• SUGARの12星座占い
    【SUGARさんの12星座占い】<8/9~8/22>の12星座全体の運勢は?

    「<新しい日常>への通過儀礼」
    暦の上では秋が始まる「立秋」を過ぎて最初の新月を迎えるのが8月19日。それは、暑さが落ち着く「処暑」すなわち太陽が乙女座に入る直前、体感的にも夏の終わりを感じさせてくれる蜩(ひぐらし)の鳴く獅子座終盤あたりで起きていきます。

    そんな今回の新月のテーマは、「新しい日常へ」。それはどこか空々しく響いてしまう上からの号令によってみな一斉に同じところから始まるものではなく、あくまでここしばらくの悪戦苦闘や悶え苦しむ期間をやっとの思いで抜け出した結果、流れ着いた先で自分がもうすでに新しい日常に立っていることを後から実感していくはず。夢から醒めた後の起き抜けの朝のひとときのようにおごそかに、しかし、確かにこれまでとは決定的に違う世界にいるという確信を胸に、新たな門出の仕度を整えていきましょう。

    「もはや夜はなく、<救い主である神>が人間たちを照らすが故に、ランプや太陽の光は要らなくなる」(『ヨハネ黙示録』第二十二章、5節)

    この場合の<神>とは、他でもない自分自身であり、あるいは古い自分を先導する新しい自分のことなのだと思います。
  • 牡羊座のイラスト
    今期のおひつじ座のキーワードは、「楽しむことが最優先」。 アリストテレスと言えば、今日の科学やテクノロジーを生み出した西洋文明の根幹を支える哲学的な基礎付けを行った人物として、しばしば権威と生真面目の象徴としての役割をつねに与えられてきましたが、いま改めて読み直してみるとかえって新鮮な発見が少なくありません。

    例えば、『ニコマコス倫理学』において<愉しみ>について述べている箇所―愉しみ(快楽)とは何か―などは、伏せていた身を起こし、目覚ましい勢いで躍動しようとしている今のおひつじ座にとって重要な指針となるように思います。

    アリストテレスは「生きるとは活動であり、各人はそのもっとも好む事柄に対して、もっとも好む能力を働かせて活動する。これらの活動の愉しみが活動を完成させ、各人の追求する生を完成させるのだ」と言い切った上で、次のようにも言います。

    愉しみを感じつつ活動する人の方が何事についてもその事柄をよりよく判断し、より正確に成就することができる。音楽家であれ建築家であれ、各自の仕事に悦びを感じつつやっていればこそ、仕事についての進歩もあるのだ。このように、愉しみこそが活動を増進させうる、と。

    逆に言えば、<愉しみ>を欠いている限り、どんな分野であれ、その仕事は永遠に完成しないということになります。

    今期のおひつじ座もまた、たとえ一見すれば悲劇的で、笑える状況ではなかったとしても、どうしたら楽しめるのかを少しでも考えていきたいところです。


    参考:アリストテレス、高田三郎訳「ニコマコス倫理学 上・下」(岩波文庫)
  • 牡牛座のイラスト
    今期のおうし座のキーワードは、「秘密と予感」。 ユングをめぐっては、心理療法の理論を確立した科学者というより、もはやオカルティストとしてのイメージが強いように感じられますが、最晩年期の彼が自身の人生―特に幼少期に見た夢がいかに自分の人生に影響を与えてきたかについて語っている『ユング自伝』などを読むと、どちらが彼の本質なのかという話以前に、秘密を持つこと自体が彼にとってきわめて重要なことだったということがよく分かります。

    彼はおもむろに「子供のときから私は孤独を感じていた」と述べ、おそらく「人は多くのことを知るときに孤独になる」のではないかと読者に投げかけます。

    いわく、「孤独な人ほど交わりに敏感な人はいない。そして、個々人がその個性を忘れず、自分と他者とを同一視しないときに初めて真の交わりが生じるのである」。そして、次のように続けるのです。

    われわれがなんらかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対して予感を持つのは、大切なことである。(中略)それは、われわれの生活を、なにか非個人的な、霊的なものによって充たしてくれる。それを一度も経験したことのない人は、なにか大切なことを見逃している」と。

    今期のおうし座もまた、自身が抱えている事実をいかに秘密へと深めていけるか、あるいは、どこまで意図的に孤独を引き受けることができるかということを通して、<新しい日常>の新しさがどれほどのものになるか決まってくるように思います。
     

    出典:ユング、河合隼雄・藤縄昭・出井淑子訳「ユング自伝」(みすず書房)
  • 双子座のイラスト
    今期のふたご座のキーワードは、「天使のまなざし」。 絵の中には初めて見た時はそれほどインパクトに残らなくても、その後折に触れて不思議と思い出してしまう絵というものがあって、パウル・クレーの描いた天使の絵もそうした類いのものと言えるでしょう。

    クレーの世界のなかで、天使とはどういうものとして取り上げられ、どのような意味を持っていたのか。第一次大戦が勃発した頃の彼の日記の中には、次のような夢の話が出てきます。

    彼は日本人の芸者に三味線を所望していた。そして「心が誘惑に駆られると、たちまち私の耳はかすかに戸を叩く音をとらえた」とあり、さらに「その音に誘われていくと、小さな守護神が現われ、可愛らしい手をさしのべ、私を天界にそっと連れていった」と結ぶのです。

    直接的に天使と書かれている訳ではありませんが、こうした記述から彼が天使というものを、か弱く脆い存在ながら、人間を保護し、導く役目を担った存在と見なしていたことがうかがわれます。

    彼は日記の別の箇所で、自分が描くのは「人間という種とか類ではない。宇宙の座標といったらいいだろうか」とも書いているのですが、そこにはどこか彼の描いた天使たちのまなざしにも相通じる宇宙的な透明感とまったく粘り気のないやさしさを感じざるを得ません。

    そして今期のふたご座にとって大切になってくるのも、こうした類いのまなざしに自分を重ねたり、また逆にそんなまなざしと出会ったりすることなのではないでしょうか。

    日常がさながら戦場のようである人ほど、きっとそのそばにはクレーが描いたような天使が寄り添っている。そんな風に思います。


    出典:クレー、南原実訳「クレーの日記」(新潮社)
  • 蟹座のイラスト
    今期のかに座のキーワードは、「偉大なるものの小」。 岡倉天心によって1906年に英語で発表された『茶の本』は、単なる茶道の概説書ではなく、日本に関する独自の文明論でありその象徴としての「茶」を西洋人に理解させるために書かれました。

    いわく、茶道は「「不完全なもの」を崇拝する」ことであり、茶の本質は「人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就せんとするやさしい企て」にあると。より具体的には「象牙色の磁器にもられた液体琥珀の中に、その道の心得ある人は、孔子の心よき沈黙、老子の奇警、釈迦牟尼の天上の香にさえ触れることができる」としています。

    また本書の岡倉天心の記述からは、西洋社会におけるアジアへの誤解や偏見のひどさ、冷淡さにずいぶん心を痛めていたことが伺われ、茶の湯も東洋の珍奇で幼稚な奇癖の一つとして笑うだろうとしつつも、「おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見逃しがちである」と言ってみせる箇所などは、彼の芸術観ないし理想とする文明的態度の姿が端的に表現されているのではないかと思います。

    ただ、これらは一朝一夕で出てきた言葉ではなく、後の東京藝術大学の前身である東京美術学校でおこなわれた「日本美術史」の講義や後進の育成、ボストン美術館中国・日本美術部長としての仕事など、長年にわたる啓蒙活動のなかで血肉化したものの表れと言えるでしょう。

    そして今期のかに座もまた、これまでの生き様を通して知らず知らずのうちに血肉化してきた自分なりの理想や信念が何らかの形を伴って具現化してきたり、端的な言葉としてそれがこぼれ落ちてくるかも知れません。何気ない「小」なるものこそを大切に過ごしていきたいところです。


    出典:岡倉覚三、村岡博訳「茶の本」(岩波文庫)
  • 獅子座のイラスト
    今期のしし座のキーワードは、「太陽とともに始める」。 しし座という星座の特徴は、高邁な理想やそれを保持し続ける誇り高き性質のうちにも求められますが、案外その本質はそうした"立派”な側面よりも、等身大でありながらもどこか宇宙的でデリケートな感性の方にあるのではないかと思われます。

    その意味で、偽善的道徳にがんじがらめになった近代人がいかにして生命力を取り戻せるかを説いたイギリスの小説家D・H・ロレンスの『黙示録論』の結びの部分に登場する「文明とはなにか。それは発明品などよりも感性の生活のうちにこそ、明瞭な姿をあらわすものだ」という主張は、自分自身の星座で新月を迎えていく今期のしし座にとって大いに指針になるはず。

    ロレンスはこの一文に先立って、次のような言い方で宇宙観を展開しています。

    われわれは生きて肉体のうちにあり、いきいきした実体からなるコスモス(大宇宙)の一部であるという歓びに陶酔すべきではないか。眼が私の身体の一部であるように、私もまた太陽の一部である

    そして、よりいっそう声高らかに言うのです。

    われわれの欲するのは、偽りで非有機的な結合を、とりわけ金銭と繋がる結合をうちこわし、コスモス、太陽、大地との結合、人類、国民、家族と生きた有機的な結合をふたたびこの世に打ち立てることである。まずは太陽とともに始めるがいい。そうすれば、他のことは徐々に付いてくるだろう

    この「われわれ」を「しし座」ないし「しし座としての私」に置き換えたなら、それはそのまましし座の新月という宇宙的な節目で発されるべき所信表明のベースとなっていくのではないでしょうか。

    ぜひこのタイミングで、喜びと陶酔を感じられることを最優先に、改めて自分の生活設計や人生プランを組みなおしていきたいところです。


    出典:D・H・ロレンス、福田恆存訳「黙示録論」(ちくま学芸文庫)
  • 乙女座のイラスト
    今期のおとめ座のキーワードは、「自分自身への同情表現」。 ミケランジェロの聖母子像は、マリアが十字架から降ろされたイエスの亡き骸を抱いて慈しみ悲しんでいる姿が表現されたものですが、そうしたマリアの姿をあらわした絵や彫刻のことを<ピエタ>と言います。

    イタリア語の<ピエタ>は「慈愛」という意味だけでなく「共感共苦」という意味も兼ねており、この点について取り上げた哲学者のショーペンハウアーは、あらゆる真実の純粋な愛は共感共苦であり、そうでないようなあらゆる愛は自己愛であり、利己心なのだと述べています。

    さらに彼の筆致が冴えわたるのは、「泣くことは自分自身に対する同情(共感)である」ということを、ルネサンス期の詩人ペトラルカの歌によって裏付けている箇所で、それは次のようなものです。

    思いに耽りつつさまよっていると、/にわかに私自身への強い同情の念が襲ってきて、声を張り上げて泣かずにはいられぬことがたびたびある。/これまではこんな思いをしたことはなかったというのに。

    つまり、ショーペンハウアーによれば他人の苦悩を自己の苦悩に同一視するときにのみ、人は愛の業(わざ)や善い行為を行うことができるのであり、彼はそこに「これは自分の苦悩から出てこそじかにわかる」のだと続けています。

    そして今期のおとめ座もまた、自分がどんな苦悩を抱え込んでいたのかということを、誰かに対して(同時に自分に対して)泣くことを通じて再確認していくことでしょう。

    そのためにも、ひとり静かな気持ちでいられる時間をいかに深めていけるかが、いつも以上に問われていくはずです。


    出典:ショーペンハウアー、西尾幹二訳「意志と表象としての世界」(「世界の名著45 ショーペンハウアー」、中央公論新社所収)
  • 天秤座のイラスト
    今期のてんびん座のキーワードは、「負けない戦略」。 紀元前に活躍した古代中国の兵法家の中でも最もよく知られている人物が、「孫子の兵法」として戦争の戦略と戦術について記した孫武でしょう。

    その第一の思想は「戦わずして勝つ」こと。これは相手と百戦して百勝するのは必ずしも良いことではなく、いかに戦う回数を減らせるか、また戦争のもたらす消耗を最小限に抑えられるかという方向に考えを巡らせ、しかも戦う前にできるだけ戦わずに済む戦略を立てるように諭すのです。

    そして第二の思想は「現実をよく観察せよ」ということ。「多数の樹木がゆらめき動くのは、敵軍がひそかにその中を進撃しているのである。(中略)鳥がにわかに飛び立つのは、敵の伏兵がいるからである。獣が驚いて走り去るのは、敵軍の奇襲攻撃である。(中略)あちこちに砂埃が細く立ちのぼるのは、燃料となる薪を採集しているのである」。まさに情景がありありと浮かぶような、精密な観察ではないでしょうか。

    この第二の思想のなかに、あの有名な一節、「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」という言葉がある訳ですが、じつはこうした孫子の勝負の哲学は、そのまま占いの活用法にも通じるように思います。

    すべてのチャレンジを成功させるために占いを無理にでも使うというより、大難を小難に、小難を無難に減じていくことこそが第一に気を付けるべきことであり、どんな悪いことが起きそうか、それを防ぐには何をすべきかを洗い出すことが大事であり、さらに占いが活きるかどうかは、どれだけ日常や社会の現実を精密に観察できたかにかかっているのです。

    今期のてんびん座もまたこうした「負けない」戦略を究めんとする孫子の兵法を、どれだけ自分の活動や普段の行動に落とし込めるかを試してみるといいかも知れません。


    出典:孫武、湯浅邦弘訳「孫子・三十六計」(角川ソフィア文庫)
  • 蠍座のイラスト
    今期のさそり座のキーワードは、「平常心をめぐる問いかけ」。 エピキュリアン、つまり古代ギリシャのエピクロスの徒と言えば、ふつう快楽主義者を指して言われる言葉ですが、実際に彼が説いたのは、なによりも心の平静な状態(アタラクシア)を善とすることであり、それは一般的にイメージされる自分勝手で欲望をむさぼる快楽主義とは正反対のものでした。

    確かに彼はあらゆる善の基礎を胃袋や性愛や聴覚の「快」にあるとはしていますが、その快とは、「道楽者の快でもなければ、性的な享受のうちに存する快でもなく、なによりも、肉体の苦しみなく魂が平静であることにほかならない」とし、真の快の生活を生み出すものとは、魂に動揺を与えるさまざまな恐怖心を追い払う働きをする「平常心」なのだと考えたのです。

    また彼はこの平常心ということについて、次のような言い方でも言及しています。「いやしい魂は、思いがけない幸運によって膨れあがり、不運によって打ちのめされる」のだ、と。

    ここでは、魂が「いやしい」かどうかが、平常心が働くか、自分自身が重く静かな存在となり得ているかの基準になっている訳ですが、これは現代人的な感覚からはとても新鮮に映るのではないでしょうか。

    そして、ここ10年近くの運気の流れの最終地点にたどり着きつつある今のさそり座にとっても、「魂がいやしいかどうか」という古典的な問いかけは、これまでの経験を通じてどれだけ自分の中で確信が深まったのかを判断する上でとても重要な基準となっていくように思います。


    出典:エピクロス、出隆・岩崎允胤訳「エピクロス 教説と手紙」(岩波文庫)
  • 射手座のイラスト
    今期のいて座のキーワードは、「自分自身を理解する機縁」。 情報が過剰となり、あらゆるメディア環境を通じて氾濫状態となっている現代において、時の流れはますます速まり、ほとんど波打つ龍のごとく暴走しているように感じられます。

    しかし、「主体性こそが真理である」とする実存主義の源流であるキルケゴールは、そうした一般的な見方に反して、「時は過ぎ行く、人生はひとつの流れだ、などと人々は言う。私はそんなふうには見ることはできない。時は静止しており、私は共に静止している」と述べています。

    これはいわゆる哲学的思索を通して永遠によって触れられた瞬間、<満ちたる時>のことでしょう。この世の時間の流れの中にあって、いわば一寸だけ精神が垂直にぬけでるのです。

    キルケゴールは、過去と断ち切られたそうした瞬間においてその人は新しい生、再誕生を意識するようになると考えているのですが、ここで注目したいのはその延長線上で語られた次のような一文です。

    人と人との間で最高なのは、弟子は教師が自分自身を理解する機縁であり、教師は弟子が自分自身を理解する機縁である、ということだ

    機縁とは「きっかけ」の意味ですが、知的な刺激を最大限に受けられるような人との出会いこそ、人生の「流れ」を書き換え、人を新しい生へと生まれ変わらせる最大の「瞬間」なのだと言っているのです。

    この言葉の意味を、今のいて座の人たちならば実感をもってよく理解できるのではないでしょうか。ここ最近、あなたが最も知的に刺激を受け、精神を高揚させられたのは、どんな瞬間だったか。今期はそんなことを改めて思い起こしつつ、「新たな生」がどこへ向かって走り始めているか、再確認していくといいでしょう。


    出典:キルケゴール、飯島宗享訳「現代の批判」(『キルケゴール著作集11』白水社所収)
  • 山羊座のイラスト
    今期のやぎ座のキーワードは、「生命を表現せよ」。 インドという国の歴史は、<自己実現の愛と自由>を体現するドラヴィダ族などの原住諸族と、<社会組織の秩序と整合性>を求める古代に侵入してきた肌の色のうすいアーリア人種との闘争の歴史であり、両者の混淆によって国ができあがったのであるから、近代以降ふたたび始まったアーリア人種(イギリス人)の侵入に対しても、インド固有の高い精神性によって同化し、取り込んでしまえばいい。

    こうした途方もないビジョンを投げかけてみせたのは、東洋人として初めてノーベル文学賞を受賞した国民的詩人であり思想家タゴールですが、受賞の同年に刊行された「生の実現」を意味する『サーダナ』には、先のようなビジョンに裏打ちされたじつに大らかな生命観が打ち出され、示唆的なことばが多く出てきます。

    中でも、特に注目したいのは「生命の特色はそのものだけでは完全ではないという点である。生命は外に出なければならない」という何気ない一文です。

    「外」とは一体何のことでしょうか。そこにはさまざまな解釈が可能ですが、おそらくここでは「無限の海」のことであり、そこには国としてのインドの歴史を肯定的に受け入れる思想が前提にあったのではないでしょうか。

    先の一文のすぐ後には、「生命の真理は外と内との交流のなかにある」とも、「それは、生命を得るためにだけでなく、さらに生命を表現するためでもある」とも付け加えられています。

    自己の内へと守りを固めて閉塞するのではなく、外との交流を通して、生命を表現せよ。それが生命本来の姿であり、自然なリズムなのだと語る彼のことばは、いよいよ運命の2020年下半期へと入っていく今期のやぎ座にとってもそっと背中を押してくれるような印象を受けるはず。

    色々な意味で小さくまとまらないよう、その大らかなビジョンを取り込んでいきたいところです。


    出典:タゴール、美田稔訳「サーダナ」(『タゴール著作集8』第三文明社所収)
  • 水瓶座のイラスト
    今期のみずがめ座のキーワードは、「きびしい鏡としての顔」。 むかしは「人間、四十になったら自分の顔に責任を持て」ということがよく言われたものですが、平均寿命がぐんと上がり、社会の不安定性が増し続けている現代においては、こうした責任論はいささか厳しすぎる印象があります。

    とはいえ、顔がその人間の本質に関わることを物語るという視点自体は非常に重要な示唆をはらんでいます。この顔の問題について、例えばユダヤ人哲学者の泰斗レヴィナスは、「ひとの顔は、ただそれだけで意味がある」と言及する一方で、本質的に<貧しい>のだと言います。

    これは顔というものはおよそ正直だが無防備で、<慎み深い露出>を行っており、人がことさら気取った態度をとったり平静を装ったりするのも、どうしたって露呈してしまう<貧しさ>を隠すためなのだと言葉を続けるのです。

    この<貧しさ>とは、「傷つきやすさ(ヴァルネラビリティ)」であり、受難や運命を能動的に受け入れ人間的な広がりを持とうとする性質とも言い換えられるかも知れません。

    いずれにせよ、そうであるがゆえに、他人の顔とのかかわりには倫理的な態度が大いに求められるのであり、この点についてレヴィナスは「顔とは殺すことのできないものであり、少なくとも『汝殺すなかれ』と語りかけてくるところに、顔の意味がある」のだと付け加えます。

    今期のみずがめ座もまた、自身の在り様を正直に表してしまう「きびしい鏡」としての自分の顔とどう折り合いをつけていけるか、少なくとも直視を避けずに受け入れるところから、「新しい日常」ということを始めてみるといいでしょう。


    出典:レヴィナス、原田佳彦訳「倫理と無限」(朝日出版社)
  • 魚座のイラスト
    今期のうお座のキーワードは、「焦りをほぐす」。 『変身』や『城』などの不条理小説などで知られるプラハ生まれの作家カフカは、小説だけでなくアフォリズム集も残していますが、その「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」というタイトルの通り、人間がなめうるあらゆる辛酸についてのカフカなりの言及が記されています。

    たとえば<喜び>についても、彼の手にかかれば「この人生におけるさまざまな喜びは、生そのものの喜びではなくて、われわれがより高い生へと上昇することに対して抱く不安である」と、一気にそのイメージを書き換えられてしまうのです。

    ただ、ここで注目しておきたいのは彼が<罪>について言及している箇所で、「人間のあらゆる過ちは、すべて焦りからきている。周到さをそうそうに放棄し、もっともらしい事柄をもっともらしく仕立ててみせる、性急な焦り」と述べた上で、次のように続けるのです。

    人間には二つの主要な罪があり、他の罪はすべてこれらに由来する。すなわち焦りと投げやり。人間は、焦りのために楽園から追われ、投げやりのためにそこへ戻れない。が本当は、ただ一つの大罪、焦りがあるだけかもしれない。焦りのために楽園を追われ、焦りのために戻れないのだ

    これは現代人全般に対しての警句とも言えますが、特に今期のうお座にとっては耳の痛い言葉となるかも知れません。慌ただしく目の前の仕事や目先の関心を追い続けるのではなく、いったんペースを落として、呼吸を整えること。

    そうして自身の中の「性急な焦り」をいったん解きほぐしていけるかどうかが、今後のうお座が向かっていく先を決めていくように思います。


    出典:カフカ、飛鷹節訳「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」(『カフカ全集3』、新潮社所収)