【最新12星座占い】<7/12~7/25>哲学派占い師SUGARさんの12星座占いまとめ【牡羊座~乙女座】photoGallery

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今期のおひつじ座のキーワードは、「どんなことにも終わりは来る」。
こんな経験はないでしょうか。夜中にふと目覚め、自分の存在が永遠になくなる瞬間が今にも迫っているという予感がして、ベッドで身動きできなくなる。あるいは、いつこの世から消えてもおかしくない存在なんだと、不意に感じて立ち尽くしたり。

『百年の孤独』という小説は、マコンドという蜃気楼の立ち込める村に住む開拓者一族・ブエンディア家の物語で、さまざまな出来事が永遠の輪廻のように起こり、そのどれもが実に緻密に描かれています。

土地と人間とがほとんど不可分なほど結びついたこの村では、語るという原初的な力を持った衝動が、狂気に近い熱気をもって旺盛に紡がれていくのですが、それは100年に及ぶ物語の結末においてすべてが土埃と化し、消滅していく死が待ち受けていることを、家そのものが感知していたからかも知れません。

そのあいだにも、この物語では死はしょっちゅう、あたりまえのように起こり、登場人物たちは自分の死を自然の摂理のごとく受け入れていくのです。それぞれの仕方で。そうした態度はいつの間にか読者にも刷り込まれ、どんなに素晴らしい物語もいつか終わりがくるものであり、それを望む自分がいることを受け入れられるようになるはず。

そして、それは今のおひつじ座にとっても必要な態度のようです。何を終わらせ、それをどんな物語として語り継いでいくべきか。今期はひとつ「村の語り部」になったつもりで、自分のよく見知った「家」の来し方行く末を眺め渡してみるといいでしょう。


出典:ガブリエル・ガルシア=マルケス、鼓直訳『百年の孤独』(新潮社)
今期のおうし座のキーワードは、「世界の優しい無関心」。
「きょう、ママンが死んだ」という一文から始まるカミュの『異邦人』では、保険会社に勤める平凡なサラリーマンである主人公ムルソーが、母の死後に友人の女性関係のいざこざに巻き込まれ、殺意のなかった人物をたまたま殺してしまう。

そして裁判の最後で殺人の動機を訊かれたムルソーは、「太陽が眩しかったから」という有名なセリフを吐く訳ですが、ここでは彼は徹底的に受け身の人物として描かれています。つまり、社会や世界に能動的に関わることに何の意味も見出せない、とめどない虚無感のかたまりとして。

けれどムルソーはその後、相変わらず社会道徳に無関心なまま、かと言って神に頼る訳でもなく、自分ひとりの力で死の恐怖を克服し、「世界の優しい無関心」に心を開くことで、ついにみずからの「幸福」を確認します。

ここにおいて、意味のない人生を意味のないまま引き受けることにした主人公の不条理は、ひとつの出発点となり、主人公の人生はどこにたどり着くかは分からないけど、とりあえず先に向かって走り出した「異邦人」のそれとなったのです。

そして、こうしたたぐいの疾走感こそ、今のおうし座に必要なものなのではないでしょうか。つまり、ついそこに捕らえられ、取り込まれがちな自意識の外へと走りだすこと。つながっているから優しいのではなく、つながっていないからこそ優しい。そういう種類の優しさを、みずから選んでいくこと。


出典:アルベール・カミュ、窪田啓作訳『異邦人』(新潮文庫)
今期のふたご座のキーワードは、「見え方を変える」。

架空の作品や百科事典を見事なまでにでっち上げることで知られているボルヘスは、20世紀の初めに”ドン・キホーテを書こうとするフランス人作家”を主人公とした『「ドン・キホーテ」の作者ピエール・メナール』という小説を書いています。

もちろん『ドン・キホーテ』は17世紀にスペイン人のセルバンテスが母国語でのびのびと書いたものですが、この小説の語り手は20世紀のピエールが外国語の古語を無理して使って書けば、同じテキストであっても持つ意味合いは異なるだろうと言うのです。

ここに描かれているのは、あらゆる手法やテーマがすでに使い尽くされてしまった現代において、オリジナリティを求めることの困難と無意味さです。

彼は「文学におけるオリジナリティとは何か、そもそもオリジナリティは存在するのか」という問いを自身の作品の多くに内包させていましたが、これはボルヘス自身がスペイン語を母語とするアルゼンチン人で、彼の家庭では英語とスペイン語の2言語が同じように使われていたということも大きく関係しているでしょう。

そして、こうしたオリジナリティや価値をめぐる問いは、まさに今のふたご座にとっても乗り越えなければならない壁として迫ってきているのかもしれません。

ボルヘスほど見事な仕方ではなくても、まったく新たな意味や概念を作りだすのではなく、むしろ既存の文脈をずらすこと、そうしてこれまで当たり前のように受け入れていた景色の見え方を変えていくことができるかどうかが問われていくはずです。


出典:ホルヘ・ルイス・ボルヘス、鼓直訳『伝奇集』(岩波文庫)
今期のかに座のキーワードは、「思い出の真ん中に」。
天涯孤独の身となった主人公が、パリで淋しい生活を送りながら詩人になろうとするさまを手記の形式で描いた小説『マルテの手記』には、一貫した筋というものは特になく、パリの街を日々ほっつき歩いてはそこで見たものがしるされ、合間に生と死や愛などへの考察や、読書体験や過去の思い出がつらつらと綴られていきます。

当時のパリは産業革命を経て、より豊かで便利な社会になるべく大都市になっていった時代でしたが、その一方で貧富の差の拡大による一般庶民の悲惨な生活があって、主人公はそういうところをこれでもかと観察しては文章化していく。もし現代に生きていたら、実況系YouTuberになっていたか、ブロガーになっていたのではと思わずにはいられません。ただ、彼がなろうとしているのはあくまで詩人です。

追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生まれて来るのだ。

つまり、彼が書こうとしている詩とは、自分ひとりの力では決して書きえない詩であり、見聞きした都市と一体化していく中で、「思い出の陰からぽっかり生まれて来る」ものであって、彼はそのために日々せっせと仕込みをしている訳です。

今、かに座のあなたの心の中には、どんな思い出たちがひしめき合っているでしょうか。あるいは、この一カ月のあいだ、あなたは何を見聞きし、それをどんな風に心に刻んできましたか。

それがやがて一行の詩となり、あなたそのものを表していくでしょう。


出典:ライナー・マリア・リルケ、大山定一訳『マルテの手記』(岩波文庫)
今期のしし座のキーワードは、「魔法の秘密」。
言いしれぬ恐怖がひたひたと心の平衡を侵していく感覚というのは、いったん感じ始めるとなかなかそれを食い止めるのに難儀するものですが、『何かが道をやってくる』という小説の主人公で、13歳になったばかりの二人の少年ウィルとジムにとってのそれは、ある日町にやってきたサーカス一座でした。

日本でも大正末期から昭和初期には、サーカスというと「人さらいの話」がイメージされていました(もちろん現在ではそんなことはありません)が、そんなどこか怪しげで魔術的な古き良きサーカスのイメージを引き継いだ邪悪なサーカス団「クガー・アンド・ダーク魔術団」の<刺青男>は、彼らを奇形人間に改造してサーカスの団員にしようと、容赦なく着実に近づいてくるのです。

「どこに隠れている? BoysのBの棚かな? Adventure(冒険)のAの棚かな? Hidden(秘密)のHの棚かな?……Terrified(助けて)のTの棚かな?」

けれど、町の図書館長を務め、二人の少年の話を唯一信じてくれたウィルの父親が物語の強烈な秘密を暴いたとき、もう少しで怪しい霧に飲みこまれそうになっていた彼らは間一髪のところで危機を逃れます。

そうして恐怖を一掃する原動力となった魔法の秘密は、じつは誰もが簡単にできる何気ない振る舞いにあり、ただ大人になるといつの間にかその回数も減っていき、何より思いきりしなくなってしまうものでもありました。

13歳という子どもと大人のはざまの時期にある彼らにとっては、まさにこの物語は人生の分水嶺であり、その点においては今のしし座にも同じことが言えるでしょう。

では、それが日々から減ってぎこちなくなってしまうと恐怖が勢いを増し、こちらを取り込んでしまうところまで増幅するような“振る舞い”とは一体どんなものなのでしょうか。

今期のしし座はひとつ最近自分の顔から減ってしまっているものはないか、真剣に考えてみるといいかも知れません。


出典:レイ・ブラッドベリ、大久保康雄訳『何かが道をやってくる』(創元SF文庫)
今期のおとめ座のキーワードは、「世界全体に否定を突きつける」。
歴史の急変に翻弄されて悲劇的な死を遂げていく人もいれば、驚くべきたくましさで生き残り以前よりも強く豊かな生を手に入れていく人もいる。

歴史的な動乱期というのは、どうしても人生の光と闇のコントラストが激しくなってくるものですが、戦争孤児の双子について<ぼくら>の日記形式で描いた『悪童日記』という小説は、いかにもお涙頂戴的なストーリーにも、重苦しいだけの歴史の講釈にもなっていない、国や時代の違いをこえた普遍的な強度を備えています。

例えば、強制収容所にひかれていく人たちを見た後、司祭から一緒に祈るかと聞かれた二人は次のように答えています。

ぼくたちが絶対にお祈りをしないことは、ご存知のはずです。そうじゃなくて、ぼくたちは理解したいんです

二人のこうした態度は一見すると傲岸なのですが、世界の不条理みたいなものに負けないための必死の抵抗であり、そうした不条理について「ウイ(フランス語のYES)」と肯定で返していくことによって、二人は負けない経験を積み重ねていく。

そして、一つひとつは小さな経験であったものが、組み合わさって組み合わさって、やがて世界全体に対して「ノン」と否定を突きつけるにいたる訳です。

先の、不条理な世界をありのままに分かりたいというのは、そうすることで初めてちゃんと自分たちを肯定しつつ生きていくことができるんだ、というメッセージでもあるのでしょう。

と同時に、こうした世界との戦い方であり抜け出し方というのは、今のおとめ座にとって大いに指針となるはずです。

「塵も積もれば山となる」ではないですが、ふたりが悪口の言い合いや殴り合い、断食の練習を積み重ねていったように、今期はいかに不条理の自覚的肯定=負けない経験を積んでいけるかが問われていくでしょう。


出典:アゴタ・クリストフ、堀茂樹訳『悪童日記』(ハヤカワ文庫)

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