【獅子座】哲学派占い師SUGARさんの12星座占い<11/14~11/27> 月のパッセージ ー新月はクラい、満月はエモいー
12星座全体の運勢
「あえて空気を読まない」
落葉の季節である「小雪」をいよいよ迎えていこうかという11月19日に、今年2回目の月食満月がおうし座27度(数えでは28度)で起きていきます。
そんな今回の満月のテーマは「逆張りによる自己解放」。それは与えられる幸せや恵みをただ素朴に受け取り、自然な流れとして黙って従っていくのではなく、むしろ世の中の「普通」やこれまでの自分だったら「当然」と感じるような展開に思い切って反することで、人生に対する新しい見方・考え方を抱くことをみずから可能にしていくということに他なりません。
つまり、迷ったらあえて大変そうだな、とか普通ならこうしないな、という方を選んでいくということで、これは変に豊かな経験にとらわれた愚かさから脱却し、結果的に心からの「若返り」を図っていくということでもあります。
たとえば、今でこそ本来の季節以外でも手に入る花が増えましたが、昔は冬には花は咲かないのが普通でした。そんな中でキンセンカの花は歳時記では春の季語ですが、花期がひときわ長いために、「時不知(ときしらず)」と呼ばれ、冬でも咲いています。
しかし本来、おそらく一番の時不知は私たち人間でしょう。ときに時間の流れや法則さえも超えてしまうことこそが人間の自然な本質でもあり、年齢や性別、社会的立ち位置などに囚われず、行動していくことは人間的な愉しみの原点でもあるように思います。その意味で、今期のあなたもまた、そんな「時不知」のひとつとなって、狂い咲いていくことになるかも知れません。
そんな今回の満月のテーマは「逆張りによる自己解放」。それは与えられる幸せや恵みをただ素朴に受け取り、自然な流れとして黙って従っていくのではなく、むしろ世の中の「普通」やこれまでの自分だったら「当然」と感じるような展開に思い切って反することで、人生に対する新しい見方・考え方を抱くことをみずから可能にしていくということに他なりません。
つまり、迷ったらあえて大変そうだな、とか普通ならこうしないな、という方を選んでいくということで、これは変に豊かな経験にとらわれた愚かさから脱却し、結果的に心からの「若返り」を図っていくということでもあります。
たとえば、今でこそ本来の季節以外でも手に入る花が増えましたが、昔は冬には花は咲かないのが普通でした。そんな中でキンセンカの花は歳時記では春の季語ですが、花期がひときわ長いために、「時不知(ときしらず)」と呼ばれ、冬でも咲いています。
しかし本来、おそらく一番の時不知は私たち人間でしょう。ときに時間の流れや法則さえも超えてしまうことこそが人間の自然な本質でもあり、年齢や性別、社会的立ち位置などに囚われず、行動していくことは人間的な愉しみの原点でもあるように思います。その意味で、今期のあなたもまた、そんな「時不知」のひとつとなって、狂い咲いていくことになるかも知れません。
獅子座(しし座)
今期のしし座のキーワードは、「世間から転がり落ちる」。
例えば、最近ではワクチン接種などがそうですが、日本社会というのは暗黙のルールに従わない人を放っておいてはくれないものです。接種していないことが分かるや否や、いたるところから、「お前一人で生きているのではない」だとか、「みんなのお蔭で生きているんだから」といったお説教(しかも大抵は「あなたのために言うけれど」と付け加えてくる)が聞こえてくることもあるはず。
こういうことはむろん今に始まった話ではありません。戦後すぐの1948年に発表された太宰治の『人間失格』には次のようなやり取りがあります
「「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな。」
世間とは、いつたい、何の事でせう。人間の複数でせうか。どこに、その世間といふものの実体があるのでせう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こはいもの、とばかり思つてこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にさう言はれて、ふと、「世間といふのは、君ぢやないか。」といふ言葉が、舌の先まで出かかつて、堀木を怒らせるのがイヤで、ひつこめました。
(それは世間が、ゆるさない。)(世間ぢやない。あなたが、ゆるさないのでせう?)
(そんな事すると、世間からひどいめに逢ふぞ。)(世間ぢやない。あなたでせう?)
(いまに世間から葬られる。)(世間ぢやない。葬むるのは、あなたでせう?)」
こういう「世間」や「普通」といった言葉を使って人に物を言う人というのは、いつの時代もマジョリティの漠然と正しい了見の真ん中に自分を置き、世間を無視する者や知らぬふりをしている(ように見える)者をつかまえては、しつこく攻撃しようとする訳です。
ここで今期のしし座が考えなければいけないのは、ではどうしたらこうした轟轟たる「世間」からの攻撃を逃れることができるかということ。それも、仏門に入ったり、森の奥に引っ込んで暮らしたりするのでなく、普通に暮らしていながらも、「あいつは仕方ないか」と見逃してもらえるようになるためには……と。
おそらくそのための一番の近道は、「善良な市民」や「健全な社会人」をやめて、むしろ社会から転落することでしょう。とりあえず、会いたくない人にはできるだけ会わないようにすることから始めてみるといいかも知れません。
参考:太宰治『人間失格』(新潮文庫)
こういうことはむろん今に始まった話ではありません。戦後すぐの1948年に発表された太宰治の『人間失格』には次のようなやり取りがあります
「「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな。」
世間とは、いつたい、何の事でせう。人間の複数でせうか。どこに、その世間といふものの実体があるのでせう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こはいもの、とばかり思つてこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にさう言はれて、ふと、「世間といふのは、君ぢやないか。」といふ言葉が、舌の先まで出かかつて、堀木を怒らせるのがイヤで、ひつこめました。
(それは世間が、ゆるさない。)(世間ぢやない。あなたが、ゆるさないのでせう?)
(そんな事すると、世間からひどいめに逢ふぞ。)(世間ぢやない。あなたでせう?)
(いまに世間から葬られる。)(世間ぢやない。葬むるのは、あなたでせう?)」
こういう「世間」や「普通」といった言葉を使って人に物を言う人というのは、いつの時代もマジョリティの漠然と正しい了見の真ん中に自分を置き、世間を無視する者や知らぬふりをしている(ように見える)者をつかまえては、しつこく攻撃しようとする訳です。
ここで今期のしし座が考えなければいけないのは、ではどうしたらこうした轟轟たる「世間」からの攻撃を逃れることができるかということ。それも、仏門に入ったり、森の奥に引っ込んで暮らしたりするのでなく、普通に暮らしていながらも、「あいつは仕方ないか」と見逃してもらえるようになるためには……と。
おそらくそのための一番の近道は、「善良な市民」や「健全な社会人」をやめて、むしろ社会から転落することでしょう。とりあえず、会いたくない人にはできるだけ会わないようにすることから始めてみるといいかも知れません。
参考:太宰治『人間失格』(新潮文庫)
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。
文/SUGAR イラスト/チヤキ