モテるって、幸せなこと?【ブレイディみかこ連載】
ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』
日々のモヤモヤを、ちょっとだけグチりたい……。そんな悩めるMORE読者世代の女性たちに贈る、ブレイディみかこさんからのメッセージ。「がんばったのにまだ週の半分……」とため息が出そうな水曜日の私たちを、言葉と共に解放してくれるエッセイ連載です。
「モテ」の語源を考える
MORE世代の女性たちとの座談会で「モテ」が話題になった。何かにつけて友人たちに「『モテないよ』、と言われる」とSさんが愚痴ったからだ。米国で教育を受けたSさんは、(米国の大学の友人たちの多くがそうであったように)すっぴんにジャージのような姿で外出したり、キャミソールに短パンで街中を闊歩したりする。すると、「そんなことをするとモテない」と日本の友人たちに言われてしまうらしい。
──「そもそも、モテるって何なんでしょう?」
そう言っていたSさんの真剣な顔が忘れられず、ネットで「モテる」という言葉を調べてみた。「そういえば、語源を知らない」と思ったからだ。複数のサイトに、漢字表記にすれば「持てる」だと書かれていた。どうやら江戸時代から使われている表現だそうで、発生源は遊郭という説があった。遊郭に通う男性が、そこで働く女性たちに好かれて「持てはやされる」ことを「持てる」と言うようになったという。
モテコーデ、モテメイク、モテ服、モテヘア……。雑誌やネットには「モテ」が氾濫している。こんなに何にでも「モテ」という言葉をつける風習は、わたしの若い頃にはなかった。いったいぜんたい、どうしてそんなに「持てはやされたい」時代になったのだろう。
SNSの出現や「いいね!」と無関係ではないだろう。フォロワー数や「いいね!」の数を競い合い、数の大小によって自己承認欲求を満たすカルチャーとリンクしているように思える。ありとあらゆるものを数値化してランキングにするデータ文化もそうだ。「持てはやされたい」気持ちとは、もっと支持者の数を増やしたいという欲望である。
「モテるって、幸福なことじゃないからね」
しかし、「持てはやされる」ことは幸福に直結しているのだろうか。
むかし、「モテるって、幸福なことじゃないからね」という名言を吐いた友人がいた。彼は目立つ外見で、街を歩けばたいていの女性は彼を目で追った。当然ながらめちゃくちゃモテたし、数多くの女性と浮名を流したが、本当に好きな女性とはつきあえなかった。その女性は彼に関心を示さなかったからだ。なんとか振り向いてもらおうと懸命に努力したが、派手なことが苦手な彼女は、モテる友人を相手にしてくれなかった。結局、彼女は彼の友人の一人と結婚し、二児の母になっている。「100人の女性に好かれるより、彼女一人に好かれたかった」というのが長いあいだ彼の口癖だった。
結局のところ、幸福は「数」ではなく、個々の人間どうしの関係に基づいているのではないだろうか。いくら持てはやされても、近くにいるたった一人の人とよい関係を築けなければ心の穴は埋まらない。
「持てはやされる」を後半部分も漢字にすると「持て囃される」になるそうだ。「囃す」は「声を揃えてあざけったり、ほめそやしたりする」の意味だと辞書にある。つまり、チヤホヤするだけじゃなく、一斉に誰かをあざけることも「囃す」と言うのだ。これに従えば、「モテる」はいつ逆方向に転ぶかわからない。昨日までやたらと持ち上げられていたのに、なぜか今日は炎上しているSNSは、まさに「持て囃される」プラットフォームだろう。「モテ」の本質もそれに似てやしないだろうか。
「モテないよ」と誰かに言われてモヤつく水曜日。「持て囃される」という「モテる」の語源を思い出してほしい。そして、誰にも囃されないところで、大切に育てていく誰かとの関係について考えてみよう。それは地味でドラマのない関係かもしれない。でも、それこそがわたしたちの人生のコアにあって、中心から全体を支えてくれるものだ。そう、それはちょうど、華のない退屈な水曜日が、週の真ん中で一週間を支えているのに似ているかもしれない。
PROFILE
ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数
イラスト/Aki Ishibashi