2022年2月6日から2月19日のSUGARの12星座占い
[目次]
  1. 【SUGARさんの12星座占い】<2/6~2/19>の12星座全体の運勢は?
  2. 【SUGARさんの12星座占い】12星座別の運勢
    1. 《牡羊座(おひつじ座)》
    2. 《牡牛座(おうし座)》
    3. 《双子座(ふたご座)》
    4. 《蟹座(かに座)》
    5. 《獅子座(しし座)》
    6. 《乙女座(おとめ座)》
    7. 《天秤座(てんびん座)》
    8. 《蠍座(さそり座)》
    9. 《射手座(いて座)》
    10. 《山羊座(やぎ座)》
    11. 《水瓶座(みずがめ座)》
    12. 《魚座(うお座)》

【SUGARさんの12星座占い】<2/6~2/19>の12星座全体の運勢は?

「存分に自分をぬかるませる」 

大地が目覚め、うるおい始める時期とされる「雨水」に入る直前である2月17日には、しし座の27度(数えで28度)で満月を迎えていきます。 

寒さがゆるんだり、厳しくなったりと、もしかしたら一年のうちでもっとも大地の息づかいを意識させられる時期にもあたるタイミングですが、そんな今回の満月のテーマは「不思議なほどの気持ちの明るさを楽しむこと」。 

冬が終わると光あふれる春の日が訪れるように、多大なフラストレーションや深い暗闇の後には、必ずふわふわとした浮遊感や解放感を伴うような回復期がやってきます。今回のしし座満月の時期もまた、厳しい冬の終焉と本格的な春の到来とをつなぐ過渡期であり、寒さと乾燥で張りつめていた神経や身体の末端のこわばりをどれだけゆるめていけるかということが大切になっていきます。 

ちょうどこの時期に雪解けや霜解けで土壌がぬかるむことを、昔から「春泥」と呼んでいたように、積極的にアクビをしたり、特に上半身の緊張や指先のとどこおりをほぐしていくことで、存分に自分をぬかるませていくイメージで過ごしてみるといいかも知れません。 

涙や鼻水もどんとこい。春への始動は、まずは身体の中から。全身がアクビそのものであるかのような赤ちゃんになったつもりで、たっぷりとゆるんでしまうことを自分に許してあげてください。 

《牡羊座(おひつじ座)》(3/21〜4/19)

今季のおひつじ座のキーワードは、「光を求めること」。

牡羊座のイラスト
情報学者の落合陽一が、自分のラボでは有機体の活動を「人間か機械か」といった二分法で捉える代わりに「知能と物質と(光、音などの)波動の相互システム」で捉えようということを明文化している、という話をどこかに書いていました。おそらくこうした見方をすることで、私たちがその活動の意義について最も見直し評価しなさなければならない存在として、植物が挙げられるように思います。 
 
例えば、植物学の第一人者である著者が長年にわたり科学的に分析してきた植物の生態について詳らかにした『植物は<知性>を持っている』には、光合成によってエネルギーを補給する植物にとって最も重要な能力である、屈光性(光源の方向に向かって植物が成長していく性質)ないし避陰反応(日陰からの逃走現象)について次のような記述が出てきます。 
 
いわゆる「避陰反応」現象は、肉眼ではっきり確認できるため、古代ギリシア時代にすでによく知られていた。とはいえ、数千年前から当たり前の現象と見られていたとしても、植物のこの行動が示している真の意味は、ずっと無視されてきた。あるいは過小評価されたままだった。何が言いたいかおわかりだろうか?「避陰反応」は、知性の表れ以外の何ものでもないということだ。植物はリスクを計算し、利益を予想している。それこそまさに知性だ。これは植物を偏見のない目で観察してさえいれば、とっくの昔に明らかになっていたはずの事実である。」 
 
光をとりこみ、利用し、その質と量の微妙な変化を識別する植物の能力は、たしかに紛れもなく非常に高い知能がなせる業であり、植物のこうした知能は視覚にも喩えられるのですが、著者によれば彼らは四季の移り変わりに応じて視覚の使い方も変化させていくそうで、「冬のあいだ、成長周期を遅くし、「目を閉じ」、眠りつづける。春になるとまた正常に機能しはじめ、芽を出し、ふたたび葉をつけ、「ふたたび目を開ける」」のだそうです。 
 
しかも人間の場合は、目は顔の特定の部位に限定されますが、植物の光の受容体は葉っぱだけでなく、茎の若い部分や先端、ひげ、芽、木の枝や幹、根などにもあり、いわば「小さな無数の目で全身を覆われているようなもの」なのだそう。 
 
植物がそれほどまで物質(からだ)を適応させて感受しようとしている光を、私たちはふだんどこまで意識的に求めているでしょうか。今期のおひつじ座は、できるだけ彼ら植物を見習って、光を求めることを日々の暮らしの中で意識してみるといいでしょう。 
 
 
参考:ステファノ・マンクーゾ+アレッサンドラ・ヴィオラ、久保耕司訳『植物は<知性>を持っている』(NHK出版) 

《牡牛座(おうし座)》(4/20〜5/20)

今季のおうし座のキーワードは、「喜びを食べて生きる」。

牡牛座のイラスト
今回のしし座満月のテーマである「心身をゆるませること」に関連する話として、なにか大事な数学的発見の前には、弓がしなった時のような緊張と、それに続く一種のゆるみが必要になってくる、という考えを数学者の岡潔(おかきよし)がエッセイ集である『春宵夜話』に書いていました。 
 
その際、発見が正しいものである証拠として、必ず鋭い喜びが伴うのだそうです。それがどんなものかという問いに、岡は「チョウを採集しようと思って出かけ、みごとなやつが木にとまっているのを見たときの気持だ」と答えているのですが、その一方で自分自身のことについて「私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない」とも書いていましたから、言うなれば、世間的には立派な大数学者であっても、蓋を開けてみれば、ずっと虫網をもって野山で蝶を追っかけている昆虫少年のようなものだった訳です。 
 
しかも、それを瞬発的にやるのではなくて、ひとつの蝶、もとい、ひとつの問題を解くのに数か月、長いときには一年から数年かけて、緊張したり、ゆるんだりということをやっていく。岡はそのことについて、「種子を土にまけば、生えるまでに時間が必要であるように、また結晶作用にも一定の条件で放置することが必要であるように、成熟の準備ができてからかなりの間をおかなければ立派に成熟することはできないのだと思う」と述べた上で、後進のために次のようにアドバイスしています。 
 
だからもうやり方がなくなったからと言ってやめてはいけないので、意識の下層に隠れたものが徐々に成熟して表層にあらわれるのを待たなければならない。そして表層に出てきた時はもう自然に問題は解決している。」 
 
さすがゆるみのプロだけあって、説得力のある言葉ですが、その考えのことごとくに通底しているのは大自然との一体感です。 
 
よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけでのことである。」 
 
今期のおうし座もまた、ひと足早く春の野に咲くスミレになったつもりで、己の意識の下層に隠れていた種子から花を咲かせていく姿をイメージしてみるといいでしょう。 
 
 
参考:岡潔『春宵夜話』(光文社文庫) 

《双子座(ふたご座)》(5/21〜6/21)

今季のふたご座のキーワードは、「喪失の記憶の再浮上」。

ふたご座のイラスト
フロイトは自分の中で無意識に抑圧していることがらが、失言、言い間違い、言い損ない、つまり口を滑らせるという形で表に出るのではないかという仮説を立てましたが、主人公である語り手がつい口を滑らせることで大事な、忘れていけない何かが浮き上がってくるという仕立てが印象的な短編小説に、村上春樹の「象の消滅」があります。 
 
ここでは、村上春樹の作品を直接引用する代わりに、文芸評論家の加藤典洋がその“浮き上がり”を焦点に、ごく自然な手つきであらすじを解説した文章を引いてみたいと思います。 
 
「僕」がつい「象の話をし」てしまうと、これに雑誌編集者の女性が「どんな象だったの?どんな風にして逃げたんだと思う?いつも何を食べていたの?危険はないのかしら?」と矢継ぎ早に質問を投げかけ、「僕」が話をそらそうといくら「それに対して新聞に書いてあるようにごく一般的なありきたりの説明をし」ても、彼女はだまされない、という場面が出てきます。(中略)象がいなくなり「びっくりしたでしょ?」、そんなこと「誰にも予測できないですものね」と何気なく訊いてくるのに、「僕」がつい迂闊に「そうだね。そうかもしれない」と答えると、その言葉尻をとらえて、彼女は「そうかもしれない」というのは、とても奇妙な答えようではないか、と言い、「いい?私が『象が消えてしまうなんて誰にも予測できないもの』と言ったら、あなたは『そうだね。そうかもしれない』って答えたのよ。普通の人はそういう答え方はしないわ。『まったくね』とか『見当もつかないな』とか言うものじゃないかしらと彼に迫ります。そしてそこまで理路整然と問いつめられた彼は、ついには兜を脱ぎ、いよいよ「君の耳はおかしくないよ」と降参し、話をはじめるのです。」 
 
ある日、町のアイドルだった象が飼育員とともに忽然と消えた話の詳細はここでは省きますが、その出逢ったばかりの若い男女が交わすにはあまりに奇妙な話題について会話する二人について、加藤は次のようにも描写しています。 
 
かつては「ないこと」があった。でもいまはその「ないこと」もない。喪失の経験がない。そこには二つの「ないこと」があり、そのことに前者は気づいているが、後者はまだ気づいていないのです。二人の間で話題はすぼみ、ついに二人は黙る。三十分後、二人は別れます。」 
 
しかし、話した男にとっても、それを聞いた女にとっても、この「ないこと」の記憶は、そう遠くないうちに何か忘れてはいけない大事な意識の表面に再び浮上するでしょう。今期のふたご座もまた、こうした失言、言い間違い、言い損ないを見逃さないことです。 
 
 
参考:加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011 上』(ちくま学芸文庫) 

《蟹座(かに座)》(6/22〜7/22)

今季のかに座のキーワードは、「個体主義のやり直し」。

蟹座のイラスト
ここ20年あまりで、人間生活のあらゆる場面にコンピューターや人工知能が介入していき、情報操作が行われるようになってきましたが、金融政策にしても地域政策にしても、コンピューターや人工知能に依存せざるを得なくなってしまった現代社会の状況について、思想家の高橋巌と舞踏家の笠井叡は、ふたりの対談のなかで「今の時代ほど、人間が歴史に介入できなくなった時代はない」という風に言い表していました。 
 
そうして、あまりにひとりひとりの人間の意志を超えたところで現実が動くようになってしまった背景には、「人間は(コンピューターで処理可能な)情報化できるのか?」という問題が潜んでいるのだと指摘していくのです。 
 
例えば、人間の神経細胞の活動をすべて電気信号に変換してコンピューターの中にダウンロードする形で入り込むという研究をとりあげ、そうした自然科学に自分をいかに適用できているかという方向で自分自身を肯定していくこと、「これこそが現代の神話」であると述べた上で、その対極に「個体主義」を置いています。 
 
個体主義とはつまり、人間というのはひとりひとりの個人の意志が歴史に関わっており、良いか悪いかは別にして、たとえ無意識であっても歴史を動かしているのだという立場で、そうして人間がふたたび歴史に対して受動的ではなく能動的に関わろうとするならば、それはコンピューターを通してではなく、個体主義の出発点である「意識の由来」や「思考の本性」からやり直さなければダメなんだということを話しているのです。 
 
対談の中で、高橋巌はそうしたやり直しの先人として思想家のルドルフ・シュタイナーの名を挙げ、学問的な認識と内面的な信仰が別々に分けられていた近代の思想史の流れの中で、ただひとり「命を懸けて内面を表に出した」のがシュタイナーであり、その根本には「自己認識は神認識に通じる」というグノーシス主義的な自己認識(としての個体主義)があったのだとも言っています。 
 
今期のかに座もまた、「人間は情報化できる」という現代の神話に対して、いかに自分なりの「否」を叩きつけていけるか、また、個体主義のやり直しが自分の中に生きているか、ということを改めて実感していくことができるかも知れません。 
 
 
参考:笠井叡、高橋巌『戦略としての人智学』(現代思潮新社) 

《獅子座(しし座)》(7/23〜8/22)

今季のしし座のキーワードは、「沈めよ 涙に」。

獅子座のイラスト
詩は書きつけられた言葉の意味や込められた思想の内容のみでなく、言葉の響きもまた大変に重要であり、その意味で外国の言葉で書かれた詩の日本語訳、特に現代の口語文に訳されたものの多くは原語の響きに託された感動や陶酔を伝えることができていないように思います。 
 
その意味で、原文の言葉の響きにまで考慮された数少ない訳業の一つに、仏教学の泰斗である渡辺照宏氏の翻訳によるタゴールの宗教詩『ギータンジャリ』が挙げられるでしょう。 
 
わが頭(こうべ) 垂れさせたまへ 君が  
    み足の 塵のもと 
  わが高慢(たかぶり)は 残りなく 
    沈めよ 涙に 
  わが身を もし誇りなば 
  わが身を ただ卑しくす 
  己れを ただ 包み隠して 
    惑ひて 止まず 
  わが高慢(たかぶり)は 残りなく 
    沈めよ 涙に 
 
  われは 誇らじ 
    わが業なすとて―― 
  み心を成しとげたまへ 
    わが生命(いのち)を召して 
  あらま欲し 己が身に 
  こよなき君の 静寂(しずけさ) 優雅(みやび) 
  わが身を覆ひて 立ちませ 
    心臓(むね)の蓮華(はちす)に 
  わが高慢(たかぶり)は 残りなく 
    沈めよ 涙に」 
 
渡辺氏はまず吟唱し、唄うべきものとして作られた原詩の形式をできるだけ保存すべく、日本語でも唄えるように文語体で訳してみたのだそうです。 

今期のしし座もまた、こうした意味以前の言葉の響きや、それがもたらす陶酔に思いきり浸ってみるといいでしょう。 


参考:渡辺照宏訳『タゴール詩集 ギータンジャリ』(岩波文庫)

《乙女座(おとめ座)》(8/23〜9/22)

今季のおとめ座のキーワードは、「孤独な良夜」。

乙女座のイラスト
モノや情報の流れが加速化し、すべてがスピーディーに処理されたり、回転していくのが当たり前になった今の時代において、人としての健全さを保っていくうえで、精神に休息を与えるための習慣ほど必要不可欠なものはないでしょう。 
 
肉体に休息を与えるためには睡眠や入浴が欠かせないように、精神が休息に入っていく際にもそのきっかけや後押しが欠かせませんが、例えばフランスの思想家ガストン・バシュラールは「夢想とラジオ」というエッセイの中で、「ラジオは聴取者に絶対的な休息の印象、根を下ろした休息の印象を与える」と述べた上で、次のように続けています。 
 
人間は移植されることもありうる植物だが、それでもつねに根をおろすことを必要としている。(中略)ラジオは、このような原型を伝える可能性を備えているだろうか?その目的のためには本の方が適しているのではないか?いや、おそらくは違う。本というものは閉じられたり開かれたりして、人を孤独のうちに見出すようにも、人に孤独を課すようにも出来てはいない。反対に、ラジオは確実に人に孤独を課す。(中略)自分のなかに安らかさを、休息を置くことがそこでは権利でも義務でもあるような一室で、独り静かに、宵の時間に聴く必要があるだろう。ラジオには、孤独のなかで語るに必要な一切のものがある。ラジオに顔は要らない。」 
 
なるほど、確かにラジオでは聴き手にとって「華やかに眼を射るものもなければ、娯楽になるようなものもない」代わりに、音や声を通じて「「無意識」同士を一心同体化せしむる手段」としての孤独な良夜を準備してくれます。こうしたラジオの果たす役割について、バシュラールは最後にこう結んでいます。 
 
ラジオは、不幸な魂、暗鬱な魂たちに夜には告げてやらねばならぬ、「問題はもうこの地上にかかずらいながら眠ったりはしないこと、きみが選ぼうとしている夜の世界に戻ってゆくことなのだよ」と。」 
 
今期のおとめ座もまた、ラジオ的なるものがもたらしてくれる孤独な良夜を、自分のまわりに構成してみるといいでしょう。 
 
 
参考:ガストン・バシュラール、渋沢孝輔訳『夢みる権利』(ちくま学芸文庫) 

《天秤座(てんびん座)》(9/23〜10/23)

今季のてんびん座のキーワードは、「己が胸中の絃ひと筋に受け」。

天秤座のイラスト
よく「仕事哲学」や「人生哲学」など、確固とした信念や考えを持っていることを表す場合などに「哲学」という言葉が使われていますが、これは孔子であれカントであれ仏陀であれ、そこに根拠となる先人の思想やその積み重ねがあってそう言うのではなく、その根底に一種独特のなまなましい体験があって、そこからほとばしった直観をつかんだ際にそう言っていることがほとんどなのではないでしょうか。 
 
とはいえ、世に「〇〇哲学」と名の付けられたものの中で、真にそうした直観に裏打ちされたものはほとんどないのが実情ではありますが、もちろんその例外はあります。 
 
例えば、ソクラテス以前のほとんど宗教者であったギリシャ哲学の先人たちの思想史について書かれた井筒俊彦の『神秘哲学』は、本当に熱が伝わってきて、「無」から「有」が、すなわち意識が言葉とともに生まれてきて、それが百花繚乱と花が開くように発展してきたのだということを、完全に自分のつかんだ直観にもとづいて書かれているのだということが肌で感じられる他に稀な“哲学”書と言えます。 
 
井筒は、これは三十代の前半に、結核で血を吐きながら、ほとんど遺言のつもりで血で書き記したと「前書き」に書いてあるのですが、特にその第一部の冒頭の一節には、まさに古代密儀宗教的な神秘体験のパトスが、その思いつめた切なさとともに噴出しているのが感じられるはずです。 
 
悠邈たる過去幾千年の時の彼方から、四周の雑音を高らかに圧しつつある巨大なものの声がこの胸に通って来る。殷々と耳を聾せんばかりに響き寄せるこの不思議な音声は、多くの人びとの胸の琴線にいささかも触れることなく、ただいたずらにその傍らを流れ去ってしまうらしい。人は冷然としてこれを聞き流し、その音にまったく無感覚なもののように見える。しかしながら、この怖るべき音声を己が胸中の絃ひと筋に受けて、これに相応え相和しつつ、鳴響する魂もあるのだ。」 
 
この後で井筒は、十数年前にソクラテス以前期の哲人たちの断片的言句をはじめて知ったときに呪縛された「この宇宙的音声の蠱惑に満ちた恐怖」について語りたいと述べ、本論に入っていくのですが、今期のてんびん座もまた、日常的言語とは一線を画した、そうした「不思議な」「恐るべき音声」に耳をそばだててみるといいでしょう。 
 
 
参考:井筒俊彦『神秘哲学 第一部 自然神秘主義とギリシア』(人文書院) 

《蠍座(さそり座)》(10/24〜11/22)

今季のさそり座のキーワードは、「深い宗教的要請」。

蠍座のイラスト
現在形で進行する過酷な現実に代わる、「いずれこうなったらいいな」という集合的理想の結晶化として“ユートピア”が、もはや近い未来において投影されることさえ極めて難しい状況となってしまった今の時代は、ある意味で人びとは騙されやすくなったのだとも言えるのではないでしょうか。 
 
つまり、少しでも気持ちを楽にしてくれるものなら、すすんで自分から騙されようとする心性がきわめて強まっており、それは歴史を鑑みれば俗にカルトと呼ばれる狂信的な集団倒錯が発生しやすい条件に他ならず、そうした状況がいつの間にか巧妙に準備されているように思えてならないのです。ただ、ここで同時に思い出されるのが、精神医学者で文化人類学者でもあったグレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』において、父と娘の対話形式で構成されたメタローグ「それで?」の中の一節です。 
 
父 私は長いこと宗教のためには一種の低能さが必要条件だと思っていた。そしてそれが耐えられないほど嫌だったのだが、しかしどうもそうではないらしい。 
娘 ああ、それがこの本のテーマなの。 
父 いいか、彼らは信仰を教え、降伏せよと説教する。しかし私の望みは明晰さにある。(…)私の宗教観に転換をもたらしたことに、フレイザー流の魔術観が逆立ちしている、あるいは裏返しになっているという発見があった。魔術から宗教が発生したという伝統的な考え方があるが、あれは逆だ。宗教が堕落して魔術になった、そう考えるのが正しいと思う。 
娘 じゃあ、パパの信じないことなって何なのか、それをお聞きしようかしら。 
父 うん、例えばだな、雨乞いダンスの本来の目的が雨を降らせることになったとは、私は信じない。そんな浅薄なもんじゃない。もっと深い、何というか、人間もまたエコロジカル・トートロジー―つまり生命と環境を一まとめにした不変の真理だね―その中にちゃんと属しているんだというメンバーシップの肯定、そういう深い宗教的要請があるはずだよ。それを「雨が降りゃいい」などというレベルで見るのは、こっちが宗教的に堕落しているからだ。/宗教ってものは、いつも堕落に向かう傾きを持つ。堕落が要請されるとさえ言っていい。みんなして寄ってたかって、宗教をつくり変えてしまうわけだ。娯楽だとか政治だとか魔術だとか“パワー”だとかに。 
娘 ESPとか、霊魂顕現とか、霊魂遊離とか、降霊術とか? 
父 みんな野卑な物質主義を安易に逃れようとする誤った試みだ。病める文化の症候だよ。奇跡とは、物質主義者の考える物質主義脱出法さ。」 
 
今期のさそり座もまた、ベイトソンのいうように現代文明の野卑な物質主義から逃れる道として「奇跡」を求めるのではなく、もっと「深い宗教的要請」(例えば「醜を含めた美」の追求など)に従ってみるといいでしょう。 
 
 
参考:グレゴリー・ベイトソン、佐藤良明訳『精神と自然』(岩波文庫) 

《射手座(いて座)》(11/23〜12/21)

今季のいて座のキーワードは、「感応から感応へ」。

射手座のイラスト
公の場で文字通り「誤解を恐れず」に何かを言える人間が、いまの時代とても少なくなってしまいました。それはSNSの発達やネット社会の興隆によって、少しでも角の立つ発言をするといちいち炎上してしまったり、後追いで追及されてしまうことが増えてしまったからというのも大きいと思いますが、何よりリスクを冒してでも世の中に言いたいことが出てくるほど、何かに確信をもつという機会自体を、ほとんどの人が持てなくなってしまったからではないでしょうか。 
 
ただそんな中、気炎を吐いているのはやはり芸術家であり、その代表的な一人として横尾忠則が挙げられます。彼は自身のエッセイの中で、神へのメッセージを絵にしている画家ハワード・フィンスターなどのアウトサイダー・アートを取り上げ、「芸術家は「描いている」のではない。「描かされている」のである」と述べつつ、次のように語っています。 
 
誤解を恐れずに言うと、ぼくも現在天界の宇宙存在達とコンタクトをしている。彼等はぼくの日常の想念をチェックしながら、必要に応じてさまざまなメッセージを送ってくる。無心に絵を描こうとするとき、ぼくは彼らの波動を通じて、宇宙のエネルギーを受ける。宇宙のエネルギーは愛だそうだ。だから絵を描くときぼくは絵の具や筆、キャンバス、そして絵を描く自分自身を愛するところから始めている。」 
 
宇宙の愛(それは狂気でもあるらしい)の波動がぼくの身体を装置として、送信されてくるとき、ぼくの作品は宇宙の愛に満たされるという。そんな宇宙や神の道具となることは一種の歓びでもある。天上界は一種の相似形をなしている。両界で影響し合っているのである。その認識が近代の自我を消すのである。芸術家の自我は「我」を出しながら「我」を消す作業でなければならない。絵画が観念から観念へではなく、感応から感応へと語りかけるとき、本来の神の芸術が機能することになるはずだ。」 
 
こんなことを堂々とエッセイに書く人はまずいません。何より、書こうと思っても書けないでしょう。しかし今期のいて座ならば、狂気と裏返しの愛を受信したり、はたまた送信したりすることができるかも知れません。それは理屈を超えたところで起きてしまう、ある種の芸術的な営みなのだと思います。 
 
 
参考:横尾忠則『名画感応術』(知恵の森文庫) 

《山羊座(やぎ座)》(12/22〜1/19)

今季のやぎ座のキーワードは、「心臓と肺を喜ばせる」。

山羊座のイラスト
2年以上にわたるコロナ禍の影響で深刻化している問題の一つに、うつ病・うつ状態の人の割合が新型コロナウイルス流行以前と比べて2倍近く増えているという現実があります。 
 
もはやいつ自分や自分の家族がその当事者になってもおかしくない時代となりつつあり、そうであるにも関わらず、「うつのときの過ごし方」についてきちんと書かれた本はほとんど見当たらないといっても過言ではないでしょう。 
 
その意味で、今の日本社会はうつ病・うつ状態に関する限り需要と供給がきわめてアンバランスな状況にある訳ですが、そうした中で、昨年刊行された坂口恭平の『躁鬱大学』は、精神療法の達人として知られる精神科医・神田橋條治の語録を下敷きに、著者本人の実体験によってかみ砕きながら、実践的な躁鬱への対処法を伝えているという点で、きわめて異色かつ有効な一冊となっています。 
 
例えば、著者の提唱する三つの「鬱の奥義」の二番目、「心臓と肺だけがあなたをラクにする」の箇所を一部引用してみたいと思います。 
 
僕は娘と息子が死ぬのが怖いという状態になったときには、深呼吸の方法を教えてます。横になって心臓を落ち着かせて、吸うのを極力減らして、ゆっくり吐く量を増やすように伝えます。それは子供でもできます。そしていちばん効果があります。/心の悩みだと思われるものを治療することが、このように心臓と肺の動きを調整することによって可能になるんです。というか、心臓と肺にしかできません。どれだけ頭や言葉であなたの躁鬱の体質をコントロールしようと思ってもできません。苦手なことはしないようにしましょう。「できることをもっとできるようにする」ことが重要です。心臓と肺だけがあなたをラクにすることができますから、それをもっとできるようにしましょう。」 
 
誰にでも分かる平易なことばで書かれていますが、うつ病への移行の兆候である「窮屈」や「疲れ」に対して、もっとも効果があるのは「心臓と肺の観察・処置」であるという指摘はまさに“コロンブスの卵”であり、力を抜くと心臓と肺は喜ぶし、うつやうつ状態の人であっても、心臓と肺を喜ばせることならできるじゃん! という著者のスタンスは、「がんばること」や「がんばらせること」がしごく当たり前になってしまっている日本社会の重苦しい空気を換気していく上で、貴重な風穴となっていくのではないでしょうか。 
 
同様に、今期のやぎ座もまた、そんな風穴をまずは自分の中に開けてみるべし。 
 
 
参考:坂口恭平『躁鬱大学』(新潮社) 

《水瓶座(みずがめ座)》(1/20〜2/18)

今季のみずがめ座のキーワードは、「困惑の悦び」。

水瓶座のイラスト
今は何か目新しい言葉が出てきても、グーグルなどの検索エンジンにそれを入力してを検索すれば、その言葉に対する十分すぎるほど膨大な説明が出てくるようになって、便利と言えば便利になりましたが、どこか言葉が私たちの外側に行ってしまって、上っ面だけを通り過ぎているように感じている人も少なくないのではないでしょうか。 
 
少なくともそこには、新しい言葉や概念と直面したときの“困惑”それ自体を肯定的に受け容れる余地がなくなってしまっていますし、むしろそうしたストレスやタイムラグをできるだけなくしていくことが良いことである、という方向に向かっていっているように思います。 
 
ただ、そういう方向に心身を適応させていこうとすると、必ず無理が出てきて、心も身体もこわばってしまう。つまり、人間にはやはり適度なゆるみや遊びが必要な訳です。その意味で、物理学者の佐治晴夫と編集工学研究所の松岡正剛の対談『二十世紀の忘れもの』には、ちょうどそんなゆるみや遊びをめぐる、次のようなやり取りがあります。 
 
松岡 ぼくも月狂いですけど、月の出は大きく見えますが、この「ムーン・イリュージョン」と呼ばれている謎はまだ解けていないですよね。でも、指で丸をつくって他のものと比較すれば月は小さくなります。満月の月を見て手をかざしては、「これは困った」と毎回思ってしまう。こんなことがプトレマイオス以来の問題と言われていることなんですね。デカルトも解けない、バークリーも解けないし、以来ずうっと解けていない。そういう問題が、いまここにある。それは悦びであるとともに、言い知れぬ“困惑の悦び”なんですね(笑) 
佐治 困惑の悦びって、いいですね。(…)いやあ、人生は謎ですよね(笑) 
松岡 ときどきね、風呂から上がった瞬間に、「何をするんだったのか」と思ってしまうことがあります。風呂から出たところなのに、次のことが思い浮かばず、一時、戸惑ってしまう。それから、何かをしようと思って立ち上がったのに、「あれっ?」って思ってしまう。こういう瞬間って、いいですよね。「度忘れ」というか、「立ち往生」をした瞬間といいますか、ただのボケかもしれないですがね(笑) 
佐治 そういうふうに「あれっ?」と思うときは、たぶん精神的に余裕があるときでしょうね。とにかく、何かに追い詰められているときは、スーパーコンピュータのように熱くなっていますから、そんな余裕はないです。」 
 
今期のみずがめ座もまた、そんな「立ち往生」や「困惑」を受け容れたり、誰かと一緒におもしろがったりするくらいのノリで、人生の謎と付き合ってみるといいでしょう。 
 
 
参考:佐治晴夫、松岡正剛『二十世紀の忘れもの』(雲母書房) 

《魚座(うお座)》(2/19〜3/20)

今季のうお座のキーワードは、「「超個体」として生きる」。

魚座のイラスト
春、気候が温暖になってくるとミチバチたちが活動を始めていきます。じつはかなり前から、温暖化など気候変動の影響に対するミチバチたちの反応やその数の減少が注目されてきましたが、このミツバチという生き物は、知れば知るほど不思議な生き物なのです。ここではごく簡単に、そんなミツバチの生態を俯瞰してみたいと思います。 
 
花が咲き始めると、働きバチが収穫をはじめ、女王バチは一つの巣に数万匹はいるとされる彼らのサポートを受けながら、まず働きバチ(すべてメス)のための受精卵を産みます。そして巣の中のハチが十分な数にまで増えたら、次に雄バチのための未受精卵、続いて次代の女王バチ候補の卵を王台に産んで、やがて仲間とともに古巣を後にし、適度に離れたところで新しい巣を造営するのだそうです。そして、その数日後には新しい女王バチが古巣で誕生し、旧女王バチに代わって産卵を開始する。これでミツバチのコロニーの複製が完了する訳です。 
 
こうしたミツバチの活動の実態の解明に寄与した生物学者のJ・タオツらは、ミツバチの巣全体を一匹の動物と見る「超個体(スーパーオーガニズム)」という説を提唱し、そこでは超個体を次世代に繋げていく女王バチを“生殖機能”に、大勢の働きバチをその個体を構成する“体細胞”にするのだと考えられており、これは規模感を人体に置き換えても、細胞間のコミュニケーションこそが、その賑やかさこそが生きていることを支えているのだという形で、同じことが言えるのだそうです。 
 
例えば、分子細胞学者の丸野内棣の『細胞は会話する』にも、やはりミツバチの活動を例に、そうした「超個体」の生態について次のように書かれています。 
 
ミツバチのコロニーの生活は移り変わる自然環境に集団で適応し、維持し、発展させています。ミツバチのコロニーの生活は数万の個体で構成されており、その個体の活動は周囲の状態や仲間の存在に適切に反応しています。ミツバチのコロニーの秩序は、食物の共同貯蔵や育児温度の制御に代表されるように、共同活動と競争によって成り立っています。その結果、コロニーは超個体として個々のミツバチの合計以上の生存をもたらすのです。」 
 
同様に、今期のうお座もまた、ひとつの「超個体」であると同時に、大いなる「超個体」の一部であり、いずれにせよそのコミュニケーションの活発さや賑やかさを通して、単なる個体やその集合以上の生きる喜びがもたらされるのだということを実感していくことができるかも知れません。 
 
 
参考:丸野内棣『細胞は会話する』(青土社) 



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