2021年12月12日から12月25日までのSUGARの12星座占い
[目次]
  1. 【SUGARさんの12星座占い】<12/12~12/25>の12星座全体の運勢は?
  2. 【SUGARさんの12星座占い】12星座別の運勢
    1. 《牡羊座(おひつじ座)》
    2. 《牡牛座(おうし座)》
    3. 《双子座(ふたご座)》
    4. 《蟹座(かに座)》
    5. 《獅子座(しし座)》
    6. 《乙女座(おとめ座)》
    7. 《天秤座(てんびん座)》
    8. 《蠍座(さそり座)》
    9. 《射手座(いて座)》
    10. 《山羊座(やぎ座)》
    11. 《水瓶座(みずがめ座)》
    12. 《魚座(うお座)》

【SUGARさんの12星座占い】<12/12~12/25>の12星座全体の運勢は?

「最初の思い」 

年末が近づき、慌ただしさが増すとともに、華やかに街がにぎわうこの季節。そんな中、冬至直前の12月19日にふたご座27度(数えで28度)で今年最後の満月を迎えていきます。 

ふたご座28度のサビアンシンボルは「破産宣告を認められた男」。ここではもはや「優れた個人であることを証明する」という不毛な競争のフェーズが終わり、これまでどこかで違和感を感じていたアイデンティティやセルフイメージを不可逆的に壊していくことがテーマとなっていきます。 

ただ、それは本質的には必ずしもネガティブなものではなく、どんな人間もひとりで生きている訳ではない以上、自分がどんなコミュニティに属していて、いかなる仕方で持ちつ持たれつの網目の中にあるのかということを改めて可視化していく通過儀礼であると同時に、救われたい、誰かに、ないし社会に良いことをしたい、と心から最初の思いを発揮しなおしていく大きな節目ともなっていくように思います。 

ちょうど、この時期には「南天」が鮮やかな赤い実をつけますが、実に咳止めの薬効があり、葉にも腐敗防止の作用があるとされ、何より「難を転じる」という語呂合わせから、古来より縁起がいいとされてきました。 

今期のあなたもまた、みずからの未熟さ、つたなさを念頭に初心にかえり、これから自分は何をしていきたいのか、という「最初の思い」を真っ白な紙の上に書き出してみるといいでしょう。 

《牡羊座(おひつじ座)》(3/21〜4/19)

今期のおひつじ座のキーワードは、「径路」。

牡羊座のイラスト
生活に窮した書けない作家が故郷に帰り、妻子と再起をはかろうとするもうまくいかず、八方塞がりになっていく話を描いた葛西善蔵の『贋物』に、次のような一節があります。 
 
どうせ俺のような能なし者には、妻子四人という家族を背負って都会生活の出来ようはずがない。田舎へ帰って来たのは当然の径路というもんだろう。」 
 
この「径路(けいろ)」という言葉は、物事がたどってきた筋道、手順のことで、単に「ルート」と置き換えてしまいがちな言葉なのですが、実はそこには深い意味が込められているのです。 
 
「径路」の「径」はもともと機織りの様子をあらわした漢字であり、縦糸と横糸を組み合わせて機で織りあげていくさまから、「径」の字には、何かを成し遂げる、作り上げるという意味になりました。 
 
縦糸と横糸がひたすら織り込まれ、つながっていくからこそ一つの形になるのであって、どんな理由があろうと、それを途中で断ち切るということは、それまでの苦労もよき営みもすべて無駄になるということです。 
 
それほどまでに、「径」とは成し遂げるべき大切な何かをあらわす字なのであり、作中で主人公が発した「当然の径路というもんだろう」という言葉には、意識しようがしまいがそれだけの重みがあったのです。 
 
おひつじ座から数えて「道行き」を意味する3番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、自分が成し遂げていかなければならないものは何か、またそのために通していくべき筋とは何か、ということを改めてみずからに問うてみるといいでしょう。 
 
 
参考:葛西善蔵『贋物・父の葬式』(講談社文芸文庫) 

《牡牛座(おうし座)》(4/20〜5/20)

今期のおうし座のキーワードは、「火星の人類学者」。

牡牛座のイラスト
私たちは親子であれ夫婦であれ友人であれ、当然のようにお互いのことを分かり合えているかのように暮らしていますが、そうした“ふり”はもういっそ止めてしまってもいいのではないでしょうか。一読してそう思わせてくれるのがアメリカの精神科医オリヴァー・サックスの『火星の人類学者』であり、その中にアスペルガー症候群のテンプル・グランディンという女性の生活を描いた同名のエッセイがあります。 
 
彼女は動物学の博士号をとってコロラド州立大学の教授としてごく通常の生活を営んでおり、一見したところ世間にたいへんうまく適応しているような印象を与えるのだそうです。 
これは周囲とのやり取りが苦手なアスペルガー症には珍しいケースですが、にも関わらず、彼女自身はみずからを称して「私は火星に来た人類学者のようなものだ」と著者にその心情を告白するのです。 
 
『ロミオとジュリエット』には首をひねったし(「いったい彼らはなにをしているのか、 さっぱりわかりませんでした」)『ハムレット』となると、話が行ったり来たりするのでわけがわからなかった。それを彼女は、「前後関係のむずかしさ」と言ったが、それよりも登場人物に共感できず、込みいった動機や意図が理解できないせいではないかと思われた。「単純で力強く、普遍的な」感情なら理解できるが、複雑な感情やだましあいとなるとお手上げだという。「そういうとき、わたしは自分が火星の人類学者のような気がし ます」と彼女は言った。」 
 
フィールドに出向いた研究者というのは、得てして孤独な存在です。ふつう、現地には単独でおもむくものですし、最初は相手の話す言葉もまるっきりわからないことも稀ではありません。まして相手が何を考えているかなど、及びもつかないわけで、そういう状況の極限に到達したのが、もし火星人がいるとして、そこへ出向いた地球人研究者の置かれた立場であり、彼女も自分はそれにきわめて近いのだと言いたかったのでしょう。実際、著者は先の引用部分のあとに、「そういう女の声には、苦痛とあきらめ、決意、そして容認がないまぜになっているように思われた」と付け加えています。 
 
こうしたアスペルガー症の人たちはマイノリティではありますが、確実に存在しますし、そこまで極端とまではいかなくても、大なり小なり人の気持ちを汲み取ったり、自然に付き合ったりするのが不得手な人というのは想像以上に多いのではないでしょうか。 
 
その意味で、おうし座から数えて「充足」を意味する2番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、他者のことは分からない前提で、自分はこの世界で何を感じ、存分に味おうとしているのか、改めてみずからに問うてみるといいかも知れません。 
 
 
参考:オリヴァー・サックス、吉田利子訳『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』(ハヤカワ文庫NF) 

《双子座(ふたご座)》(5/21〜6/21)

今期のふたご座のキーワードは、「追創造」。

ふたご座のイラスト
時流にかなって売れたい、勝ち馬に乗りたい、できるだけリスキーな勝負は避けたいというのは、ある意味で普遍的な人間の心理ですが、最近ではそうした「時流」や「勝ち馬」、「安パイ」というイメージもまた広告代理店やメディアによってでっち上げられた幻想に過ぎないということも、エンタメ業界を中心にだいぶ広く知られてきたように思います。 
 
例えば「音楽史」で言えば、「正統派」と言うといつだってクラシック中心、バッハやベートーヴェン、ブラームスやモーツァルトを輩出したドイツ中心、そして器楽中心というイメージがありますが、そうしたイメージに反旗を翻してみせたのが、石井宏の『反音楽史』であり、そこで石井は正統から排除されてきた声楽や、イタリア・オペラを取り上げて音楽史を書き換えつつも、読者に次のような問いを投げかけています。 
 
こうした差別と偏見―クラシックは高級で、ポップスは低級、クラシックの演奏家は芸術家だがポップスの演奏家は流行歌手やバンドマンに過ぎない―それはいまもはびこっていて、世界的に信じられている。しかし、ほんとうに音楽には高級と低級の差があるのだろうか。ほんとうに美空ひばりは低級なのだろうか。ベートーヴェンを聴かずにひばりばかり聴いている人間はほんとうに低俗な人間であるのだろうか」 
 
むろんその答えは「否」である訳ですが、石井は何よりも弾き手(歌い手)がいて、聴き手がいて、音楽が成り立つという考え方に立ち戻るべきであり、いまのクラシック界にはそれがないと批判しています。例えば、「悲しい酒」は美空ひばりのために書かれた曲ではなく、最初は別の男性歌手がレコードに吹き込んだのですが、それはヒットせず、のちに美空ひばりの絶唱によって世に出て初めて百万人の愛唱歌となったのです。 
 
つまり、紙に書かれた譜面だけが音楽ではないということなのである。演奏者という存在があって、それが音になったとき、音楽は初めて音楽になるのである。譜面とはあくまで台本であり、台本だけでは芝居にならない。そこに役者という存在があっての芝居なのである。くり返せば音楽は演奏する(歌う)人がいて譜面から音を再生するときに音楽となるのだが、その際演奏する(歌う)人の行為は追創造と呼ばれ、一種の創造行為である。この追創造する人の良し悪しによって原曲が左右されることは右の「悲しい酒」の例にみたとおりである。」 
 
その意味で、自分自身の星座であるふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、ひとりの追創造者として、自分は何を弾き、歌い、演奏したいのか、問うてみるといいでしょう。 
 
 
参考:石井宏『反音楽史―さらば、ベートーヴェン』(新潮文庫)

《蟹座(かに座)》(6/22〜7/22)

今期のかに座のキーワードは、「noon a purple glow」。

蟹座のイラスト
一声聴いて、こんなにうつくしいことはあるだろうか、と思った詩の一つに、イェイツの「湖の島イニスフリー」があります。 
 
さあ、立って行こう、イニスフリーの島へ行こう、 
あの島で、枝を編み、泥壁を塗り、小さな小屋を建て、 
九つの豆のうねりを耕そう。それに蜜蜂の巣箱を一つ。 
そうして蜂の羽音響く森の空地に一人で暮らそう。」 
 
冒頭のI will arise and go now,いますぐ立ち上がって、私は行こう、という句からして、人生からしっかり失われてしまった部分にあらためて足を踏み入れる、あらたな出発の宣言として、完ぺきではないかと。 
 
あそこなら心もいくらかは安らぐか。安らぎはゆっくりと 
朝の帷(とばり)からこおろぎ鳴くところに滴り落ちる。 
あそこでは真夜中は瞬く微光にあふれ、真昼は紫に輝き、 
夕暮れは紅ひらの羽音に満ち満ちる。」 
 
「真昼は紫に輝き」という部分は原文ではnoon a purple glowですが、このglowとは燃えてない光の輝きであり、身体のほてりや高まり、心地よい満悦感をあらわす言葉で、真昼なのに夕暮れのようなむらさき色にまで紅潮しているというのは、いったいどんな景色を指しているんだろうと考えを巡らせずにはいられません。 
 
編者の高松雄一さんの脚注によれば、晩年のイェイツはみずから「紫のヒースの花が湖水に映えて輝くのをこう歌ったのではないか」と推測していたそうですが、この詩の最後の一節にあるように、イェイツはこの詩を舗装されたロンドンの灰色の街路にたたずんで、つくづく故郷を想いながら歌ってみせたのです。 
 
ただ、個人的にはその最後の一節は蛇足でしょう。というのも、もういい今度こそ故郷にかえるんだ、という詩人の決心そのものが虚構に過ぎなかったから。本当に都会の喧噪が嫌だったら、詩などつくる前にとっくに帰っていただろうし、アイルランドの文芸復興だなんてややこしいことに首を突っ込んだりしなかったのではないでしょうか。 
 
かに座から数えて「喪失」を意味する12番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、故郷から引き裂かれつつ都会に生きたイェイツのように、かけがえのないものの実感を他ならぬ自身の心の中にゆっくりと宿らせてみるといいでしょう。 
 
 
参考:高松雄一編『対訳 イェイツ詩集』(岩波文庫) 

《獅子座(しし座)》(7/23〜8/22)

今期のしし座のキーワードは、「世にしたがわねば、いっそ楽」。

獅子座のイラスト
この世の無常と草庵での簡素な暮らしについて綴った鴨長明の『方丈記』は、中世を代表する随筆として、何より「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という冒頭の書きだしと共に知られています。しかし作家の堀田善衛が『方丈私記』書いているように長明の生きた時代は、戦乱で、どろぼうをしなければ生きられない、あるいは人を傷つけなければ生きられなかった恐るべき生活難の時代でした。 
 
つまり、「無常」というのは観念の遊びでも何でもなく、実際的な問題としてその時代に生きる者にすべからく突き付けられていた、ありのままの現実だったのです。長明はそうした当時の人々の暮らしの実情について、 
 
世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身に宿し、たまゆらも心を休むべき。」 
 
と書いていましたが、堀田によればそれでも甘く、「実状として、したがはねば、ではなくて、したがへばしたがふほど、狂せるに似たり、だった」のであり、「世にしたがへば、狂せるに似たり。したがはねば、身くるし」と言いかえてもよいほどのものだったそうです。この場合の、「世にしたがう」とは自分たちに当然の権利主張を行っていくこと。なお、詩人の蜂飼耳は先の原文を次のように現代語訳しています。 
 
世間の常識に従えば、苦しくなる。従わなければ、まともではないと思われてしまう。どんな場に身をおいて、どんなことをして生きれば、しばらくの間だけでも、この身とこの心を安らかにさせておくことができるのだろうか。」 
 
長明が晩年に、「世にしたがわねば、いっそ楽」という境地に突き抜け、それを身をもって示すまでにも、やはりこうした世俗のくるしみに翻弄された長い日々があったのであり、無常とか無常観といったことも、いきなり一足飛びにそこに行き着いたのでは決してなかった訳です。 
 
その意味で、しし座から数えて「中長期的なビジョン」を意味する11番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、「狂せる世に狂いまわるのではなく、大原にこもって理性を立ててみる」という長明がじつに五十歳にしてようやく到達した境地を、ひとつ自身の参考にしてみるといいでしょう。 
 
 
参考:堀田善衛『方丈私記』(ちくま文庫)、鴨長明、蜂飼耳・訳『方丈記』(光文社古典新訳文庫) 

《乙女座(おとめ座)》(8/23〜9/22)

今期のおとめ座のキーワードは、「自己承認欲求の血の池地獄」。

乙女座のイラスト
「自己承認欲求」という言葉をよく聞くようになった、と橋本治が書いていたのは2017年になったばかりの頃のエッセイでした。 
 
どうもその頃から、私たちは「どうでもいい写真をSNSに載せるのは自己承認欲求だ」とか、そういう言い方を頻繁にするようになったのだそうですが、それが「下らない自己主張」ではなくて「自己承認欲求」なのは一体どういうことなんだ、と橋本は考えました。 
 
相手がいなくても勝手にできるのが自己主張ですが、自分を認めてくれる相手を必要とするのが自己承認欲求なわけで、そうすると自己承認欲求というのが当たり前のように広がっているということは、誰もがみな「私は認められてしかるべき」だと思う根拠を勝手に持っているということで、橋本さんはそうすると、誰がそうした承認欲求を満たしてくれるんだろうか、と畳みかけます。 
 
芥川龍之介の昔なら、認められたいと集まったみんなが集まる地獄につながってる極楽にお釈迦様がいて、これはと思った場合は蜘蛛の糸を下ろされたりもしようけれど、特別な立場をもつ人がいなくなって、みんなが平等に自己承認欲求を抱いて自由に口にできるようになっちゃうと、いつの間にかみんな「自己承認欲求のさざ波が立つ平等の血の池地獄」に立ってあえいでいるんじゃないか、と。 
 
そして、それは「他人に認めてもらいたくてジタバタする不幸な子供」であり、世界情勢に目を移すと、「世界の警察」の役割をしていたオバマのアメリカに対する金正恩なんか、まさにアメリカと平和条約を結びたくて「こっちを認めてくれ」と言っている不幸な子供そのままだろうと指摘してみせるのです。 
 
一方で、橋本は自身の経験を踏まえて「世の中って、そんなに人のことを認めてなんかくれないよ」と漏らし、「自己承認欲求というのは平和がもたらした贅沢な産物」であり、もう自分は一人前の大人なんだ、という明確な自覚を持てなかった人がかかる現代病なのだと釘を刺します。 
 
その意味で、おとめ座から数えて「世間」を意味する10番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、そうした自己承認欲求そのものがほとんど成り立たない社会状況のなかで、「人生ってそんなもんだよな」と、北風が吹く荒野をひとり歩いていけるかどうかが問われていくのではないでしょうか。 
 
 
参考:橋本治『思いつきで世界は進む』(ちくま新書)

《天秤座(てんびん座)》(9/23〜10/23)

今期のてんびん座のキーワードは、「一見バカげた問い」。

天秤座のイラスト
環境破壊のもたらす地球規模の危機が今ほど世界中で盛んに訴えられている時代はありませんが、昆虫愛好文化というのは、そうした危機への人類の本能的な応答の一つなのではないかと思います。 
 
そして日本という国もまた特異な昆虫愛好文化の国のひとつなのですが、そんな我が国の昆虫少年/少女をうみだす最大のきっかけとなってきたのが、1922年にはじめて邦訳されて以降、何度も訳者を変えて出版され続けてきたファーブルの『昆虫記』でしょう。 
 
「比類なき観察者」とダーウィンから称賛されたファーブルは、しかし進化論を認めず、正規の学者へのコースをたどらなかったため、傍流に甘んじなければならなかったにも関わらず、今日その名を冠した著書の存在を知らない人はいないほど、多くの人の関心を惹きつけていますが、その魅力は昆虫の生態に関する観察のディテールだけでなく、それらの間に挿入されているみずからの人生への回想や感想の独特の味わいに由来しています。 
 
例えば彼は自分のような昆虫学は「万人に受けていない」し、「人々は虫の実際と行動を調べる野の人間を大して尊敬していない」とぼやきつつ、それでもこれまでこの道を歩き続けてこれたのは、「幼い時から物を観察したり不審がる性質」があることに気付いて、それを伸ばしえたからだと述べています。 
 
そして、そうした自身の性質に最初に気づいた瞬間について、彼がまだ五、六歳のころ、寂しい山の中の祖母の家に預けられ、ガチョウや山羊のあいだで生活していた当時の記憶をたどって、次のように書いています。 
 
原初の知的な微光が目覚めたのは、ある日、幼い私が両手を後ろにし、太陽の方に向いて考え込んでいた」とき、「私は灯火の明るさに惹きつけられる蛾であった。私が輝く栄光を口で見ているのか、あるいは眼で見ているのか」と自問し、眼と口とを交互に閉じることによって、「私は私が眼で太陽を見るということを的確に知ったのだ」と。 
 
てんびん座から数えて「探求」を意味する9番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、そうした一見するとバカげた、しかし根本的な問いから出発していくことを改めてみずからの初志として大切にしていきたいところです。 
 
 
参考:ファーブル、山田吉彦・林達夫訳『完訳 ファーブル昆虫記』(岩波文庫)

《蠍座(さそり座)》(10/24〜11/22)

今期のさそり座のキーワードは、「第三の選択肢」。

蠍座のイラスト
ここのところ、これほどまでにSNSが普及・浸透したことに加え、コロナ禍を通じてオンラインでリアルタイムにやり取りができるようになった今の時代ほど、歴史的に見ても人類がコミュニケーションにおける誤解や行き違いが経験する頻度が高まった時代はないのではないかと思うことが増えてきたのですが、そこで思い出されるのが、ほとんどの精神病理はコミュニケーション不全という状態のことを指す、というグレゴリー・ベイトソンの指摘です。 
 
精神医学者・文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンは、そうしたコミュニケーション不全を引き起こす典型的なパターンを「ダブル・バインド」と呼びましたが、その具体例として次のような話を紹介しています。 
 
禅の修行において、師は弟子を悟りに導くために、さまざまな手口を使う。その中のひとつに、こういうのがある。師が弟子の頭上に棒をかざし、厳しい口調でこう言うのだ。「この棒が現実にここにあると言うのなら、これでお前を打つ。この棒が実在しないというのなら、お前をこれで打つ。何も言わなければ、これでお前を打つ」。(中略)禅の修行増なら、師から棒を奪い取るという策にも出られるだろう。そしてこの対応を、師が「よし」と認めることもあるだろう。」 
 
私たちがもっとも精神を蝕まれるのは、こうした相矛盾したメッセージ内容を同時に伝えられることによって生じる、答えを最初から封じられたコミュニケーションなのですが、しかしベイトソンが最後に提示した「師から棒を奪い取るという策」という行為はそうした「矛盾のコミュニケーションの外へ」と出ていくという選択なのだと言えます。 
 
それはいわば、あれかこれかという二者択一を強いられた状況で、第三の選択肢を生みだしそれを選択するというクリエイティブな解決策であり(先の例だと厳密には第四の選択肢ですが)、それを実行できた時にはじめて、人はダブル・バインドという呪縛的状況から自由になることができるのかも知れません。 
 
同様に、さそり座から数えて「感情的なしがらみ」を意味する8番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、もしもうそこから卒業してもいいダブル・バインドに心当たりがあったなら、「矛盾のコミュニケーションの外へ」と出ていくチャンスだと思って改めて相対してみるといいでしょう。 
 
 
参考:グレゴリー・ベイトソン、佐藤良明訳『精神の生態学』(新思索社) 

《射手座(いて座)》(11/23〜12/21)

今期のいて座のキーワードは、「目を見開く」。

射手座のイラスト
良きにつけ悪しきにつけ、時に私たちは「百聞は一見に如かず」ということを人生において経験し、或るひとつの光景を目にすることで人生まで変わってしまうことがあります。そして、そうした視覚によって焼き付けられた記憶やそれにもとづく感情は、やはり同じ視覚による異なる光景との出会いを通してしか変化させることはできないでしょう。 
 
その意味で、アン・リンドバーグにせよ、サン=テグジュペリにせよ、飛行機を使って空から地球を「見てしまった」作家というのは、人間について、それまでになかった視野を切り開いてくれたように思いますし、例えばサン=テグジュペリの『人間の大地』には、「僕らは宇宙的尺度で人間を捉え、実験器具を覗き込むように飛行機の窓から人間を観察する。僕らは僕ら自身の歴史を読み返す」という、視野の拡張が私たちにとって何を意味するのかを示唆する文章が出てきます。 
 
こうした新しい尺度や視野との出会いは、それとともに人間がつくりだす文学や建築や音楽をも少しずつ変えていくはずですが、何より私たちの人間関係をも大きく変えていくのではないでしょうか。 
 
「どうして僕らが憎みあったりするだろう。」 
 
サン=テグジュペリはこんな風にも書いています。 
 
僕らはこの世界に対して連帯して責任を負っているのだ。僕らは皆、同じ惑星によって運ばれていく仲間であり、同じ船の乗組員なのだ。さまざまな文明がぶつかりあいながら新たな統合を目指すのはいいが、互いにむさぼりあうのはごめんだ。」 
 
同様に、いて座から数えて「視線の交錯」を意味する7番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、こうした星占いも含めて、空からの視点で、人間がみずからがどう変わってしまったのか、また、変わっていきたいのか、改めて考えてみるといいかも知れません。 
 
 
参考:サン=テグジュペリ、渋谷豊訳『人間の大地』 (光文社古典新訳文庫) 

《山羊座(やぎ座)》(12/22〜1/19)

今期のやぎ座のキーワードは、「多孔的な自己」。

山羊座のイラスト
中学生のとき、国語の授業で「自殺はなぜ悪いか」というテーマが話題になったことがありました。その時にそれが良いか悪いかは別として「自殺とは想像力の断絶ではないか」という言葉が出てきたのを、今でもたまに思い出すことがあります。 
 
その後、主に社会人として働いていたときに、睡眠時間の減少がいかに人間の判断能力や想像力を低下させるかということを痛感させられたのですが、それはとりもなおさず、自分自身を大切にすることを疎かにしていけば、必然的に自滅に追い込まれていく、ということを再確認させられた経験でもあった訳です。 
 
なぜ人はそうなってしまうのかということを、自分の経験にひきつけて考えてみれば、それはどこかで自身を過信したからであり、もっと言えば、その根底には誤ったセルフイメージへの固執があったからではないかと考えています。 
 
ただ、ここでセルフイメージと言っているのは、個々に振り分けられた「個性」や「キャラ」というよりも、もっと根本的な自己の在り方のようなものなのですが、それについて例えば英文学者の小川公代は『ケアの倫理とエンパワーメント』のなかで、カナダの政治哲学者チャールズ・テイラーにならう形で、近代社会における対照的な自己像として「緩衝材で覆われた自己」と「多孔的な自己」という二つのモデルを取り上げています。 
 
前者は、「「自立した個」とも正義論の自己像ともいえる「緩衝材で覆われた」イメージであり、「自分自身を決して脆弱ではない存在者として、つまり、自らを事物の意味の所有者であると理解することができる(『世俗の時代』)」というもので、これはサラリーマン時代の勤め先もそうであったコンクリートで出来た高層ビルや、いつからか成功者のアイコンとなったタワマンをどこか連想させます。一方で、小川はそれと対照的な自己モデルとしての後者について次のように言及しています。 
 
「多孔的な自己」は、より緩やかな輪郭をもつ、近代では希薄になっている「多孔的な存在としての自己である。つまり、「多孔的な自己」とは、一個の主体としてではなく、自己がつねに霊性を帯び、それが内的世界と外的世界とを行き来するような通気性のよい自己である。」 
 
はじめてこの一節を読んだとき、なんとなく猫バスを連想したのを覚えています。同様に、やぎ座から数えて「ケアすること」を意味する6番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、どうしたらそうした「通気性のよい自己」や、そうあれるような暮らしが成立していくのかということについて、改めて想像を膨らませてみるといいでしょう。 
 
 
参考:小川公代『ケアの倫理とエンパワーメント』(講談社) 

《水瓶座(みずがめ座)》(1/20〜2/18)

今期のみずがめ座のキーワードは、「五十人くらい」。

水瓶座のイラスト
国連の出した報告書などを見ると、世界人口は今後2050年には97億人へと、今後30年で20億人の増加となる見込みだそうですが、日本をはじめ少子高齢化に陥っている先進国などでは、今後人口の減少を経験する国も増えていく見込みなのだそうです。 
 
岩明均の名作漫画『寄生獣』の冒頭シーンにも、「この星には人間が多すぎる」という人類の集合的無意識が漏らした(という設定の)セリフがありましたが、どうも地球との関係において人類を捉えていく際のキーワードは、完全に「成長」やら「発展」から、「限界」や「衰退」ないし「滅亡」や「再構築」へと切り替わりつつあるのでしょう。 
 
そうするとまだまだ幅を利かせている「いい年をして独身なんてみっともない」とか、「結婚しているのに子供がいないというのは何か問題がある」といった考えも、どんどん古くなっていくはずですが、個人的にはどうもまだこうしたことを不躾に言ってくる(言う方は大抵は親身になっているつもりの)相手に対するうまい切り返しというのを、直接的にはほとんど見聞きしたことがないように思います。 
 
そこで思い出されるのが、作家の深沢七郎が1963年に行われた木山捷平との対談のなかで、既婚で子が一人いる木山にやはり「そろそろ女房をもらったら」「子供は…」などと聞かれるなかで交わされた次のようなやり取り。 
 
深沢 僕はいろいろ束縛されるのが嫌ですからね。それから感謝されるのが嫌ですね。それが今までで一番嫌なんです。責任をもつということが大嫌いなんです。いつでも責任を持たされてね。 
木山 締切と枚数と同じだ。(笑) 
(中略) 
深沢 大体僕は地球上に人間がふえるということが反対ですね。子供は一人でいいんじゃないですか。 
木山 親が二人だから、それじゃ半分になっちゃう。 
深沢 半分になったほうがいい。正宗先生に、「東京にこんなに人がいる。五十人くらいでいいんじゃないですか」といったら「五十人じゃア」というから「太田道灌が江戸城を築く前にはそのくらいだったじゃないですか」「それでもそんな……」「その前はそのくらいじゃないですか」といったら、黙っちゃったですものね。(笑)」 
 
みずがめ座から数えて「子ども」を意味する5番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、深沢くらい頓智をきかせてこれからの未来を語っていきたいものです。 
 
 
参考:深沢七郎『深沢七郎の滅亡対談』(ちくま文庫)

《魚座(うお座)》(2/19〜3/20)

今期のうお座のキーワードは、「風水よりわび・さび」。

魚座のイラスト
経済的に他のアジア諸国に肩を並べられるどころか、さまざまな指標において既に追い抜かれて久しい日本ですが、GDPや海外純資産といった経済指標以外のところで、何が強みなのかと聞かれた際、今や真っ先にアニメや漫画などの文化的なソフト資産をあげる人がほとんどであるはず。 
 
そして、そこからさらに一歩踏み込んで、ではそうした日本文化を特徴づけるものとは一体何か、と問われたとき、とっさに「わびさび」などと口に出してみる人はいても、そこでうまく説明できる人はほとんどおらず、従って「わびさび」を実際に自分の活動に適用できている人もほとんどいないのではないでしょうか。 
 
とはいえ「Wabi-Sabi」はいまや「Sake」や「Robata」などと並んで英語で名詞化されたように使われている言葉の一つでもあるのですが、そのきっかけとなった一冊に、Twitter社の元CEOのジャック・ドーシーも愛読書にあげたレナード・コーレンの『Wabi-Sabi わびさびを読み解く for Artists, Designers, Poets & Philosophers』があります。 
 
副題に「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のために」とあるように、クリエイティブな創作活動全般に興味を持つ人たちに、じつに分かりやすく書かれているのですが、コーレンは「わびさび」をまず、「不完全で、はかなく、未完成のものが織りなす美」であり「謙虚で、つつましやかなものが織りなす美」と定義しつつ、似た言葉として「RUSTIC(シンプル、野暮ったい、ザラザラした)」や「プリミティブ・アート(土臭い、気取りがない、簡素)」を挙げ、さらに次のようなイメージや素材も提案しています。 
 
わび・さびのイメージは、私たち自身の生命に限りがあることを直視させ、存在することの孤独と静かな悲哀を感じさせる(かもめやカラスの鳴き声。霧笛の音色。ビルの合間に鳴り響く救急車のサイレン)」 
「わび・さびのモノにつかわれている素材は、認識できる範囲を超えている(和紙を透過した光、ひび割れた粘土、錆びた金属)」 
 
うお座から数えて「心の基盤」を意味する4番目のふたご座で満月を迎えていく今期のあなたもまた、自身の日本人としてのアイデンティティを感じ直す意味でも、「わび・さび」の素材やイメージを自分の生活空間や日常に取り入れてみるのはいかがでしょうか。 
 
参考:レナード・コーレン、内藤ゆき子訳『Wabi-Sabi わびさびを読み解く for Artists, Designers, Poets & Philosophers』(ビー・エヌ・エヌ新社) 
<プロフィール>
應義塾大学哲学科卒。卒業後は某ベンチャーにて営業職を経て、現在西洋占星術師として活躍。英国占星術協会所属。古代哲学の研究を基礎とし、独自にカスタマイズした緻密かつ論理的なリーディングが持ち味。



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