歌舞伎の演目を深掘り!

こんにちは!しんしんです! 今回はいつもと少しちがうブログを。 ずっと書いてみたかった、歌舞伎の演目に関する観劇レポです。 拙文ではありますが、モア世代のみなさんにとって歌舞伎を身近に感じていただけるように、作品の見どころや熱い気持ちになったポイントを素直な気持ちで綴ってみたいと思います。 これはモアハピ部3年目にして、ちょっとした勇気を出した挑戦です。 いつものブログよりは写真少なめの真面目トーンですが、ご興味のある方はお読みいただけると嬉しいです。 (かなり長編になりますがご容赦ください)

偏愛シリーズvol.1 魂が震える『連獅子』の世界

今回のテーマは、『連獅子』。

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狂言師扮する獅子に映し見る重層的な親子の成長物語に息を飲む

まず驚いたのは、幕が上がった瞬間の張り詰めた空気。 お囃子集の3分の1が若手だったことも影響しているのかもしれない。開口いっぱいにずらっと並んだ雛段から舞台全体にじわりと滲み出た緊張感が、これから始まる舞を予感させる。 今月の連獅子は、松本幸四郎・市川染五郎の親子競演。冒頭の狂言師として踊る場面は、まさに親子でありながら子弟である幸四郎・染五郎の実像そのものと重なる。

その最たるものが、親獅子が子獅子を突き落とすシーン。 子が父親を見つめる眼差しは鋭く物悲しい。 なぜ突き落とすのか、なぜ厳しく当たるのか、慕っているのに、大好きなのに、なぜ… 必死でがけを駆け上ろうとする息子を何度も何度も突き落とす親獅子の表情は頑なに動かない。しかし決して無慈悲なのではない。 「おまえはまだまだ半人前だ。こうして簡単に突き落とされてしまう。しかしおまえは獅子の子。誰よりも気高く、誰よりも強く、誰よりも皆を守れる存在となる者だ。 だから強くなれ。 ひとりで生きていけるようになれ。 そうして父を超えてゆけ。」 そんな想いを知ってか知らずか、子獅子の瞳には徐々に闘志が宿ってくる。燃え上がる派手さはない。ほとばしる静かな闘志。静かな反発。 粛々と己の天命を自覚し受け入れた子獅子は父の手を離れてゆく。 「負けてたまるか、認めさせてやる、文句は言わせない。」そう言わんばかりの気迫に観客は息を飲む。 一挙手一投足、互いに一歩も譲らない。息子に常に憧れられる存在であらんとする父と、父に自分の力を認めてほしくて全力でぶつかっていく息子。親子の意地と挑戦が織りなす緊張感が、観客の心を捉えて離さない。 附打ちの音(上手手前で足音を強調する拍子木)と2人の競り合うような動きが、観客としてはハマってほしいところにパキッとハマる痛快さがある。

毛振りだけじゃない!連獅子の魅力

「連獅子」という演目は、上演頻度が比較的高く、何度目かの連獅子かというくらい度々観ているが、ここまで身を乗り出して見入った連獅子は初めてであった。 これはあくまでも若輩者の私見として捉えていただきたいのだが、連獅子は歌舞伎に馴染みのない多くの人にも“歌舞伎といえば…!”なアイコン的演目のひとつとして知られているように、後半に現れる紅白の獅子の精による毛振りが一番の見せ場ではある。 しかし、今回に限っては、前半の狂言師の舞の魅力を推したい。 なにしろお顔が美しい。 狂言師の場面は厳かであるだけに、後半の盛り上がりと比べるとあっさりとしてしまう印象があったが、今回は右近の気高さと左近の精悍さが際立つことで、獅子に扮した姿の神秘性に深みが出ているように感じた。 出で立ちがシンプルな分、ごまかしは利かない。観客の視線は彼らの手や足や顔の動きに注がれる。役者の本質が問われる戦いである。 そしてこの場面においては、「関係の多重性」が魅力を引き立てることにも気が付いた。 舞台に立つ役柄としては狂言師。その狂言師が演じるのが獅子の精。劇中劇の様相である。 さらに面白いのが、狂言師が親子の獅子として舞ううちに、実際の親子関係までが役を通して透けて見えてくるあたりである。 本来演劇は、ひとたび舞台に立てば役者の私たる部分を観客に見せることは作品世界を損なう行為であり、タブーであるといえる。 しかしこの作品は、役者の身体を通して役柄の多重性を魅せることで、観客の心を惹きつける仕組みを持っている。 歌舞伎の古典名作といわれるタイトルロールに安心し、この偉大な仕掛けに今の今まで気が付かなかった自分はまだまだだなと襟を正すことになった。おふたりの名優のおかげである。有難い話である。

《番外編》桟敷席がもたらした奇跡の瞬間

ここからは余談だが、「安らぎぬ」で花道の胡坐が決まった時の鳥肌はひとしおであった。 なにしろ客席に向かって身体を開いた染五郎くんの立ち位置がわたしの真正面で。正対置で向き合ってしまい、まっすぐな瞳で見つめられ、射抜かれてしまったのでした。桟敷席、ありがとう。

コミカルでリズミカルな間狂言でくすりと笑う

間狂言の修行僧たち。 自分の信条にまっすぐで真面目な僧ながら、どこか抜けていて完璧でないところが愛おしい。 相手に自分の信じる宗派を認めさせたくて、太鼓と鐘を用いたお経合戦はなんともかわいらしい。何妙法蓮華経と南無阿弥陀仏がいつの間にか入れ替わってしまう。 コミカルでリズミカル。シンプルな応酬の構図も、ともすればパターン化されてしまい退屈だが、萬太郎さんの持ち前の愛嬌と負けず嫌いでつい張り合ってしまう亀鶴さんの姿に頬が緩む。 冒頭から客席を満たした緊張感をゆっくり溶かして、最後の獅子の精の登場に向けた心づくりを丁寧にしてくれる間狂言であった。

一糸乱れぬ毛振りに魅了される

さて、お待ちかねの毛振り。こちらも期待にたがわず一糸乱れぬ動きで客席を圧倒する。 獅子の毛がふさふさでかわいい。 ばふっともふっと抱き着いてみたくなる。 燃える若獅子。静かなる闘志が赤髪に燃え移ることで勢いを増す。 ただしこちらは父への闘志というよりも、父に従い必死で食らいついていくという印象。自分との闘いが見える。 染五郎くんは花道から毛振りを開始。そこから本舞台に毛を振りながらカニ歩き。かわいい。ただ毛を振るだけでもひと苦労だろうに、あの移動はさすがに大変ではと邪推する。 そうこうしている間に、本舞台でひと足先にぴょこんと台に飛び乗る幸四郎さん。かわいい。 染五郎くんも飛び乗るのかなと思いきや、一歩ずつ慎重に登っていく。かわいい。 そこから親子でシンクロ毛振り。染五郎くんが台の上に立ってから、動きがシンクロするまでの間があまりにも短い!すごい! 徐々に速く激しさを増すが、まったくシンクロが乱れない。牡丹の香りに誘われて乱れまくる姿でさえも、揃っていて美しい。感服です。 毛振りが終わって最後のキメ。ここまできっちりこなしてきただけに、足が踏み切れないのが惜しい。やはり体力を使うのだなと。 最後の3回のキメまで決まると、最高に気持ちがいいのだけれど。 次におふたりの連獅子が観られるのはいつのことになるのか、先のことはわからないけれど、節々で成長を感じられる演目のひとつとなるのは違いない。

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最後までお読みくださり、ありがとうございました! 今後ももし需要があれば、レポを書いてみたいと思います。 大好きな歌舞伎のこと、もっと知って好きになっていただけるきっかけになれたら嬉しいです♪ *しんしん*