのではないでしょうか。 
 
哲学者のハンナ・アレントは『人間の条件』のなかで、そのことを動物とは異なる人間生活の特殊性という観点から次のように描写してみせました。 
 
遠く離れた宇宙の一点から眺めると、人間の活力はどれも、もはやどんな活動力にも見えず、ただ一つの過程としか見えない。したがって、ある科学者が最近述べたように、現代のモータリゼーションは、人間の肉体が徐々に鋼鉄製の甲羅で覆い始めるというような生物学的突然変異の過程のように見えるだろう」 
 
今期のしし座もまた、そうした自身の周りや社会で起きつつある突然変異について、どれだけクセノスの目を持ち込むことができるかが少なからず問われていくでしょう。 
 
 
参考:ハンナ・アレント、志水速雄『人間の条件』(ちくま学芸文庫) 

《乙女座(おとめ座)》(8/23〜9/22)

今期のおとめ座のキーワードは、「共異体」。

乙女座のイラスト
しばらく前からワクチンを打ったことを誇らしげに人前で語ったり、当然のように接種の有無を他人に尋ねたりする人が増えているように感じます。そういう人の心理には、無意識的な差別意識だけでなく、世間で多数派に位置づけられる同一的な共同体に属していたいという安心願望があるように思います。 
 
想定外の事態が続いて社会が不安定になればなるほど、そうした共同体への所属を求める人の数は増えていくものですが、しかしそれは思考停止の何よりの兆候であり、さらなる搾取構造の強化へと進んでいく自主的隷従の一歩に他ならないでしょう。 
 
例えば、そうした「共同体」に対抗するモデルとして「共異体」という言葉があります。これは「東アジア共同体」という理念に対するオルタナティブとして、哲学者の小倉紀蔵がアジア諸地域の広域共同体として概念化したものでしたが、人類学者の石倉敏明は、それをさらに身体と環境の関係や複数種の共生圏などへ拡張するべく、2019年のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館において、「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」という共同展示を企画しました。 
 
これは石倉の他にキュレーター、美術家、作曲家、建築家の計5名による共同展示だったそうですが、そもそもそのきっかけになったのが、美術家の下道基行が沖縄の離島で撮影してきた「津波石」の映像作品だったそうです。 
 
この「津波石」とは、かつて海底にあった巨石が、大きな地震や津波の衝撃をつうじて地表にもたらされたもので、過去の大災害のモニュメントになっている訳ですが、それだけでなく、アジサシという渡り鳥が営巣していたり、小さな生物が岩の上を這っていたり、苔や植物がはえている以外にも、特別な埋葬場所とされていたり、聖地として信仰されているかと思えば、石の壁面に手造りの住居をつくって住んでいる人がいたり、あるいは周辺でサトウキビを収穫する島民や、遊んでいる子供の姿があったりする。 
 
石倉は「津波石とは異なるものの集合体、あるいは共異体という開かれた全体性のモデルを示すのにうってつけなミクロコスモスだった」のだと述べていますが、今期のおとめ座もまた、どうしたらそうした小さな「共異体」に身を置いていけるかがテーマとなっていくことでしょう。 
 
 
参考:奥野克巳他編『モア・ザン・ヒューマン マルチスピーシーズ人類学と環境人文学 (シリーズ人間を超える)』(以文社) 

《天秤座(てんびん座)》(9/23〜10/23)

今期のてんびん座のキーワードは、「覚悟をもってエネルギーを贈る」。

天秤座のイラスト
今回のコロナ禍を通して、人間の知性と解き明かされる自然のあいだには改めて深い断絶が広がった一方で、結果的にはそこにより深く目に見えない可能性が示され、これまでにない仕方での結びつきが生じていくことになったように思います。 
 
つまり、そうした人と自然の結びつきの実現というものが、実に様々な協力の上で成り立っているということが思い出されていく契機になったのではないかと。そもそも私たちは、個人として誕生してくる以前に、競争相手であり分身でもある無数の精子と唯一つの卵子との和合によって創りだされる受精卵としてあり、その前提には必ず生殖があった訳です。 
 
例えばフランスの思想家ジョルジュ・バタイユは『呪われた部分』において、生命体としての個体は太陽光に由来する無限の贈与に対し、必要に応じて欲求するのではなく、成長や生殖といった過剰なエネルギーを「消費」していく存在であるとして、次のように述べていました。 
 
真っ先に目につくのは分裂生殖が予告したもの、すなわち分化であり、それを通じて個的存在はみずからのための成長を断念し、個体を増やすことによって成長を生命の非個体性へ移し変える。なぜなら、もともと性は貪婪な成長とは異なるからだ。よしんば、種に関して眺めるとき、それは一つの成長のように見えるにせよ、原則的には、やはり各個体の奢侈(度を過ぎてぜいたくなこと)であることには変わりない。この特徴は有性生殖においていっそう際立っており、そこでは生み出される個体は―そしてあたかも他者に与えるように、それに生命を与える個体からはっきり分かたれている。」 
 
ここでバタイユは、生殖を個体の奢侈と捉えており、またあたかも贈与であるかのように論じてもいます。つまり、役に立つか立たないかといった有用性に還元しえない事象であり、ここで言う贈与とは、みずからが用いることができるはずだったエネルギー=富を、二度と返ってこないという覚悟をもって贈る(消失する)ということに他ならないのです。 
 
つまり、個体というのは、本質的にエゴを越えたところにある覚悟を伴った贈与の結果として存在しているのであり、連綿と繰り返されてきたその連続性に基づくことで初めて成立しているのです。今期のてんびん座もまた、そうした意味での贈与、すなわち覚悟をもって他者にエネルギーを贈っていくことがテーマになっていくでしょう。 
 
 
参考:ジョルジュ・バタイユ、酒井健訳『呪われた部分』(ちくま学芸文庫) 

《蠍座(さそり座)》(10/24〜11/22)

今期のさそり座のキーワードは、「有難く拝借」。

蠍座のイラスト
「金は天下の回りもの」などと幾ら言ってみたところで、実際やるのはむずかしい。そして特にむずかしいのは、お金の貸し借りだろう。大抵は下手にお金をいじくった挙句、「友人に金を貸すと、金も友達も失う」などという箴言を大真面目に信じ込んでいる。 
 
その点、人から金を借りるプロでもあった作家の内田百閒は、ロジックだとかエビデンスだとかがバカバカしくなるような、爽快な屁理屈を並べ立てて、その借金術について語っている。彼の借金術はなるほど、ノウハウなどではなく、ひとつの哲学である。 
 
百閒は「用事がないのに出かける」旅の電車賃の工面について、『阿房列車』の中で次のように語っている。 
 
一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云うのは性質のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払えないと云うのは最もいけない。 
(中略) 
そんなのに比べると、今度の旅費の借金は本筋である。こちらが思いつめていないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであろう。ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云う事である。それを思うと面白くないけれど、今思い立った旅行に出られると云う楽しみは、まだ先の返すと云う憂鬱よりも感度の強度が強い。せめて返済するのを成るべく先に延ばす様に諒解して貰った。じきに返さなければならぬのでは、索然として興趣を妨ぐること甚だしい。いずれ春永にと云う事になって、有難く拝借した。」 
 
思いつめて借金することほどつまらないものはない。どうせなら愉しいことを思い描いて、それを人に説明してから「有難く拝借」しようではないか。それはそのまま、今期のさそり座に言いたいことの要点でもあります。 
 
 
参考:内田百閒『阿房列車』(ちくま文庫) 

《射手座(いて座)》(11/23〜12/21)

今期のいて座のキーワードは、「華厳」。

射手座のイラスト
デカルト以降の、近代のいわゆる機械論的なものの見方というのは、言ってみれば事物を細部の原因へと分解していって、そこで見つけた既知の諸要素から、部品を組み立て直すようにして世界を説明しようとするものでした。 
 
その意味で、機械論というのは「多の一」の思想と言うことができますが、これだと本当には新しいものは生み出されてきません。だから、そもそも部分があるためには、その大元に一つのトータルな、さまざまな矛盾や対立をはらんだ全体がないといけないという「一の多」みたいな逆転の発想を、二十世紀になって欧米でもベルクソンやホワイトヘッドなんかの哲学者たちが指摘し強調するようになっていった訳です。 
 
ただ、日本にはもともとそういう「一の多」みたいな発想は近代以前から根付いていたんです。それが密教と融合して土着化した華厳経の思想で、奈良の東大寺の大仏に象徴される形で、それは日本人の文化のなかに広く深く生き続けてきました。そのことについて、仏教学者の鎌田茂雄は『華厳の思想』のなかで次のように述べています。 
 
名もなきもの、微小なるもののなかに無限なるもの、偉大なるものが宿っているという「一即多」の思想は、日本人の生活感情にもぴったりするものがあった。野に咲く一輪のスミレの花のなかに大いなる自然の生命を感得することができるのは、日本人の直感力による。華道や茶道の理念にもこの精神は生きているのである。(…)たとえば明恵上人は高山寺の森のなかで一輪のスミレを見て、スミレの花のなかに宇宙の秘密を見出そうとした。あるいはスミレの葉の上に一滴の露が宿っている、そこに朝日が輝いてキラッと映る、この一滴の雫のなかに全宇宙が映し出されるとする。(…)自然科学的な目で見れば何も映らない。露はどこまでも露で、日が当たれば溶けるだけである。H2Oが分解したというようなもので、何も映らないのだが、すぐれた直感力で見ると、そういうものが見えてくるのである。」 
 
こういう「一の多」の「一」というのは、先取りされた虚構であり、幻影でもある訳ですが、そういう現実をそっくり包み込む大きな全体のようなものが感じ取られるプロセスが止まってしまうと、機械と生命とか、主体と対象といった、一方が他方に従属する二項対立しか残らなくなってしまう。それは、現代のグローバリズムが描き出す過程の一部にどこまでも現実が還元されていく世界ですが、今期のいて座は、そうした現実世界を超える発想を、改めて発見し直していきたいところです。 
 
 
参考:鎌田茂雄『華厳の思想』(講談社学術文庫) 

《山羊座(やぎ座)》(12/22〜1/19)

今期のやぎ座のキーワードは、「リアリティを作れる人」。

山羊座のイラスト
今回の総選挙をめぐって与野党の党首討論などを見ていると、改めてもはや国民全体で共有できる未来像や、国の全体像というのがますます崩れてきているんだな、ということを実感しています。つまり、あらゆる人にとって共通の真実というものが成立しないという話で、そういう「ポスト・トゥルース」の時代というのは、無数のリアリティが乱立してしのぎを削りあっていく時代でもあるのです。 
 
そこではもちろん、どのリアリティに自分は同調しやすいのかという自覚に基づいた投票という政治への関与も大切になってくる訳ですが、一方で、そもそもの前提として、ある程度のリアリティは自分でも作れるという前提がないと、社会生活の健全さは保っていくことができないのではないでしょうか。 
 
そうした議論について、例えば落合陽一、清水高志、上妻世海の三者鼎談をまとめた『脱近代宣言』では、次のような言い方で分かりやすく説明してくれています。 
 
上妻 僕が、二十一世紀はどうなると考えているかと言うと、虚と実がどんどん回転入れ子状態になって、回転し続けてる世界になると思っていて、だからネットで誰々がダメだと言うことの有効性はほとんどないんですよ。僕がなぜこういう世界でキーワードとして「制作」というものを掲げているかというと、リアリティを作れる人じゃないとダメだと思っているからです。僕たちは全員が今武器を持っているんですよ。Fabも使えるしコミュニケーション・ツールももっている。全員が比較的平等にツールをもってるんですよ。そのときに不満を述べたりとか、なにか人に対してネットで上から目線で攻撃したりっていうのは非常に二十世紀な発想で、そういうことをしていても、実在性を生みだす人にとっては意味がないんです。 
清水 単なる主体性の奪い合いみたいな話にしかならないよね。「形を変ずる」こと、それがポエーシス(制作)だって西田も言うんだけど、そういう契機をもたないと、実際は主体化も決して出来ないんだよ。 
上妻 リアリティをみんな作れる、各々のリアリティを作れるっていう環境になっていってるわけだから、そこで受け身になってたらダメで、各々がそのリアリティを作っていく闘いに参戦しないと話にならない世界観になりつつありますね。」 
 
今期のやぎ座もまた、そうした自分なりの「リアリティ作り」ということを活動の根底に見据えて直していきたいところです。 
 
 
参考:落合陽一・清水高志・上妻世海『脱近代宣言』(水声社) 

《水瓶座(みずがめ座)》(1/20〜2/18)

今期のみずがめ座のキーワードは、「ろくな人間じゃない」。

水瓶座のイラスト
人間どうしても、自分が苦労してやり遂げたことなどがあると、それにいつまでも固執してしまうものですが、もし三十代、四十代になっても二十代のときの自慢をしているとすれば、それはもうとうに時間が止まってしまっている訳です。かといって、あんまり過去を否定するのもかえって執着をうみますし、そういう塩梅というのは意外と誰も教えてくれません。 
 
その点で見事だったのが、ギター演奏家で作家としても成功した深沢七郎でした。彼は42歳のときに民間伝承の姥捨て伝説を題材にして書いた処女作『楢山節考』で、当時の有力作家や辛口批評家たちに衝撃を与え、三島由紀夫をして「慄然たる思ひ」を只一度感じた「不快な傑作」と言わしめたのですが、後年、彼は自身の出世作でもある同書について次のように語っていました(対談相手は文芸評論家の秋山駿)。 
 
深沢 『楢山節考』がいいなんていう人が今まででありましたけどね、若い人で、二十歳位の人で、そんな人はろくな人間じゃないですね。あのもうこの間もそういうの来ましたよ。一年ばかり前に、『楢山節考』がよかった、そして何かサインしてくれって来たんですよ。それで、あんたはばかだなあ、あんたは仕事嫌いで、理屈ばっかり言って、親の銭ばかりたかるんじゃないの、いって言ったら、そいつは正直な男でね。そうです、そうですと言いましたね。そんなような人間がね、『楢山節考』はいいですねと言いますね。今まで、過去そうだったから。まあ四十、五十位の人だったらね、まあその人なりのよさが、いいなっていうけど、そんな二十位でもって、十七、八でいいなんていうのは、少しどうかしてますよ。 
秋山 でも、それは、だから、あの小説がいいから、若い人もわからなくても好きだから読む。 
深沢 若い人がいいって言うのは、私は、どうもあてになりませんね。理屈言いで、うまいものでも食って、年中遊んでいたような人がいいなんて言う。『楢山節考』という小説はうまいものを食ったというあとあじの感じのする小説ですね。」 
 
深沢にとってに世界とは、「私とは何の関係もない景色」であり、「面白きゃいいんだよ、ただ」という小説観もまたそうした世界観と表裏の関係にあったのだと思いますが、今期のみずがめ座もまた、そういう自分の過去作をひょいと扱ってしまうような飄々(ひょうひょう)さ、みたいなものをどれだけ持っていけるかということがテーマとなっていくことでしょう。 
 
 
参考:深沢七郎『深沢七郎の滅亡対談』(ちくま文庫) 

《魚座(うお座)》(2/19〜3/20)

今期のうお座のキーワードは、「逃げるが価値」。

魚座のイラスト
いつの時代も、どんな場所でも、社会的なプロセスというものはつねに「強い影」をもたらします。つまり、同僚であれ配偶者であれ、他者との関わりというのはたとえ“身内”であったとしても決して完全には安全であり得ないですし、いったん個性化が進めば、個人が複数集まれば、そこでは競争や所有、攻撃などネガティブな影響力から避け切ることはできないですし、完全に傷つかずに生きることは不可能と言えます。 
 
そして、いったん傷を負った人間が取り得る手段は、専門家の判断を仰いで適切かつ迅速な治療にみずから取り組むか、自然治癒に任せるか、あるいは傷そのものをごまかすかのいずれかでしょう。はじめの手段をとる人は最も少なく、またそれが可能なケースも限定されており、社会が複雑化すればするほど、ますます最後の手段を取る人が増えていくのが自然な経過というものでしょう。 
 
にも関らず、たとえば違法薬物乱用に対する厳罰化を求める風潮などは、むしろ年々高まっているそうです。こうした風潮は、社会全体を思考停止に追い込むだけに留まらず、ますます「目に見えない傷」を負う人を増やしますが、現代社会はそれに歯止めをかけるどころか、むしろ加速化の一途をたどっている訳です。 
 
ただし、一部にはそうした風潮を警告する専門家もいます。たとえば、依存症治療を専門とした精神科医の松本俊彦は、『薬物依存症』のなかで「回復には強さはいらない。弱さは決して恥ずかしいことではない。自分の弱い点を熟知し、危険な状況をうまく避け、弱さを補う賢さにこそ価値がある」「強くなるより賢くなれ」と主張しつつ、「必要なのは刑罰ではなく、治療」と世間に発信し続けています。 
 
とはいえ、これからも社会の側は「正しさ」や「強さ」をその構成員に要求し続けるはずですし、多くの人々はそれに応えつつ、小さな傷をたくさん重ねていくはず。今期のうお座は、これからもそうした時代状況をしぶとく生き延びる続けるためにも、自身の「隠れ場所」を目ざとく、賢く、確保していくことがテーマとなっていくことでしょう。 
 
 
参考:松本俊彦『薬物依存症』(ちくま新書) 
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。



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