• 天秤座のイラスト
    今期のてんびん座のキーワードは、「待ってても来ない」。 夕暮れの田舎道、一本の木のそばで、「どうにもならん」とつぶやきながらゴドーさんを待ち続けるボロ着姿で縛られたままのエストラゴンとウラジミールという二人の老浮浪者。

    そこにムチを手にしたポッツォと犬のように首に綱を着けられた従者ラッキーが通りかかるが何も起きず、次に少年があらわれて「ゴドーさんが、今晩は来られないけれど、あしたは必ず行くからって」と告げるが、やはり何も起きない。

    というのが、不条理演劇の金字塔とされるサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』というお芝居の第一幕のあらすじ。ちなみに第二幕も終始そんな調子で、時間・空間も不明で記憶もあいまいなまま進み結局なにも起こらないまま終わっていきます。

    出てくる誰かに感情移入したいという心理も働いて、縛られているこの二人は、じつは本当はまっとうな奴なんじゃないか、この状況を説明してくれるんじゃないか、という期待が持ち上がるものの、「じゃあ行くか?」「ああ行こう」と言い合いながらも動かない下りでやっぱり裏切られる。

    そうして軽やかに顕在化された「人生とは、ただ待っているだけの状態に過ぎない」という救いようもないメッセージは、その圧倒的などうしようもなさと共に、今のてんびん座の人たちにはよく響くのではないでしょうか。

    すっかり価値の壊れた瓦礫の世界の中で、今日もまた無意味なことをしゃべり続けている多くの人たちがいる。それを「然り」と引き受けた上で、誰か何かに期待するだけで終わるのではなく、みずからの手で縛りつけられたこの場をいかに楽しむか、ささやかでも自らの手で価値を生み出していけるかを問うていきたいところです。


    出典:サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水Uブックス)
  • 蠍座のイラスト
    今期のさそり座のキーワードは、「必要な狂気」。 身も心も倦怠感に襲われてすべてのやる気が起こらず、家の中でさえ妊娠中のカバのようにのろのろとしか歩けない…。

    もし今あなたがそんな状況にあって、この不活発な状態を反転させるエネルギーを欲しているのなら、セルバンテスの『ドン・キホーテ』のことを思い出されたい。

    主人公のドン・キホーテは寝るのも忘れて騎士物語を読みふけった結果、みずから諸国を遍歴する騎士になりきって、さっそうと冒険に出かけていく。そこでは、平凡な道端の旅籠は銀の尖塔が立ち並ぶお城へと様変わりし、巨人の群れに見立てられた風車は槍を向けられる。彼は明るく元気はつらつにあらゆることにのぞみ、従者の忠告もどこふく風。

    そもそも遍歴の騎士の生涯には数々の危険と不幸がついてまわるものだが、また、それゆえにこそ、遍歴の騎士は今すぐにでも国王や皇帝にでもなれる立場にあるのだ

    そしてそんなドン・キホーテと冒険を続けるうちに、従者のサンチョ・パンサの心境にも変化がおきてきます。

    誰もが一生の終わりに、いやでも迎えなきゃならねえ死ってやつをのぞけば、どんなことにも救いの手だてはあるもんだ

    もちろん、ドン・キホーテの冒険はそれ自体がひとつの妄想であり、狂気にすぎません。ただ、物語の言葉はときに現実の社会とぶつかっていくための強力な武器となり、生きる糧にもなるのです。

    今期のさそり座もまた、まず妄想や想像力を手だてに自分なりの冒険を試みていくといいでしょう。


    出典:セルバンテス、牛島信明訳『ドン・キホーテ 前編』(岩波文庫)
  • 射手座のイラスト
    今期のいて座のキーワードは、「籠城と彷徨」 いよいよ世相は混沌を極めてきていますが、「病気の進行」と「戦争の勃発」と「精神の彷徨」とをひとつの作品に凝縮しえた例として、第一次世界大戦が勃発した1914年から10年の月日をかけて書かれたトーマス・マンの小説『魔の山』をいま改めて取りあげておくことは、それなりの意義があるように思います。

    主人公ハンスは3000メートル級の山々が続くスイスで療養中のいとこを見舞いに行きますが、そこで自身も結核を発症しじつに7年間ものあいだ逗留を余儀なくされます。

    富裕層が集まり一日5回の豪華な食事が出るサナトリウム(結核の療養所)で食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活を送りつつも、彼はそこで恋をしたり、著名な知識人たちのあいだで起こる論争や決闘に立ち会ったりしつつ、小難しいことをいろいろと考えるようになるのですが、それは変えることのできない生まれた時代やみずからの血にまつわる宿命を引き受けていくための文学的な「籠城」に他なりませんでした。

    そして、マンは「読者は患者なんだ」という仕方で、その矛先をこちらに向けつつ、結核という細菌やウイルスがもたらす疾病が一個人をこえて人類にとってどんな意味を持つのかという問いを突きつけてくるのです。

    今期のいて座もまた、青年ハンスのごとくあえて行動を制限してお籠りモードにしていくことで、自身がぶつかりつつある宿命についての思索をどこまでも深めていくといいでしょう。


    出典:トーマス・マン、高橋義孝訳『魔の山(上)』(新潮文庫)
  • 山羊座のイラスト
    今期のやぎ座のキーワードは、「マトモからヘンタイへ」。 ダイエット依存症の女の子とか、“腐”女子とか、オタクとか、そうした90年代以降の少年少女に見られる現象について論じた中島梓の『コミュニケーション不全症候群』は、次のようなことわりから始まります。

    私が一番怖いのはマトモな人です。私が一番キライなのは偉い人です。私が何より苦手なのは立派な主婦のかたと自信たっぷりのおっさんです。そういう人、つまりは由緒正しいお父さんとお母さん軍団のために私たちはこんなに苦しまなくてはなりませんでした。

    ここでいう「私たち」とは、“マトモ”でない人、“マトモ”ではいられなかった人のことであり、著者はそういう人たちに向けて次のようなメッセージを送っています。

    ひとことで云えば、いまの世の中、ヘンタイにならんで生きてゆけるほうがどうかしてるんだぜ、ということです。また、ヘンタイの底に希望が見える、というようなお話でもあります

    ここでいう“ヘンタイ”とは、他人に飼われるために、愛されるために、選ばれるために過剰適応してしまうまともな生き方とは別の、純粋に自分自身の楽しみを追求することができ、かつ自分の病いに或る程度自覚的な人たちのこと。

    そして、“マトモ”と“ヘンタイ”、そのどちらを選ぶのかという問いは、今のやぎ座の人たちにとっても切実なものであるはず。もしどちらかで悩んでいるという人は、中島梓の次のような呼びかけに一度向き合ってみるといいかも知れません。

    私たちは誰だって本当は父殺し、母殺しを夢見ている子供部屋の奴隷たちだったのではないでしょうか

    優等生でなくたって、正しくなくたって、愛されてなくたって、好きに生きていいのだと改めて気づくためにも。


    出典:中島梓『コミュニケーション不全症候群』(ちくま文庫)
  • 水瓶座のイラスト
    今期のみずがめ座のキーワードは、「変化の術」。 世の中には、まるでこれまで一度もそこを動いたことがないかのように、いつまでも石のようにじっと現状維持に固執する人たちがいます。そうしていた方が心地が良く、安全で、アイデンティティがゆらぐ心配もないのでしょう。

    16世紀の中国・明朝の隠遁詩人、呉承恩が書いたとされる『西遊記』もまた、ひとつの石から話が始まります。有史以来一度も動いたことのない山頂の巨石から生まれてきたのが孫悟空でした。

    ただ孫悟空は常識離れした力の持ち主ではあったものの、あまりに傲岸不遜だったため、お釈迦様に500年間ものあいだ山に閉じ込められます。ただ最終的には、変わり映えのしない生活に安住するのでなく、石がぱっかり割れるかのように、通りがかりの若い巡礼者を助けるという役割を引き受けることで、新しい自分を作り出す喜びを味わうにいたったのです。

    孫悟空は山に閉じ込められる以前、不老不死の仙人に弟子入りして、さまざまな変化の術を習得していましたが、彼の最後の変化は、いかに力を振るうかではなく、いかに自分を抑えるかという節度を身に着けることでした。

    そして今のみずがめ座にもまた、そんな孫悟空のように、きっとまだまだ身に着けるべき知恵があり、果たすべき役割や、治めるべき王国があるのではないでしょうか。

    確かに変化に不安を感じるのは当然ですが、『西遊記』は人生というものは本質的に変化の連続であり、それを受け入れることは楽しいことでもあるのだということを思い出させてくれるはずです。


    出典:呉承恩、伊藤貴麿訳『西遊記(上)』(岩波少年文庫)
  • 魚座のイラスト
    今期のうお座のキーワードは、「反転的自己表現」。 自己表現というと、いかに魅力的で立派に見せられるか、たくさんの注目を浴びられるか、力強く鮮烈に影響を与えられるか、といった視覚的にボリューミーな方向でつい考えがちな風潮がありますが、ミヒャエル・エンデの名作ファンタジー『モモ』の主人公で、みなしごの少女モモの場合は、「ただ話を聴く」という聴覚的でミニマムなことが才能であり、彼女なりの自己表現となっていました。

    これは優れたファンタジーの特徴である、「価値の反転」を象徴する物語の核とも言える部分でもあります。

    例えばこの物語には、資本主義社会が美質としている、忙しく働いていたり、お金持ちになったり、大きな家に住んでおいしいものを食べたりといったことに疑義が呈され、キーマンである時間の賢人のもとへ行く際には急いで行けず、ゆっくりゆっくり亀のように行くのが一番速く会いに行けるという設定があるのですが、それもモモの人の話にじっと耳を傾けるだけで人々に自信を取り戻させるという不思議な力の発揮の仕方と結びついていくことで、物語全体がまるで生きもののように躍動していくのです。

    そして、そんなモモの在り方は、やはり何らかの自己表現を通じて価値を反転させていくことがテーマとなっている今のうお座にも、深い示唆を与えてくれるはず。

    勝つこと、速いこと、人より優位に立つことを無条件に良いものとするのか、あるいは、それとはまったく異なる条件に基づいた自己表現に取り組んでいくのか

    今期のうお座は、そんな二者択一を少なからず迫られていくでしょう。


    出典:ミヒャエル・エンデ、大島かおり訳『モモ』(岩波少年文庫)