「失敗ダメ、ゼッタイ」という思い込み【ブレイディみかこ連載】
ブレイディみかこ『心を溶かす、水曜日』
日々のモヤモヤを、ちょっとだけグチりたい……。そんな悩めるMORE読者世代の女性たちに贈る、ブレイディみかこさんからのメッセージ。「がんばったのにまだ週の半分……」とため息が出そうな水曜日の私たちを、言葉と共に解放してくれるエッセイ連載です。
私たちの、転職事情の今。
MORE世代の女性たちとの座談会で、毎回、必ず出てくるのが転職の話だ。
「いまは周囲の友人を考えても、転職してないほうが少数派です」
「会社は自分の人生を守ってくれないですから」
日本の二十代の女性たちの仕事に対する考え方は、わたしが日本にいた頃(27年前)とは大きく変わったようだ。
「職場の居心地が悪かったからとか、どうしても我慢できないことがあったとか、そういうのが転職理由だったりするの?」
と聞いてみると、彼女たちは首を振る。
「それぞれ目標を持っていて、それに近づくために自分の意志で転職しています」
おお、めっちゃポジティブではないか、と思っているとSさんが言った。
「わたしの場合はもっと自分に合った職場を探して転職したかもしれません。‥‥‥もっと失敗しやすい環境というか」
海外で生活した経験のあるSさんは、プロジェクトは「トライアル&エラー」を重ねながら前に進んでいくと信じている。しかし、日本で最初に働いた企業にはその精神が欠如していたという。
「『たられば』が多いんですよね。こうしたらこうなるかも、こうなればこうだろう、みたいなことばかりいろいろ考えて、失敗を避けるために、結局は何もしない」
「私、失敗しないので」という言葉が日本で流行していたらしいが、失敗しないことはそんなにいいことなのかというと、アインシュタインによれば違うらしい。「失敗したことがない人は、何も新しいことをやってみたことがない人だ」と彼は言ったからだ。
─「経験とは失敗の別の呼び名である」
未知の何かに手を出さなければ失敗することはない。だけど、その代わり、新たな成功を手にすることもない。そりゃあそうだろう。やってもみないことで成功するなんてうまい話があるわけがない。新しいことをやり続け、常に成功し続けるのがいちばんいいという人もいるだろうが、そんな強運の持ち主はふつういないし、もしいたとしても、その人は「失敗する」という経験を持てなかった点で実はそれほど幸運でもない。
なぜなら、失敗は人間が自分や他者について学ぶ機会を提供するからだ。たとえば、やっと歩けるようになった幼児を思い出してほしい。彼らは失敗するまで何も知らない。壁をよけないで突進したら頭をぶつけることや、お腹がいっぱいでも食べ続けたら吐くことや、他人の顔をひっかいたら相手を怒らせることなど、一から十まで新しいことをやってみて失敗した経験から学ぶ。
「経験とは、失敗の別の呼び名である」と言ったのは作家のオスカー・ワイルドだが、そうだとすれば、「経験がモノを言う」みたいな言葉も違う響きを帯びてくる。失敗したら罰されたり、冷遇されたりする環境は、失敗するのが怖くて何かをやろうとしない人をつくり出してしまう。そんな場所からは、経験にモノを言わす人とかは出てきそうにない。
さて、いま自分の部屋でこの連載を読んでいるあなたには、あたりを見回し、そこが「失敗を許さない環境」になっていないかチェックしてほしい。水やりを忘れて半枯れの観葉植物、朝使って蓋を開けたままのアイシャドウ・パレットに、パンが硬くなったテーブルの上の食べかけのサンドイッチ。水曜日だからそろそろ部屋も荒れてきた、などとため息をつく必要はない。むしろそういう兆候が見られたらOKだとわたしは思う。なぜならそこは、訂正と成長の可能性を残した環境だからだ。そういう環境に住むあなたは、他人の失敗だって許す人に違いない。「失敗できる環境」は、人間が不完全なままで何かをすることを許す場所だ。「失敗ダメ、ゼッタイ」という思い込みから外れる人が増えれば増えるだけ、そうした環境は広がっていく。
PROFILE
ブレイディみかこ●英国・ブライトン在住のライター、コラムニスト。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数
イラスト/Aki Ishibashi